それはいわゆる死亡フラグというものでして。
「少し、外に出てくれないか」
私が何にはばかる事もなく、優雅に引きこもりライフを送って四年目を過ぎたある日。
私は唐突に父に呼び出されていた。
「今度とある孤島で忘年・新年パーティが開かれるのだが、私は先約があるので行けないのだ。断ったのだが向こうは代役でもいいから血縁のものを寄越して欲しいと言ってきたのでな」
「血縁って……何ですかそれは。うちの家が顔を出すことに何か意味が?」
「向こうにも色々と事情があるのだろう。というわけで、だ。年末年始とはいえ大晦日と元旦を挟んで五日も孤島に滞在できるような暇人に白羽の矢が立ったのだ」
「暇人とは失敬な。日々世界中の情報を集め、株式市場やら為替相場とにらめっこして莫大な富を築き上げてる才女になんて言い草ですか」
「そんなもん小遣い稼ぎだろうが。そもそも稼いだ金は全部お前のわけのわからん趣味に消えているだろう」
一応損害込みでも年間で税抜き純利益は四百万を超えているのですが、そんなものは『ウチ』ではささやかなお小遣いに過ぎません。漫画とかアニメ、ゲームで大半が消えるしね。最近は特典目当てで複数買い余裕ですし。
「というわけでその才女様とやらにはしばし仕事をお休みしてもらって、孤島でバカンスを楽しんできてほしいのだが」
「ものは言いようですね」
「で、行くのか、楽しんでくるのか、どっちだ」
「……つまり選択権がないんですね、最初から」
「こっちもいろいろ面倒でな。話しかけてくる相手に愛想笑いだけして後は安物の食事をむさぼってくるだけでいい」
「……さいですか」
まぁ、もともとこの男には逆らえない。私も稼ぎはあるとはいえ、一応屋敷を間借りし、衣食住はまだ頼る部分が多い身だ。
まぁ年末年始の取引再開までは時間はあるし、お金の意味では心配はない。特番編成でアニメもないから、いいっちゃいいんだけど……
「年末年始は部屋にこもって懐かしのアニメいっき見しようと思ったのになぁ……」
私の恨み言もあれには届かず、そんなこんなで、私のネオニートライフは、しばらく中断となることとなった。
*
そして十二月三十日。
私は、自分の専属メイドである真里奈と、父の執事の一人である倉崎と共にぼんやりと自家用ヘリに揺られていた。
ひたすら海ばかり続く景色に速攻飽き、その後は真里奈と延々モンスター狩りをやっていたら、いつの間にか国内の外れにあるどこかの島らしい場所に着陸したようだった。
「着きましたよ、お嬢様」
「ん、ああ。着いたのね」
「ゲームしてたら、意外とあっという間でしたね」
「そうでもないわ。いつ充電が切れるかヒヤヒヤしたもの」
手にした電池表示は既に半分を切っていた。とっとと部屋で充電しないと、電池切れでも起こされた日には死んでしまう。主に私が。
ヘリを降りると、仰々しく館の使用人らしき人間が五人ほど、ヘリポートの側で控えていた。
「お待ちしておりました。黒田茜様」
彼らが一斉にこちらに一礼し、そして何人かは台車を持って、てきぱきとヘリから荷物を下ろし始める。
「ええ。どうも……早速で悪いのだけれど、館とやらに案内してくださるかしら?」
「はい。只今。……こちらです」
使用人たちは答えるように恭しく頭を下げ、先導して歩き出した。
「……結構本格的な島ですねー」
真里奈のそんな呑気な感想を聞きながら、森の中を歩く。
道は舗装されていて歩きやすかったが、昼間の木漏れ日が私を照らすのでどうにも辛い。
時折木々の隙間から目にじくじくと突き刺さる光が長年引き篭っていた人間にはもはや凶器である。
「これだから昼間の太陽は嫌いなのよ……」
「冬の木漏れ日でそれって、夏の直射日光にあたったら灰にでもなるんですか」
しばらくそんな感じで歩いていると、見事な正門が正面に見えた。
「目的地はここですか?」
「いえ。もう少しだけ歩きます」
真里奈の問いに、島の使用人が答える。
使用人が指さした方を見上げると、坂道の上、一段と高い場所に、洋館が見えた。
「ひょっとして、あの坂登んの……?」
「お嬢様、大丈夫ですよ。――途中で死んでもちゃんと引きずって登りますし」
「……せめて引きずらないで抱えて登ってくれない?」
「死ぬのは否定しないんですね……」
「むしろ死ぬ前に初めっから抱えて登って」
「もしかしてやぶ蛇でした!?」
そんなやり取りを交わしつつ、何で坂道一つ登るのに命がけなんですかとメイドに突っ込まれつつ、なんとか登り切った。
息を切らせながら見上げると、正面に館の威容を間近で感じることができた。
三階建ての古い様式の洋風建築。
そこの正面玄関。そこに主人らしき、中年の男性が立っていた。
「貴方が、この館の主人?」
「ええそうです。はじめまして。そしてようこそいらっしゃいました。黒田茜さん」
そう言って嫌味のない笑みを浮かべる男。
彼はこちらに歩み寄り、自然にその手を差し出し、
「私はこの蒼明館の主、大原茂と申します。どうぞよろしく」
「ええ。……よろしく」
私も答え、握手に応じる。
何かどこかで聞いたことのある声だけれど。
……気のせいか。
声や姿など、主人の出で立ちに、どこか違和感を感じるが、うまく言葉に出来ず、その場は流すしかなかった。
*
到着後はしばらく割り当てられた自室でのんびり音ゲーをして過ごしていたが、やがて日が落ちるにつれ、その時間は近づいてくる。
つまり、
「お嬢様ー そろそろドレスに着替えたほうがいいんじゃないですか~?」
拷問の時間が、刻一刻と迫ってきていた。
一応それなりの場なので、きっちりとした身なりは整えておかねばならない。
故にドレス。
だが、
「ドレスは嫌いよ。ナイトドレスとか論外ね」
「またお嬢様は……」
私はパーティも嫌いだが、ドレスも大嫌いである。
いや、正確に言えば、私も女の子の端くれなので着飾ることそれ自体に抵抗があるわけではない。
ただ、ドレス……特にこういう社交用の、特にナイトドレスに、この短い人生の中で溜めてきた嫌な思い出の半分近くが詰まっているのである。
「あー……もう、こんなの二度と着たくなかったのに……」
例えば、中学生の時。
ドレスを着ることが楽しくて、メイドたちに『お似合いですよ』なんてお世辞を言われることすら嬉しかった、純真なあの頃。
父に連行されたパーティで、おっさんにキモイ目でガン見されたり、妙に鼻息荒くして『可愛いね』とか言われたり……
挙句の果てに『将来の婿になる方かもしれないからな』とか言われれば、ぶち切れるだろう。乙女なら。
こんな私でも子供の頃は白馬の王子様とか、人並みに信じていたのだ。
そりゃ、パーティにそんな人ばかりというわけではなく、イケメン風好青年や、ナイスミドルだってそれ相応には居た。
だが、積極的に話しかけてくるのは望まぬ相手がほとんどだし、残念ながら悪い方の印象が勝りすぎて、良い方はもはや記憶に残っていない。
そう言えばパーティの後、その後にお見合いを申し込まれてマジビビリしたなんてこともあった。
……と、ナイトドレスを見ただけで、猛烈に嫌な記憶がフラッシュバックしたわけなのですが、
「……帰りたい」
もう帰っていいかな。私。
精一杯頑張ったよ。もう半日も家の外に出たよ。もうゴールしてもいいよね……。
「はーい拗ねてないでさっさと脱ぎ脱ぎしましょーね」
「ぎゃー! 離せ脱がすな待ちなさい駄メイドー!」
「待ちませんよ~ 真里奈は職務に忠実なのですー!」
「やぁそこさわっちゃ――離せって言ってんでしょうが!」
「はははマジギレしたって真里奈は挫けませんよー 可愛くして差し上げます。いざお覚悟をー!」
「もぉいやぁあああああ!!」
そして数十分の格闘を経て、
「はいできました! お綺麗ですよお嬢様。鏡見ます?」
「……いや、いいわ」
なんか見たら部屋から出たくなくなりそうだし。
……ひらひらしてるし。無駄にスースーしてるし。
あーもう本気で欝入ってきた。このまま部屋の隅でで体育座りのまま落ち物パズルでもやってたい気分だわ今。
「あ、あと館の主人から、お嬢様にパーティ冒頭の挨拶をお願いしたいとのことですが」
「そんな事させたら直前に行方くらますって言っといて」
