第一章・1
1.
そろそろ完全に日が落ちようかという黄昏時。しかし辺りは篝火に照らされ、人の顔が見えるくらいには明るい。同時に、笛や太鼓の音も聞こえてくる。
今日はアラダイサ村の村祭の日だ。夕暮れ時から真夜中まで祭は続く。特別な手順や儀式はなく、ただ騒いで飲み食いするだけの祭。
村の広場の隅で、一人の少年が肉の塊をかじっていた。食いちぎった肉を咀嚼しながら、ぼーっと広場の中心で踊っている村人を眺めている。そんな少年の横に、ふっと一つの影が並ぶ。
「よっ! イオン!」
そう呼びかけたのは少女だった。少年に呼びかける声も、短く結わえられた髪や服装も、活発そうな印象を与える。
「ああ、コリンか」
イオンと呼ばれた少年は、ちょっと目を上げただけでまた視線を広場の中心に戻し、肉をかじる。
「どこに行ったのかと思ったら、こんなところにいたんだ」
コリンと呼ばれた少女が、イオンの隣に座る。その手には、何かの葉っぱに肉やら野菜やらの料理が一掴みほど乗っている。
「ん、何か今年は調子が乗らなくてさ……」
「何それ。まあ、あたしたちももう子供じゃないしねー。こんな田舎の祭で喜ぶ歳じゃないってね」
「でも、まだ元服は先なんだよな。酒も飲ませてもらえないし。……まあ、飲みたいとも思わないけどさ」
そう言って、イオンが傍に置いてあった杯に壺から液体を注ぎ、コリンに差し出す。
「ありがと」
手に持っていた料理をイオンの隣で食べ始めていたコリンは、その杯を受け取ると一気に飲み干す。これは果汁に炭酸を混ぜた飲み物である。やや発酵しているので、酒を飲んでいるような気分にはなれる。
「その肉、さっき広場で配ってたやつ?」
杯を空にしたコリンが尋ねる。
「ん? ああ、美味そうだったから、一切れもらった」
コリンはパッと顔を輝かせる。
「それ、あたしが今朝獲って来た獲物なんだ。どう? 上等でしょ?」
「ああ、良い肉だよ。コリンの狩の腕は大したもんだな」
「えへへ、ありがと」
そう言って、コリンは嬉しそうに料理を食べ続ける。
コリンはこの村では狩人の仕事をしている。弓が得意で、狩の腕は大したものだ。
コリンが芋の欠片を口に放り込んだのを見て、イオンが言う。
「その芋、多分俺が今朝差し入れたやつだ。今この村で芋を作ってるのは俺の畑だけだからな」
「あ、やっぱり? もちろん、美味しいよ?」
「そっか」
イオンはそれ以上何も言わない。コリンの獲って来た獲物と違い、イオンが作っている芋はもうだいぶ前に収穫が終わり、村人の大半が口にしている。
ちなみに、イオンの言葉からわかる通り、イオンは農家をしている。父親がそうだったから、物心付く前から畑を手伝っている。
「そう言えばさぁ」
料理を平らげたコリンが、葉っぱを折りたたんで脇に置くと、イオンに向き直って言う。
「今まで知らなかったんだけど、この祭って、終わってからが本番なんだってね」
同じく持っていた肉を食べ終えたイオンも、残った骨を地面に放り投げると、布切れで手の脂を拭き取り答える。
「……ああ、そうらしいな」
その声は酷く重苦しい。
「明日の朝、何か大事なことがあるんだって。子供たちは知らされてないけど、その何か大事なことの前にお祝いするお祭なんだってね」
「…………」
「イオン?」
いつの間にかイオンはじっと広場の中心を見ていた。すっかり日が落ちて、頼りは広場に点々と設置された篝火だけだ。その灯りに照らされたイオンの顔は、中々に端正である。そんなイオンの顔に、今度はコリンまでも呆然としてしまう。
「まあ、明日になればわかるさ。……飲み物をもらってくる」
「あ、う、うん……」
コリンの視線に気付いていた様子もなく、イオンはおもむろに立ち上がると、壺を持って広場の中心へと歩いて行った。
