第一章・9
9.
ハーヴェイに先導されるまま、イオンとコリンはすっかり慣れた様子で巫女の手を引いて着いて行こうとした。しかし、突然巫女の足が止まる。
二人は振り返り、巫女の足元を見る。てっきり何かに躓いたと思ったからだ。しかし、特に障害になるような物は何もない。
「どうしたの? 巫女ちゃん?」
コリンが話しかけながら、背中を撫でる。
巫女はふるふると首を振って、ハーヴェイのいる方向へ行くのを拒んでいるようだった。
「……何だか、あっちに行きたくないみたいだな」
コリンが唇に指を当てる。少し静かにしてくれという合図だ。しばらく、そうしてハーヴェイのいる森の方を睨む。
「……特に何も感じない。むしろ、静か過ぎて逆に気持ち悪いくらい」
「ってことは……マナってやつを感じるのか?」
コリンの勘で察知できず、巫女に察知できるものとすると、巫女が物理的な感覚の代わりに感知できるというマナ関係しか思い浮かばない。
だが、コリンが感じる動物的な気配は、ほとんどマナの気配と一致する。強い生命はそれだけ強い気配とマナを放ち、敵意もそのまま邪悪なマナとなって感知される。
事実、野営中にコリンと巫女の二人が何かに気付いた時、すぐに魔物が襲ってきたことがあった。
「なあ、ハーヴェイ。巫女が行きたくないって……」
そうハーヴェイに向き直ったイオンは、背筋にぞくりと寒気のようなものを覚えた。
巫女が異常を訴えているというのに、こちらを振り返ったハーヴェイの表情は、酷く無機質で冷たいものだった。その顔は、初めて会った時の無骨な男、という印象以上だった。
無言でハーヴェイがこちらに近寄ってくる。思わず、イオンは身構えてしまう。
ハーヴェイは、巫女の首と膝の後ろに手を回し、抱え上げた。
「ちょっ、ちょっと! 無理やり連れてくの!?」
「巫女様をこの先の聖地にお連れするのが旅の目的だ。忘れるな」
イオンとコリンは、緊張した面持ちで顔を見合わせた。
そんな二人を無視して、巫女を抱えたハーヴェイは再び森に向かって歩き始めた。
森の中には樹が生い茂って、緑が空を覆っていたが、何故か不思議と明るかった。
入ってしばらくしたところに、小屋があった。これがハーヴェイが言っていた休憩所のような施設なのかと思ったが、とてもそれを訊ける雰囲気ではなかった。
巫女を抱えたハーヴェイの左右をイオンとコリンは歩いている。時折、ひっそりとハーヴェイの腕の中を覗き込むと、ハーヴェイが歩を進めるにつれ、巫女は苦しそうな顔をしているように見える。喋れないせいか、うめき声こそ出さないが、明らかに辛そうだ。
そんな風に巫女の様子を心配していたイオンの肩をコリンが突付いた。何事かとイオンが顔を上げると、コリンが無言で前方を指差した。
そこには、大人が両手を広げた長さの二倍ほどの直径の石でできた円形の噴水のようなものが建っていた。建築物というよりは、オブジェといった風だ。噴水と呼びたくなるのは、その形もそうだが、噴水のように水が噴き出てこそいないが、中心部に水が溜まっている。どういう仕掛けか、その水はただ溝に溜められているだけにしか見えないが、かなり古びた石のオブジェの外見に反して濁った様子はない。
それどころか、そこの水は不思議な光を放っており、神秘的な美しさをたたえている。
ハーヴェイの威圧的な雰囲気に負けてずっと黙っていたイオンだが、いよいよ何かあると思い、たまらず言った。
「おい、何をするつもりなんだ?」
その声を無視して、ハーヴェイは抱えていた巫女をそのオブジェに溜まった水の中に降ろした。水の深さは足首ほどもないので、そこに沈められた巫女は尻が濡れた程度ではある。しかし、突然のことにイオンとコリンは驚いた。
「だからオジサン! 巫女ちゃんに何するの!?」
そこでようやくハーヴェイが口を開いた。
「『儀式』だ。村の豊穣のために、この聖地で儀式を執り行う」
その言葉に、不穏なものを感じたイオンが喰らい付く。
「まさか……!」
その言わんとすることを察してか、ハーヴェイが振り向かずに鞄を漁りながら言う。
「命に関わることはない。黙っていろ」
やがて、鞄から一冊の本と、謎の道具を取り出した。本は一般的な大きさの本の半分程度の大きさで、厚さもそれほどない。道具の方は握り拳二つ分くらいの長さで、指二本分くらいの太さの棒だった。銀色の光沢を放っている。
やがて、ハーヴェイは左手に本を、右手に棒を持つと、すぅ、と息をすってから、何やら聞き取れない言葉を発し始めた。