「承知しました。先方には『そんな面倒な事やれるかふざけんなボケ』とお伝えしておきますね」
「……まあ、断ってくれるなら何でもいいけど」
喧嘩は避けたいんですがね……
まあ、カドが立ってもいいや。困るのはあの男だし
*
『乾杯!』
その一言と共に、館のホールで立食パーティが始まった。
当然のように挨拶は聞いていません。右から左です。
おっさんの長話とか耳障りだしね。
「さて、有象無象は当然のように無視してごはん食べましょうか」
ぶっちゃけそれだけが楽しみといえば楽しみなのだ。
飾り付けは結構なもので、そこそこの味のものは食べられるだろうと、とりあえず片っ端から取っていく。
牛、豚、野菜、野菜、海鮮挟んでちょっとごはん。鶏、魚……
とりあえずめぼしいものは一通り取って、味わってみたが、
「……何なのこの、『美味しい様な気がするが実は気のせいだった』みたいな味は」
見た目に騙されて味付けに騙されて……結局美味しいものを食べた気になっただけみたいな残念な気分。
「手抜きというか、食材が二流なんですね、これ。お金がなかったというよりは、この選別から考えると巧妙にケチったと見るべきでしょうか……調理師の腕もそこそこですが、そこそこ以上でもないと」
隣で真里奈がマグロ寿司を食べ終わってからそう言う。
「食材で手を抜いた高級料理とか存在意義ないじゃない……あーステーキのお肉が妙にかたい……」
柔らかにとろける本物の高級肉を知っていると、こういうものを出されると残念感が半端ない。
しかもなまじ『私は高級ステーキです』感バリバリの見た目を装っているのだから、もう何だか詐欺臭いというかなんというか。
こんな中途半端なものを食わされるのなら、いっそ開き直ってカップ麺でもすすってたほうがまだマシだ。
「お嬢様お嬢様。中華料理とかはまだ味キッツいから素材の味とかわかりませんよ? ――酢豚ばっか食べてたらどうですか?」
「いやよ。だってアレ、パイナップル入ってたじゃない」
「じゃあエビチリとか」
「そもそも辛いものは舌がバカになるから嫌い」
「じゃあ白ご飯――」
「ここのお米、使ってる銘柄がコシヒカリじゃないから嫌」
「お嬢様ホントわがままですね……」
「機嫌が悪いと言いなさい」
こんなドレスを着せられて、こんなしょうもない立食パーティに参加させられて……私にとっては拷問に等しい。
食べ物だけが楽しみだったのにここでもこんな仕打ちを食らって……
「ああもう立ってすらいたくないわ。隅っこで座ってゲームしたい。真里奈、椅子とゲーム持ってきて」
「うわぁもうダメ人間全開ですね。……一応パーティ終わるまでは我慢しててください」
「えぇー……」
ぶーたれては見るも、さすがに私自身も無理な注文だとはわかっているのでそれ以上駄々をこねる事はしない。
あー、それにしても重力が重い……
*
結局、すったもんだのやり取りの末、会場の端っこで壁にもたれかかってオレンジジュースを飲みながら人間観察に落ち着いた。
烏龍茶だと味気なさすぎということでオレンジジュースにしたが、百パーセントジュースはアップルしか認めない派の私にとっては酸味がキツすぎてこれまた微妙。
でも、ジュースはこれしかなかったので仕方がない。
「あーマズ……」
「お嬢様お嬢様。傍から見たら『二十歳超えたパッと見美人でおしゃれドレスのいいとこのお嬢様っぽい女性がこの世全てを恨んでるような濁った目でちびちびオレンジジュース飲んでる』ってちょっと形容しがたい図が出来上がってるんですが」
「事実そうだからしょうがないでしょ。美人かどうかは別にして」
「美人なんですがねえ……もったいない」
「仮にそうだとしても、使う相手がいないでしょう」
「あ、使う相手といえば……この間のお見合いはどうでした? 結構良い線行きませんでした?」
「お見合い?」
「そうです。黒田家の権力につられてノコノコお見合い申し込んできた――あの」
「ああ…………そんな事もあったわね」
「どうでした? 金と美貌を持ち合わせているのに中身ダメ人間のお嬢様をATMにしようという勇者の末路は」
「あれ、話さなかったけ?」
「はい。あの日は帰って来てからお嬢様が無駄に爆笑するばっかりで――次の日はケロリとしてアニメ見てたので、私もすっかり聞くのを忘れてて」
「んじゃ、話しとこうかしら」
そう。これはつい数カ月前の話。
こんなろくでなしを引き取ろうという心優しい男性が政略結婚を申し込んできたのだ。
大変面倒ながら窮屈な着物に身を包み、家柄しか能のなさそうな男といざ会って話をさせられるも、開始五分で相手方の元カノが乱入。当人たちの間ではおそらくドラマティックであろうやり取りを他人事のように見ながら、双方の両親の怒声を聞き流していたら相手の男はいつのまにか彼女とその友人たちに連れられ式場から逃げ出していた。
うちの両親は面子を潰されたことに大層ご立腹だったようだけれど、私は家に帰ってからベッドの上で大笑いしたのでした――
「と……そういう話よ」
「なるほど……それであんなに大爆笑してたんですね」
「ええ。……ぶっちゃけ普通にお見合いするよりも何倍も面白かったわね」
面倒なことには変わりなかったが。
「しかし……そんな時代遅れのドラマみたいなことが目の前で起こるもんなんですねぇ」
「いや普通は起こらないと思うわよ」
おそらくレアケースだろう。
だが、
「そんな事件か何かでも起こらなかったら、こんな所は暇でしょうがないわよ」
というより話すべき相手もいないのに「社交パーティ」なんぞに出る羽目になった私が間抜けでなくて何なのだろう。
「じゃあ話しかけたらどうですか? お嬢様の名前を聞いたら多分皆さん水戸黄門を前にした悪代官状態になってちやほやしてくれますよ?」
「それこそ面倒の極みじゃない……」
ここから見た限りで知っている顔は、うちの子会社の社長。うちのグループ企業の部長・次長クラスなど、出席しているのはどうやら社会的にそこそこの地位にある人間が多いようだ。
だがまあ、言い換えるなら、そこそこ止まりであるのも確かだ。華々しさには欠ける。
そして、その手の人間は平均的に上昇志向が高く、
「失礼、挨拶がまだでしたねお嬢さん。私は黒田商事株式会社で自動車事業部の次長をしている正上と申します」
隙あらばコネを作ろうと無駄にがっついて……って、なんか眼前のおっさんが私の前に立っていきなり自己紹介を始めていた。
「あ、……ええありがとうございます。」
とりあえず差し出された名刺を見て、心中でため息。
名乗ったらまず間違い無くめんどくさいことになることは必死だろう。
「お名前を伺ってもよろしいですかな」
よし、ここはさらっと流そう。
「お前に名乗る名などない」
「…………は?」
……間違えた。そうではなく、
「……いえ。このような小娘には関わらずに、どうぞパーティを楽しんできてくださいな」
顔いっぱいに『お断りします』と書いた社交スマイルを向けて、角が立たないようにやんわりと拒否するが、
「そうは行きません。この場でお会いしたのも何かのご縁。せめてお名前だけでも」
うっわー女の子目当てかこのオッサン。これ絶対、紳士面しながら腹ん中で若い子ハァハァとか言ってるタイプだよ。
もうやだぁ……
「すみません、正上様。お嬢様はご気分が優れないようなので……」
「ふむ、それほど顔色は悪くないようにお見受けしますが」
メイドがフォローしてもなお食い下がる好色ジジイ。
仕方ない。苗字を教えた上で、下がれ無礼者、とか高慢ちきなお嬢様演じてドン引きされましょうか。
「いいわ真里奈。……失礼しました。私、黒田敦史の次女、黒田茜と申します」
「黒田……茜……」
うん、当然のように驚いた顔。
まあ常識で考えて、自分のグループ企業の創業者一族の娘が、何の挨拶もなくひっそりと会場に紛れ込んでるとは思わないだろう。
よし。このまま畳み掛けてさっさと追い払おう。
「ええ。ですから――」
「ふん。そうか……君はあの金の亡者の娘か」
しかし返って来たのは、完全に私の予想外の返答だった。
「……は?」
おかしい。こういう時はだいたい平伏したのち気持ち悪いほどゴマすってくんのが常道じゃないの?