その後、イオンとコリンは果汁水を飲みながらポツポツと会話を続けて、篝火の傍に転がって眠った。
祭の最中は、暗黙の了解で村人は広場で夜を明かす決まりになっているので、家に帰れない。幸いにして季節は夏の終わり。空の下で寝ても差し支えはない。
そうして夜が明けた。
*
何が切欠というわけでもなく、もぞもぞとコリンが目を覚ました。普段はもう少し起きるのが早い彼女だが、昨晩は少しばかり夜更かしをしていたので、遅い朝である。
「あれ……イオン? いないか……」
見ると、すぐ傍で丸太にもたれかかっていたはずのイオンの姿はなかった。昨晩の料理の食べ残しも片付けられており、イオンがコリンのために残したのだろうか、果汁水の壺と杯だけがコリンの寝ていた頭の位置に置かれていた。
広場を見ると、村人が篝火を仕舞ったり、やぐらを解体したりと片付けをしている。コリンは大きく伸びをすると、果汁水を一口あおり、片付けを手伝いに行った。
一方その頃、イオンは村長の家にいた。
村長の家は村の中では一際大きい。村の他の家が粗末な小屋としか呼べないのに対して、村長の家はそこらの町の建物と遜色ない造りをしている。もっともこの家もだいぶ古く、いつからあるのか知っている者はいない。昨日今日、村の金で造ったのなら文句を言う者もいるだろうが、昔からあるので皆そういうものだ、という認識である。
そんな村長宅の執務室のような部屋に、イオンは今朝呼ばれて来ていた。
「それで、用件は……」
居心地悪そうに、イオンが尋ねる。
「うむ。おまえには、巫女様の巡礼の旅の護衛を頼みたい」
「巫女様? 巡礼?」
単語自体は何となくわからなくもない。しかし、そんなありがたい存在がこの村にいたなどという話は聞いたことがない。
「知らぬのも無理はない。巫女様の存在は、村の一部の家の大人しか知らぬからな。だが、今年の護衛はお主に任せようと思う」
「何で俺なんですか?」
言ってることがいまひとつよくわからない。村の一部の大人しか知らない存在。その護衛をなぜ自分に任せるのか。言ってることが矛盾している気がする。
「おまえが生まれたのは、十七年前の、四つの月、五十七の日だったな?」
「ええ、確か……」
暦の数え方は、地方によって異なるが、この村では一年を四つの月と、九十の日に分けて数える。
「おまえは、巫女様と同じ日に生まれた特別な加護を受けた者。ゆえに、護衛には適任だと考えたのだ。立派な男に育ったようだしな」
ふと、イオンは思い返す。確かに自分が小さい頃、妙に村の主に年寄りから、ありがたい子だ、祝福された子だと言われていたような気がする。さりとて、別に何か具体的に奇跡を起こしたりということもなかったので、いつからかそんな風に言われることもなくなったので忘れていたが。
イオンは頭を掻きながら答える。
「その、行けと言われれば行きますけど……」
積極的に引き受ける理由もないが、無理に断る理由もない。
だが、イオンの答えを聞いて村長は満足そうな顔をした。
「心配するな、こやつも一緒に行かせるからな」
そう言って村長が指差した先には、見るからに屈強そうな男が立っている。イオンを見詰める眼差しは鋭い。
「えっと……」
どうも名前が出てこない。狭い村だ。知らない人間などいるはずがないのだが。
「ハーヴェイだ」
男は一言、そう名乗った。面識がないのなら、向こうもこちらのことを知らないだろう。村長から話は聞いてるかも知れないが、一応名乗っておくのが礼儀だと考えたイオンは、
「イオン……です。よろしく」
それだけ言った。
「細かい説明は旅の最中にこやつから聞くといい。それでは、いったん家に帰って荷物をまとめて来い。心配せずとも、親父殿には既に話は通してある」
何やら陰謀めいた繋がりに少々不信感を抱いたイオンだったが、一礼すると村長宅を後にした。