一定のリズムで、重々しく唱えられる意味のわからない言葉。いわゆる呪文というやつだろうか。
怪訝そうな顔でイオンとコリンが見守っていると、やがて巫女とその足元の水が光り出す。今までも薄っすらとした光を放っていたこの場所が、森の中にも関わらず、眩く照らされる。
二人があまりの眩しさに、手で視界を覆った時、巫女の体がびくん、と跳ねた。自分の頭を、肩を抱え、身をよじる。明らかに苦しそうだ。
ハーヴェイが唱える呪文のテンポがやや速くなる。
更に光が強さを増す。完全に二人は目を瞑ってしまう。
やがて、恐る恐る瞼を開ける。ハーヴェイの呪文も、謎の発光も止んでいた。
たまらず、二人が巫女に駆け寄る。
「おい! 大丈夫か!?」
「巫女ちゃん!」
巫女は、空中に両手を彷徨わせている。この仕草は、一行の姿を見失った時や、不安な時にするものだ。
イオンとコリンが、左右それぞれの手を取り、しっかりと握り締め、自分達が傍にいることを伝えようとする。
しかし、巫女は落ち着きを取り戻しはしなかった。
「どうなってんだ! おい!」
イオンが怒鳴る。
『儀式』とやらに使っていた道具を見詰めていたハーヴェイが、その声に視線を移す。
「説明は後だ。巫女様をそこの守衛小屋にお連れする」
そう言って、道具を仕舞うと巫女に歩み寄る。
だが、コリンがそれを遮り、無言で睨み返す。示し合わせたかのうように、コリンに守られながらイオンがまだ取り乱す巫女をイオンが背負う。
「どういうつもりだ?」
冷淡に、ハーヴェイが問う。
「……説明を聞くまで、あんたにこの娘は預けられない」
「誰に断ってそんなことをする? おまえは旅の邪魔をするのか?」
威圧的なハーヴェイのセリフ。
睨み返す二人は、内心脅えている。暴力沙汰になれば、二人がかりでもこの男には勝てないだろう。
「確か……あんた、言ったよな? この娘の正式な護衛はあんたじゃない、俺だ」
イオンのその言葉に、ハーヴェイが片方の眉だけを吊り上げて顔を歪める。
「……そうだったな。ならば、きちんとお連れしろ。巫女様は儀式の影響でお疲れでいらっしゃる」
そう言って、一人背を向けて森の出入り口へと引き返す。
まだ気を緩めることはせず、巫女を背負ったイオンとコリンはその後を距離を保って追った。
*
小屋には老人が一人暮らしていた。一行――というより、巫女を見ると、ハーヴェイと一言二言言葉を交わし、奥に引っ込んでいった。
中は割としっかりした作りで、掃除も行き届いている。
イオンは背負ってきた巫女を部屋のベッドに寝かせた。
巫女は先ほどの錯乱した様子はなくなったが、落ち着いたというよりは魂が抜けてしまったようにしか見えない。普段からぼーっとしているが、今は人形のように冷たい表情で、身動き一つ取らずに寝かされた状態を保っている。
「……どういうことか、説明しろよ」
巫女をベッドに寝かせたイオンが問う。
ハーヴェイは視線を合わせずに答える。
「聖地に蓄積されたマナを、巫女様の体内に吸収させただけだ」
「それが儀式!? そんなことをして何になる? 何でこの娘はこんなに苦しそうにしてる?」
イオンが立て続けに問う。
「村に豊穣をもたらすためだ。土地の痩せた我々の村では、外部からマナを補充しなければ満足に作物も育たない。そのための器が巫女様だ。そして、巫女様は生来マナを通じてしかものを知覚できない。今は体内に蓄積されたマナが邪魔をして、周囲のマナが知覚できない状態になっている。それゆえ取り乱しておられる」
ハーヴェイが淡々と説明する。
「よくわかんないけど……」
コリンが静かな敵意を剥き出しにして言う。
「巫女ちゃんは、村にマナを持って行くための入れ物だっていうの? さっきあんなに脅えてたのは、あたしたちが傍にいることもわかんなくなっちゃったからだっていうの!?」
「概ね理解したようだな」
「てめぇ!」
ついに、怒り心頭に達したイオンがハーヴェイに殴りかかる。
「うぇっ!」
しかし、拳を掌で受け止められ、腹に膝蹴りを喰らい床に膝を付く。
「イオンっ!」
コリンが駆け寄る。
「おまえも護衛を任されたのであれば、村長も子供ではないと判断したからだ。……大人になるんだな」
その言に従ったわけではないが、イオンは歯を食いしばってただ怒りと悔しさに震えるしかできなかった。
窓の傍で外に視線を向けたハーヴェイの顔は、冷酷さの奥に、どこか何もかも諦めた異様な寂しさを感じる表情をしていた。