「どうですかお嬢様。下々の宴は? 見苦しいでしょう?」
私の予想を完膚無きまでに裏切るかのように言葉を続け、嫌味な笑みを浮かべてくる正上。
その態度に感じるのは、腹が立つ以前に不可解という疑問。
子供ならばまだしも、いい大人が、自分の会社の社長令嬢と知った上であえて敵対的行動を取るなど、常識からして考えられない。
いったい……どういうこと?
「もし可能ならば父上に伝えておいてくれ――もう、貴様は終わりだとな」
「それは……どういう意味で?」
「娘の君もいずれ知ることになる。……せいぜい今のうちに庶民の食べ物の味に慣れておくといいですよ……」
私の疑問をよそに、そう言って笑いをかみ殺しながら、正上は行ってしまった。
その後ろ姿を訝しげに見ながら、真里奈は首をかしげながら言う。
「なんですかねアレ? おかしい人ですか?」
「芯までおかしかったら出世なんてするはずはないわ……何かあるんでしょうね、きっと」
私はそう答えながら、何故か無駄に誇らしげに去って行く彼の後ろ姿を見て、私は妙な引っ掛かりを感じていた。
*
そして、宴もたけなわらしい時――つまりついにデザート類が並べられ、私がケーキやらアイスらを一心に貪っていた時、それは起こった。
「ちょっと、どうしたの!?」
老女の驚いたような声が響いた直後、にわかに会場の談笑がどよめきへと変わったのが分かった。
そして、にわかに漏れ聞こえる言葉の端々から、どうにも誰かが倒れたらしいことが伝わってきた。
私は側に控えていた倉崎の方を見、
「倉崎」
「は、状況を確認して参ります」
「よろしく」
短いやり取りで指示をすると、騒ぎを周囲からぼんやりと眺める。
倉崎が人混みの中に紛れていくのを見て、なんとなく独り言のように言葉を発する。
「心臓発作かしら」
「さぁ……もしかしたらお酒の呑み過ぎかもしれませんよ」
それに、同じく人の群れの方を見ながら真里奈が答える。
「殺人事件だったりして」
「まさか、そんなことあるわけ――」
「そのまさかのようです」
いきなり背後から倉崎の声がした。
「うわびっくりした」
「どうにも症状が、毒物の中毒症状に似ていると」
「痙攣して泡吹いた、みたいな?」
「概ねそんな感じで」
「へぇ……」
ベタベタとはいえ……リアルでこんな事件に鉢合わせるとは。
「やりましたねお嬢様。お見合いに続いて事件の匂いですよ」
「……と言っても人が一人死んだだけじゃ、なにか面白いわけでもないわよね」
「お嬢様。人としてちょっとあるまじき本音がダダ漏れですよ」
「おやうっかり」
そんな気の抜けた会話をのんびり繰り広げていた時、突然張りのいい男の声が、その場のざわめきを抑えて響き渡った。
「皆さん、落ち着いてください!」
再度放たれた言葉に、客は不信のざわめきも上げるが、やがて不明の状況を解決する糸口にでもなるだろうか、という一抹の期待も手伝ってか、間もなくほぼ全員が口をつぐんだ。
そして静かになった所を見計らって――私たちからは見えない位置で何らかの動作があった後、再び男が声を上げた。
「私は……探偵です」
その声が紡いだのは、――世にも胡散臭いあの職業の名だった。
*
結局あの場で『自称探偵』はその場で群衆を説得し、私たちを含め招待客は全員自室に戻ることになった。
「しっかし、探偵って……」
探偵。
現代日本においてその名で呼称される職業が担当する業務としては、素行調査とか飼い猫捜索とか、そう言う仕事がメインだ。
だが、彼が自身の職業として主張したのはおそらくそちらではなく、前時代的な、一種のフィクションじみた存在の方。
それは、警察がそれほど役に立たず、科学捜査が十分に行われていなかった時代の遺物。
何故か堂々と捜査現場に立ち入ることを許され、人によっては鑑識が見落とすような細かな証拠に気づき、不可解なトリックを鮮やかに解いて見せ、名探偵などと呼ばれることもある、犯罪捜査の天才とも呼べる存在。
それがいわゆる、お約束としての『探偵』だ。
「……またベタな展開になってきたわね」
「探偵さんなんて真理奈初めて見ました」
「いや、大体の人は初めてだと思うわよ。……でも、あんなのがどうやったらこの場に呼ばれたのかしら?」
「あんなの、って探偵さんのことですか?」
「ええ。……どう考えてもおかしいじゃない」
姿は見えなかったが、ぶっちゃけその場で客の一人が殺人事件を前にトチ狂ったと考えるほうが幾分か合理的だとすら思える。
「ここはそもそも、ビジネス上の付き合いのある人間同士が薄ら寒い社交辞令を交わしつつ、運が良ければ異業種とのコネを得ようかどうかという目的で開かれたようなパーティでしょう?」
「ええ、まあ」
「しかもここは太平洋上の孤島でパーティは完全招待制でしょう 探偵なんて胡散臭い職業の人間が紛れ込む余地があったのかしら」
「それに関しては、名簿がありますので問題なく」
「あ、倉崎」
「名簿には記載があります。竜田努浪厳――付けた親の顔が見たくなるアホな名前ですね」
「あーはいはいツッコミは置いといて……で、そのアホな名前の探偵さんの素性は?」
「はい。彼は大学卒業後竜田探偵事務所を開き、地道に活動を続け……つい一年前、当時迷宮入りだった鹿田佳祐氏の両親の殺人事件を解決したとか。本日ここに呼ばれたのも、その実績からだそうで」
「じゃあその鹿田って人が呼んだと?」
「ええ。鹿田氏本人もここに来ています」
「ふぅん……迷宮入り事件を解決ね。今時珍しいというかまだそんな探偵が居たなんて、驚きね」
「警察も半ば放置していた案件ですから、容易に首を突っ込めたのでしょう。……まあ、解決できたこと自体は単なる幸運という噂ですが」
「ふぅん。ま、いいや。せっかくだし、この事態をどう華麗に解決してくれるのか……高みの見物と洒落こみましょうか」
*
とは言ったものの、
「気になる……」
引き続き室内待機を言い渡され、現在は同室の真里奈と一緒に軟禁状態。
倉崎は、さっきまで同じ部屋にいたが、つい先程探偵さんに事情聴取に呼び出されて今はいない。
しかし、さっきは特に何も考えずに倉崎を送り出したけれど、
「ああ気になる……」
目前でリアル探偵などという怪しげな存在が孤島の洋館でそれっぽい雰囲気を漂わせて殺人事件を推理している。
そう思うと、何だか居ても立ってもいられない気分になってしまう。
「メッチャ気になる……」
珍しく、持ってきたゲームも上の空。
ぶっちゃけ某巨大掲示板にスレ立てて現場に凸リたい気分だ。
……持ってきた携帯は圏外で、この洋館にはLAN環境もないけれど。
「いや、むしろ今すぐ現場に突撃しようかしら」
「え、行っちゃうんですか? ……もう倉崎さんが行ってますし、帰って来てから倉崎さんに聞けば――」
「せっかくなら自分の目で現場を見てみたいじゃない」
「…………普段は外に出たがらないくせに、どうしてこういう時は元気なんですかねこの人……」
「真里奈、なんか言った?」
「いいえなにも」
「でも、探偵さんは外に出るなと言っていましたよね? ここは、探偵さんに従っておいたほうが……」
「そういうのは無視すればいいの」
「無視しちゃうんですか!?」
そう言いながら私はジャージ姿のまま、部屋の鍵を手に扉を開けて玄関に出る。
「じゃ、私は行って来るから」
「ってちょっと待ってくださいよ! 私も行きますー!」
慌てて付いてきた真里奈が部屋の外に出るのを確認すると、部屋の扉を施錠。
人気のない廊下を早足に歩き、ホールに向かう。
「お嬢様……ほんとに大丈夫なんですか?」
「見つかったらつまみ返されるだけでしょ。どうせ暇なら、それもお楽しみのうちよ」
「おお、確かに」
これで納得しちゃうあたり真里奈も相当残念な頭脳よね……とかふと思うがとりあえず口にはしない。
「じゃあ、探偵様の名推理を拝見といきましょうか」
くるくる、と手の中で鍵を弄びながら、私は探偵の勇姿に期待しながらホールへと早足で向かうのだった。
*
ホールではまさに探偵がパーティの招待客を前にご高説を垂れているところだった。
「つまりは」
私とメイドはぎりぎり声の聞こえる位置、ホールの端の柱の陰から、こっそりとその場を伺う。
「この中にいる人間にしか細工は不可能、と言うことです」
「私はやってないわよ!!」
「何だよ! お前に決まってるだろう!?」
どうにも状況が掴めないが今まさに推理中らしい。犯人はこの中にいるってまたベタな展開ね……
しかし、責任のなすりつけ合いがを目の前で見るのはあまり気分のいいものじゃない。
キャンキャンお互いに吠えまくっている招待客に、探偵は「落ち着いてください」と制すると、
「いいですか。……アリバイがなく、またパーティのあの混乱の中、誰にも見られることなくワインに毒を入れられた人間、それは――」
探偵は群衆の中の一人を指さすして言った。
「井狩さん。あなたが犯人です」
おお、犯人が断定された。
「ふざけるな! アリバイがなくて動機があるからと言って、人がそんな簡単に人を殺すだと!? ふざけた話があるか!!」
……いや大体はアリバイがなくて動機があったら十分に犯人くさいですが。
「だいたい、アリバイがない奴なら、他の奴らも居るじゃねぇか!」
「確かに、他の人にもアリバイはありません。ですが――」
……え、いるんだ?
「彼と知り合いで、前日に口喧嘩した貴方意外に、被害者を殺す動機を持つ人間が居るとは考えられません」
知り合いと喧嘩……喧嘩の度合いにもよるけどそれはもしかして……
「多田山とは、ワインの銘柄の好みで少し口論になっただけだって言っただろうが! そんな下らないことで親友を殺すほど落ちぶれちゃいねぇよ!」
……前言(心の声だけど)撤回。
なるほど、そりゃ確かにあの探偵ちょっと頭おかしいわね。
「状況証拠はあなたが犯人だと告げています――諦めて、真実を話してくれませんか」
「冗談じゃない! やってもいない殺人の真実を話せるわけがないだろう!!」
そりゃそうですよね。もし本当にやってないのだとすれば、悪魔の証明。やってない証明はできない……
「仕方がありませんね……どなたか、彼をどこかに軟禁しておいてください。念のためです」
「ちょっと待て、ふざけるな! 正気か!? 俺は無罪だぞ!」
「騙されませんよ。他に犯人になりうる人はこの島には居ません。ですから、貴方が犯人で間違いありません」
え、ちょっと決めつけちゃっていいの?
「待て、おい使用人共! 俺をどこに連れていく気だ!? 離せ、糞ったれどもが! 冤罪だ! 俺は無実だあああああああ!!」
そして井狩さんは場から連れだされ――
「なんか、三流探偵小説見せられた気分ね……」
「覗き見に来てなんですけれど、正直真里奈もこの展開はないわー、と思いました……」
私たちは柱の後ろで、妙にげんなりするハメになったのだった。
*
さて、げんなりしながら帰る夜道。
「お嬢様。今日はもう寝ません?」
「そうね……妙に疲れたし。さっさとシャワーを浴びて――」
気だるげに真里奈と雑談を交わしながら自室へ向かって廊下を歩いていた、その時。
『キャアアアアアアアアアアア!!』
私たちの耳に、女性の悲鳴が飛び込んできた。
「お嬢様? これって……」
「第二の事件……かしら」
「どうします? 現場に行ってみますか?」
「……死体はグロイから見たくない」
「変な所でウブですねお嬢様……グロ画像なんかネットでさんざん踏んでるじゃないですか。まだ耐性できません?」
「リアルで見るのとは違うのよ。……見てきてくれる? 私は部屋で先に寝てるから」
「うっわこの人、他人にリアルグロ画像見に行かせておきながら自分は先に寝る宣言とか超鬼畜ですね!」
「いいじゃない。眠いし」
「これまた思いやりの欠片もないお言葉を……わかりました。真里奈は可愛いお嬢様のために、身を粉にして働きますよーだ」
「……ありがと。そんな真里奈が、大好きよ」
「あ、百合はお断りですんで私」
「せっかくデレてあげたのにマジ返しされた……」
「イジワルのお返しです。んじゃ、行ってきますねー」
「ええ。よろしくね」
そう言って真里奈を見送ると、私はのんびりと部屋に向かって歩きながら、
「さて。部屋に戻ってさっさと寝ましょうか」
*
……と言いつつ寝れないあたりが私クオリティ。
部屋に帰ってシャワーを浴びて、寝間着用のジャージに着替えて、ベッドに横になるまでは良かったのだけれど。
……死体は見たくないけど展開は気になるのよね。やっぱり。
というか鍵は私が持って帰ってるから、このまま鍵をかけて寝たら真里奈が廊下で寝るハメになるのよね。
さすがにそれはあんまりだが、さりとてこういう状況下で鍵を開けっ放して寝られるほど、私もバカでもない。
結局そのままグダグダとベッドの上で、ダンジョンを掘りつつ勇者を袋叩きにすることに。
それからどれだけの時間が経っただろうか。そろそろ本格的に頭がぼんやりしてきた頃。
小さく扉を叩く音、そして、
『お嬢様~ 起きてますか~? って起きてるわけないですよね……』
小さな声だが、真里奈の声。
掛け時計を見れば、時間は午前二時。ようやく片が付いて帰ってきたらしい。
『うああ完全にミスったぁ~…… こんな事なら、半分寝たままのお嬢様を背負って歩いたほうがまだマシだった……』
真里奈も鍵の事はすっかり失念していたようだった。
しかし、『一緒に帰る』という選択肢にならないあたりあの子も律儀なのか、本性では野次馬なのか。
「はいはい今開けるわよドジっこメイドさん」
『へ!?』
「お疲れさま。状況は――うわっ!?」
扉を開けた瞬間、涙目のメイドが飛びついてきた。
「ふえええホントに今晩は廊下で寝ることになるかと思いましたよぉ!」
泣きながら私の胸に飛び込んできた真里奈。
「ああ、ごめんなさい。私もすっかり忘れてて」
「ひく……殺人犯がうろうろしてる館の廊下で寝るかと思った時は、さすがに真里奈死を覚悟しました……」
「うん、だから起きてたじゃない。ね、大丈夫大丈夫」
「はい。……ありがとうございました」
涙目でこちらを見る真里奈。
……なんか妙に可愛いんだけど。どうしようこれ。
いやどうもしないけど。しちゃダメだけど!
「うん、ほんとにごめん……」
真里奈にシャワーを浴びさせ、落ち着かせてから、
「ええと……とりあえず何があったか教えてもらっていい?」
「えっと、じゃあ結論から言いますね」
「ええ」
「殺されてました、館の主人が」
……ここで主人殺害とは。
お約束といえばお約束。館の主人は殺される。パーティなどを主催していれば特に致死率高し。ま、わりとよくあるパターンだ。
「なかなか王道のニオイがしてきたわね」
「すいませんちょっと言ってる意味が……」
「で、殺され方は? 今回も毒殺だった?」
「いえ……どこかで見たことあるような金属製のトゲ付き撲殺バットで、盛大に頭部を粉砕されていました」
「頭部破壊ってことは、本当に主人かどうかはわからないってことよね?」
「一応館の使用人さん曰く服装と背格好は主人っぽい、らしいです」
「ふぅん……しっかし、本格的に『太平洋の孤島・呪われた洋館の連続殺人事件』っぽくなってきたわね」
「ですね……なんかそれ、探偵漫画の前後編でやってそうなタイトルじゃないですか? あと夏休みスペシャルとか」
「あー……確かに」
「でも、こうして考えてみると、何だか有り得そうじゃありませんか?」
「何が?」
「探偵あるところ、殺人事件あり……」
「まあねぇ……頭脳は大人のバーロー探偵くんは死神と言われるほどだし?」
誰かさんの孫もそうだけど、体が子供な方は連載期間と単行本の数が桁違いだからねぇ……
「……この館に現れた彼もまた、その『探偵』なのでは」
「何よ、その『彼もまた能力者なのだ』みたいな話は」
「だっておかしいじゃないですか。孤島の洋館に探偵が来たからって何もホントに事件が起こらなくても……」
「いや単なる偶然でしょ」
まあ孤島の洋館に探偵、んでもって殺人事件は、ある意味お約束――というか偶然にしては冗談のように出来すぎの事態ではあるのだが。
「いえ……きっと探偵さんによって、場の空気というか怨念的なものが増幅されて殺人事件を誘発――」
「いやいやいやそれは流石にないでしょ……」
真里奈の中の探偵は一体どんな生き物なのか。
「いえ、探偵さんだって半ば都市伝説のような存在ですし、ひょっとするとその存在自体何か見えない力が――」
……などと、以下真里奈作の『都市伝説・探偵と殺人事件』を聞かされながら、私はその日の疲れがピークを迎え、話の途中で寝落ちたのだった。
*
十二月三十一日。朝……には起きれなかったので、昼前。
どうも先祖伝来らしい私の無駄に図太い精神は、殺人事件が起こったとか全く意に介さない感じで、私をいつも通り爆睡させてくれました。
おかげで気がついたらこんな時間ですよ。ええ、いつも通り。
「……ようやく起きましたか、お嬢様」
「おはよ、真里奈……ふぁ」
「もうなんかお嬢様ビックリするぐらいいつも通りですよね……」
「?」
「いえ。とりあえずお嬢様が寝てる間に割と事態が進展してたので……寝起きのお嬢様見たらいつも通り過ぎて何だか妙に安心するというか」
「なんだか腑に落ちない言われようだけれど……それより、事態が進展したって、どんな感じに?」
「ええ、それがですね――」
そして少しもったいつけるように溜めてから、真里奈はこちらを真っ直ぐ向いて、真剣な口調で言った。
「探偵さんが、殺されてました」
*
さて。
お約束全開なこの展開についにイレギュラーが発生しました。
「まさか探偵さんがこんな早期に殺されるなんて……」
現実って怖いね。
というかよくよく考えれば、まず自分の動きを嗅ぎまわってる探偵を潰しにかかるというのは案外合理的な判断なのかもしれない。
リスクはそれなりにあるが、成功すれば自分の圧倒的優位が確定するし、探偵という精神的支柱を失った人々は恐慌状態に陥るというおまけも付くかもしれない。
というか、大体最終的に探偵を潰しにかかったせいで返り討ちに遭うのがミステリー……と言うか探偵モノのお約束の一つなんだけど。
劇場版とかね。
「犯人もやってくれたわね……」
これで、犯人を止められる人間はもう誰も居なくなった。
……あの探偵が役に立つかどうかと言われれば、それも『微妙』としか言い様がなかったけれど。
「でもこれで殺人事件も止まるかもしれませんよ」
「何で?」
「殺人を誘発する『探偵オーラ』が――」
「オーケー、もういい喋るな駄メイド」
「ふえええ!?」
「とりあえず、ホールに行きましょうか。真里奈でさえそんなテンションなんだとしたら……多分皆さん恐慌状態なんでしょうね」
*
洋館メインホール。
そこで繰り広げられていたのは、まあ大方予想通りの光景というか何と言うか、
「もう嫌よ! こんなところに居たくない! 私たちは帰るわ!!」
「そんな事言って、あんたが犯人なんだろう!? 一人だけ逃げようってそうは行かないぞ!!」
「何よ、そういうアンタだってあたしを殺そうとして、そう言って引き止めてるんでしょう!?」
「もうおしまいだ! 私たちは皆殺されるんだ!!」
まあ、解りやすく言って恐慌状態。皆さん疑心暗鬼に取り憑かれ喧々囂々。
口汚く罵る者、絶望に暮れる者――反応は様々だが、一様に不安が爆発しているようだった。
というかおばさん、ここに居たくないとかそれ死亡フラグですよ?
「どうします、お嬢様?」
「そうねぇ……こんなことになったらパーティどころじゃないし……明日死亡フラグご一行が無事脱出できたら撤収しようかしら」
「……脱出できない可能性があると?」
「そうね。例えば突然台風が来てヘリも船も出せなくなるとか」
「? 台風ってどういう事ですか? 今は冬真っ盛りですよ」
「あくまで例えよ。この手の状況で、あちらさんがこれ以降も殺人を繰り返す目的なら、私たちをこの島に封じ込める手を打ってくるはず。例えばそれは台風の襲来を予測したものであったり、もっと直接的なものだったり」
「そんなモンですかね……」
「RPGのなぜかジャブジャブ渡れない川とか、魔法か何かで壊せそうなのに壊せない壁とか」
「ああ……」
それで納得した真里奈も真里奈だが、まぁそんなモノだ。
誰かの意図のもとで殺人事件が起こっているのなら、その意図に反する行為は、犯人の意図の下、可能な限り封じ込められるだろう。もしそれに逆らえば、狙われていようがいようまいが関係なく妨害を食らうはず。
逆に、意図に反しない限りは、ターゲットでない限り安全は保証される。この場合、最初の犠牲者と主人で殺人が終わりならば、妨害する必然性もない。
「ま、言い方は悪いけれど、あのおばさんたちの暴走は、犯人の意図を図る格好の試金石になるってことね」
脱出が意図に反する行為ならば、あの死亡フラグのおばさん一行がえらい目に遭う事だろう。それも、洋館の面々に対する見せしめの意味も込めて。
意図に反しないならば、彼女らは何の問題もなく家に帰れるというわけだ。
「ま、彼女らには悪いけど、他人の忠告も聞けるような状態じゃなさそうだし、せいぜい利用させてもらいましょう」
「お嬢様、さりげなく非道ですね……」
「緊急事態には道義は二の次よ」
この状況下では何の間違いで殺されるかわからないしね。用心は大切です。
*
……はたして、死亡フラグは達成されました。
ご一行はヘリに乗り込んだ直後にヘリごと爆破されたということらしい。同時に、他の客のヘリやクルーザーなどもまとめて爆破されたらしく、洋館からもその黒煙は見て取れた。
「まさかマジで殺しにくるとは思わなかったわ……」
「そうですね……もし私達も行っていたら最悪爆発に巻き込まれていたかもしれないですね……」
そう言って、真里奈が部屋のベランダから、黒煙を吹き出すヘリポートを見下ろしながら、
「あの煙で誰か救助に来てくれないですかね……」
「無理でしょ。そもそもその可能性があるなら犯人が最初っから爆破なんてしないでしょ」
「確かに……」
「……ともあれ、これで本当に帰れなくなったわね」
「ということは、お嬢様の推理の通り、まだこの中にターゲットが残っているということでしょうか」
「でしょうね。ここまで派手にやった以上、相応の数は狙うはずよ」
少なく見積もって三人は間違いないだろう。単なる勘だが。
「これで、下手に嗅ぎ回ることもできなくなったわね。探偵を真っ先に潰すような犯人のことだから、下手に嗅ぎ回ったら速攻でマークされて消されるわよ」
「確かに……じゃあもう、あんまり表立って動き回れないということでしょうか」
「そうね。……今回の件で解ったでしょ? 犯人の意図に反する行為をしたら、向こうは容赦なく殺しに来る」
ごくり、とメイドが喉を鳴らすのが聞こえた。
「ま、幸い自家発電機は止まっていないようだし……」
「どうするんですか?」
「大人しく部屋に引き篭ってゲームでもしましょうか」
「えええ!? いいんですかそんなところに落ち着いちゃって!?」
「だって、できることなんか何もないじゃない」
「いえまあそうですけど……もっとこう、『安楽椅子探偵』的な方向性で行くのかと」
「ちょっと冷静になりなさい真里奈。私たちは一般市民よ? 金持ちだけど」
「そうですね。お嬢様は金持ちですけど」
「だから、下手に事件に首突っ込んだら痛い目を見るだけ。愛と勇気で世界を救えるのはフィクションの中だけよ」
「ですね……」
「そう。私は探偵でもなければ、貴女はその助手でもない。だから今私達にできるのは…………ゲームよ」
「最後の一言でものすごい情けない台詞になりましたね、今」
「だまらっしゃい」
「でも、大丈夫なんですか? もし万が一狙われたりしたら……」
「大丈夫、大丈夫。私ターゲットじゃないし」
「何さらっと当たり前のように宣言を……」
「だって私よ? 恨みを買う覚えなんてないもの」
「そうなんですか?」
「考えてもみなさいよ。そもそも部屋から一歩も出てないのに、一体全体誰に恨みを買うってのよ」
「…………。……………………ああ」
なんか憐れむような目で見られたが無視して言葉を続ける。
「ということで。部屋で大人しくゲームして待ちましょう。多分それが一番よ」
「ですね……まあ限りなく後ろ向きですが」
「後ろに向かって前進よ」
「物は言いようですね……」
そしてこれが、私と真里奈の、めくるめく携帯ゲーム機タイムの始まりであった。
*
『イャァアアアアアアアアアアアアア!?』
ゲーム開始から一時間が経過した頃、私と真里奈は協力してモンスターのハントに興じていたが、不意に金切り声が耳に入った。
「お嬢様……今……」
「倉崎」
「は」
名前を呼ぶと、いつの間にか側に控えていた倉崎がすぐに飛んでいった。
「真里奈もアレぐらい有能だったらね……」
「失敬な。半ばゲーム廃人のお嬢様と一緒にゲームできるぐらい有能なメイドはそうそう居ませんよ?」
「残念なメイドの間違いでしょう」
「酷いですね!?」
そんなやり取りをしながらしばらくゲームをしていると、
「只今戻りました」
「あ、お疲れ倉崎。……どうだった?」
「メインホールで井狩宣治氏(56)が何者かに、ホールに飾ってあった猟銃で撃たれて即死していました」
「へー……ありがと。もういいわよ」
「は」
それだけ言うと、倉崎は数歩下がり、それから彼の存在感は空気の中へ掻き消えた。
……毎度思うけど、彼は一体どんな能力者なのか。
会話には全く絡まないが、呼ぶと現れる。いや普段から側に居るんだろうが、それまでは存在を知覚できないという高等テクの持ち主である。
これが一流の執事の力かーなどと思い、それから井狩さんとやらに思いを馳せる。
「やっぱり殺されたのね、井狩さん」
「そう言えば犯人にされちゃってましたっけ。集団から離されてましたし、狙いやすかったんですかね?」
「ま、セオリーね。集団から離れたら殺されやすい。そして、容疑者が殺されるっていうのも、ミステリー的には推理を混乱させるのに使われる古典的な手だしね」
「真里奈たちは解く気ゼロですから関係ないですけどねー」
「まあねー」
そんなグダグダな会話をしつつ、私たちは再びゲームの世界にのめり込んでいった。
*
そしてしばらくの間――具体的にはおよそ八時間のうちに、ほぼ同様のやり取りが延々と繰り返されることになる。
気晴らしに核搭載二足歩行戦車(プロトタイプ)を潰しにかかっていた時に、
「成宮新司・和子夫妻が自室でインテリアの西洋剣にめった刺しに――」
「へー」
三国志時代の中国を舞台に無双しまくっていた時に、
「浅賀英夫氏(54)が自室の浴室に沈んで――」
「ほー」
厨二病全開のファンタジー世界で、ちょっくら世界の危機でも救おうかと言う時、
「福浦正雄氏(49)が二階のトイレでバラバラに――」
「ふーん」
せっかく持ってきたしと大してやりこんで居ないレースゲームを始めたとき、
「岡野春男氏(74)が――」
――中略――
そして現在。そろそろ一周してまたモンスターでも狩ろうかという時、
「お嬢様」
「あ、なに? また死んだ?」
もうそろそろ死亡報告を聞き慣れてきてもう何とも思わなくなっていた。今何人目ぐらいだっけ。
「はい。これで、十五人目です」
「あーすごいわね。さっき二桁超えたと思ってたら、もう十五人目なのね」
意識はもう完全に他人事モード。今はこの有り余る暇をどう潰そうかという方向に頭脳が全力回転している。
「……お嬢様。お嬢様には危機感と言うものがないのですか」
「危機感って?」
「下手をすれば、次はお嬢様の番なのですよ。もう少し危機感を――」
「大丈夫大丈夫。どうせ私なんか殺しに来る奴なんて居ないって」
「…………」
「おいメイド。お前からも何かお嬢様に言ってやれ」
「はあ。ですがぶっちゃけお嬢様の言うとおりターゲットが全員殺され終わるまで大人しくしてた方が安全かと」
「……………………」
あれ、何か倉崎のオーラが怪しげですよ?
何と言うか、私たち二人まとめてどうしようもない生き物認定された感じ。
「……ですが、いままでのたった八時間で十人ですよ? ――ただの殺人犯にしては、どう考えても明らかに異常な数です!」
珍しく倉崎がなにか妙にイライラしている。何をそんなにカリカリしているんだろう。カルシウムが足りてないんだろうか。
「まあまあ倉崎、落ち着いて。私のゲーム機を貸しましょうか? 例の二画面の方の」
「あ、なら真里奈脳トレ持ってますよ脳トレ。ちょっとやってみませんか?」
「…………あのですね……」
……何だかすごい勢いで倉崎が青筋を立てているんですが。
何か悪いことしたっけ。
「お嬢様――」
そう言って倉崎が何かを言いかけようとした瞬間、
『黒田さん! 開けてください! お願いします!』
外からそう叫ぶ声が聞こえ、連続してこの部屋のドアを叩く音が聞こえる。
「――? 誰でしょうか」
『居るんでしょう!? 黒田さん!』
「……私にお客?」
「もしかして、いよいよお嬢様の番なのかもですよ?」
「茶化すなメイド――私が出ます。お嬢様は下がっていてください」
「はいよ。任せた」
倉崎が扉を開けると、くたびれたサラリーマン風の男が飛び込んできた。
歳は四十前半といったところ。父の交友関係から推測すると、おそらく課長クラスだろう。
その男が、顔面蒼白で、必死の形相でこちらを見る。
眼前に倉崎の姿を見ると、
「黒田さん! 黒田茜さんは――」
「黒田茜は私だけど……どうしたの? そんなに慌てて」
すると、
「お願いします! ……許してください!!」
そう言って彼は、突然その場で土下座した。
「………………………………はぁ?」
あまりの突然の出来事に、私はその場で呆気にとられるしかなかった。
「……許すって、何を?」
「私が悪かったんだ! だから、どうか、家族だけは……許してください!」
まったく聞いちゃいない。
「娘は……小学校に上がったばかりなんだ! 家族には何の罪もない!」
うんまあ普通は家族に罪はないだろうさ。
というか娘さん小学一年生なのかー。そりゃ可愛いさかりよねー。
……ではなく。
「ちょっと話が見えないんだけど……一体私は何について謝られて、許しを乞われてるのかしら?」
「お願いです。ほんの出来心だったんです……だからどうか……どうか……」
もしもーし。
「だから貴方ね、ちょっとは人の話を――」
そう言いかけた瞬間、突然ドアが開いて、
「死ねぇ黒田ァ――――!!」
「はぁ!?」
ナイフを持った、土下座とは別の男が部屋に飛び込んで――
即座に倉崎に捕まり地面に叩きつけられた。
「ぐはぁっ!?」
そのまま組み敷かれ、右肩を外され無力化される男。
「あの……いきなり過ぎて、真里奈ついていけないんですけど、一体何が起こってるんですか?」
「私もよ。……とりあえずこっちの土下座がなにか必死に謝ってて、そっちのナイフは見ての通り私を狙ってたらしいわね」
土下座はともかく、ナイフ男はひょっとして今までの殺人犯だろうか。
……いや、それはないわね。
少なくとも、今までの手口からすれば、明らかに稚拙な手であることは、素人目にも解る。
とりあえず飛び込んで、しかも刺す前に大声上げて叫ぶとか、あんなに鮮やかに連続殺人を決めた犯人とはとても思えない。
「とりあえず、お二人さんには落ち着いてから話を聞くしかないわね」
*
魔王を三十秒で駆逐して世界を救うだけのルーチンワークを延々こなしながら、たっぷり三十分。
ようやく彼らが落ち着いた所で、事情聴取を開始した。
「はい。まず土下座さんからお話を聞こうかしら」
「いえ、自分は橘と言います……」
「ああ、はい土下座の橘さん」
「…………」
土下座の橘さんが一瞬なんか変な顔で私の方を見たが、とりあえず無視。
「で、『許して欲しい』っていうのはそりゃもうガンガン伝わってきたわけだけれど……私は生憎と、貴方に許さなきゃいけないことをされた覚えがないのよ。もしよろしかったら、貴方が何をしたか、教えてくれますか?」
「ですが――今回のことは……貴女の差金なのではないですか!?」
「……はい?」
「ですから――今回の殺人事件は、全て貴女がやったことなのでしょう!?」
「はあああ!?」
何それ。私も初耳だよ。
「ちょっと待ってください……なぜ私が貴方や彼らを殺さなければならないんですか」
理由も動機もない。ってか後半なんか完全にゲームに没頭して無視してたレベルなんですけど。
「それは……僕たちが黒田家を裏切ったからでしょう!」
「え、そうなの?」
「そうなんです……本当に、ご存じないのですか?」
「ええ、全く」
「馬鹿な事を言うな!!」
突然、横で黙っていたナイフさんが大声で叫びだした。
「うわ……馬鹿な事とは何ですか。私は――」
「黒田の娘が! この場にいながら何も知らずにのうのうしている筈がないだろう!」
かっちーん、な言い草ですが、まあ半勘当状態ですし、何も知らないのは仕方ないといえば仕方がない。
けれど、繋がってきた。
『黒田』『許す』『殺人』『知らぬはずはない』
これらのキーワードが指すところは……
「つまりお二人は、私が黒田家の代表としてここに来て、裏切り者を殺して回っていると仰りたいわけね」
「……はい」
「その通りだろう!? 知らんフリをしても俺は騙されんぞ! その冷めたツラの下で一体何人殺したと思って――」
「倉崎。話が進まないからちょっと黙らせて」
「は」
「――そもそも俺が会社の金に手を付けたのもテメェらが――ギグェ!?」
組み伏せた態勢のままだった倉崎がちょっと首を捻ると、カエルをひねり潰した様な変な声を上げて、ナイフさんは黙った。
横で土下座の橘さんが本気でビビり入ってたが、まあ気にしない方向で。
「……で、私……というか黒田家ね。土下座の橘さん、貴方、黒田家に恨まれるようなことを何かしたの?」
「はい。僕は黒田重工の先進技術開発研究所に居たんですが……この間、ヘッドハンティングにあいまして……」
「ヘッドハンティングってアレ? 競合他社から引き抜かれたってこと?」
その言葉に彼は、はい……と力なく頷き、言葉を続ける。
「僕のいる部署には要領のいい先輩がいて……それで、彼が全部僕の研究成果を自分のものとして発表してしまうんです。僕は何とかして自分の研究だって言うんですけど……結局大事なところの詰めは先輩が居ないと出来なかった研究ばかりなので、僕も強く言えなくて……そのせいで出世もできず、この歳になってもヒラのままで……」
「それで……ヘッドハンティングに乗ってしまったと」
「今開発中の新技術を含め、僕が過去発明した特許や研究のデータを持ってくれば……給料は今よりも二十万上がる好待遇で僕を迎えてくれるって言うんです! これから娘の教育費も要るし、家のローンだってある……そんなの、乗るしかないじゃないですか!!」
「ふむふむ。……だけど、それは黒田家に対しては利敵行為になる。だから黒田家に消される……と考えたわけね」
まあ、短絡的すぎるが論理的ではある。間違ってるけど。
「で、そっちの絞められたナイフさんは?」
「田辺だ!!」
「あ、はい。田辺ナイフさん。さっき会社の金がどうこう言ってませんでしたっけ」
「田辺だ!! ぶっ殺されてぇか!?」
「黙れ下郎」
瞬間に、田辺ナイフさんの上に乗っていた執事が、ぐりっと首を絞めた。
「ぐげぇ!?」
「はいはい汚い言葉には注意しましょうねー 危ない執事さんが上に乗ってますからねー ……で、会社の金をどうしましたって?」
「ぐ、ゲホ……ッ……っはぁ……っ会社の金をちょろまかしたんだよ! ……百万ほど」
何と言うか、さっきに比べてなんとも残念な理由……
「俺は誰よりも働いてたし、誰よりも契約を取ってきてた……それなのに――」
「それなのに?」
「――テメェの親父の、『その汚い言葉遣いが気に食わない』……この一言で俺は、一発で窓際に飛ばされたんだ! 今じゃ社内で雑用すらさせてもらえねぇ、飼い殺し状態さ」
うんまあ個人的に言わせてもらえれば私もそう言う汚い言葉はちょっとアレですが。
「だから会社の金をちょろまかして……年度末にはトンズラしようと思ってた――その矢先にこれだ!」
あれ?
なんかさっきの話とダブってきましたよ? デジャヴ?
「テメェらは、自分の気に入らないものはそうやって自分勝手に始末する、ゲス野郎共だ! 俺はテメェらのみたいな脳髄まで腐れ切った、いけ好かないツラした野郎どもを絶対に許さねぇ!!」
あ、ちなみに女性の罵倒語は、正しくは『野郎』ではなく『アマ』です。
ってどうでもいいですね。はい。
……まあつまりは、
「やり方は違えど、お二人とも、結局会社の金や財産を持って逃げようとしたわけですね」
「……そうなりますね」
「……ああ」
「でもそれだけで何故私――というか黒田家が犯人だと? 別に黒田家は暗殺で有名とかそんな訳でもないでしょうに」
「居たんですよ、他にも、たくさん」
「……たくさん?」
「ええ。僕の知る限り、僕とそこの彼以外にも五人います。……彼らとは、不安でひとつの部屋に集まっていた時に話したんですが、そしたら……」
「そしたら?」
「一人の……年配の方が言ったんです。『これはきっと、黒田の金に手を付けてしまった天罰なんだ』と」
まあ、確かに危機的状況に陥ると、なんとなく思い当たる節をそれっぽく拡大解釈して直結させることってありますよね。
……って、また黒田?
「ちょっと待ってください……貴方や、彼の他にも居たんですか? そういうのが」
「他にもどころか……僕の部屋に居た全員は、何らかの形で、黒田家や黒田グループの会社に対して後暗い所があったんです」
うっそぉ……
「俺の部屋に居た四人も……全員黒田に対して何かしらやらかしてる奴らばっかりだった」
「それで……私がここに来ているのは誰が知ってたんですか?」
「僕は、最初に事件が起こった時、容疑者候補だったんです。その時に証言していたそこの執事さんが、黒田家次女の茜さんの執事だと……」
正確には私ではなくあの男の執事だけれども、まあ今はそうね。
「そっちのは?」
「……俺の部屋には、正上っていうオッサンが居たんだ。そいつが『パーティには黒田の娘が来ていた。きっとアイツが全部裏で手を引いているに違いない!』って」
「とことんまでハタ迷惑ねあのオッサン……」
どこまで他人に嫌がらせしたら気が済むのだろう。
というかまだ生きてたんですねあの人。てっきりさっきまでの連続殺人のどさくさで死んだものかと。
「とりあえず、私が犯人説の反証を上げさせてもらいますが……まず私は黒田の屋敷でニートしてるだけの穀潰しで、親やら親戚筋からは半分居ないものとして扱われているのが現状です」
「え……」
「……そうなのか?」
「ちょっと見たら解るでしょう? 会社の跡継ぎかなんかで、殺人の音頭を取ってるなら、こんな場所でくたびれたジャージ着てゲームなんかしてませんよ普通」
そう言って堂々とダメ人間宣言する私を、横で真里奈が哀れなものを見る目で見ていたが、いつものことなので無視。
「……確かに」
「いや、そう言う金持ちだっているかも知れねぇじゃねえか! 天才タイプとかいうのはみんなそう言う――」
「漫画の読みすぎよ目を覚ましなさい」
「じゃあ黒田さんは……」
「残念ながら何も知らないし解らない。下手に嗅ぎ回ったりアクション起こすと殺されそうだから、今は部屋で大人しくゲームしてるだけのダメ人間よ」
「そうですか……」
「ふん……命拾いしたな」
何だか残念そうな、安心したような複雑な表情の土下座の橘さんと、とっても負け惜しみ的な事を言ってる田辺ナイフさん。
いや命拾いしたのはあんたの方でしょう……
「まあそういう訳ですから、とりあえずお帰りになっていただけますかね?」
そう言うと、二人は仕方ないといった様子で頷き、出ていった。
「しっかし……私が疑われるとはねー」
「確かに、殺人の起きてる現場でベッドに寝っ転がって呑気にゲームやってる姿って、ある意味ラスボスですよね」
……ナイフさんも言ってたが、確かにそれはよく見るパターンだよね。
部下が人殺した報告に、お菓子でも食べながらきゃっきゃ言ってる子どもっぽい天才系ラスボスとか。
「私はただの一般市民なのに……」
冤罪ですよマジで。
まあ、数分と経たないうちにあの二人ともバールのようなもので頭を殴られて死んじゃったのですが。
疑われるなんて本当に心外よね。
*
……さて、聞きなれた悲鳴と倉崎の事件報告を聞き終わってから、私は本格的に事件について考え始める。
「犯人は、誰なのかしらね?」
こうなってくると本当に黒田に関わりのある人間を排除できなくなってくる。
いくら何でも、そう都合よく不正した人間が集まるなんてことはないはずだ。
……何者かの手によって集められた?
だが、そもそも主催者自身が殺されているので、主催者が犯人という線は消える。
もっとよく考えてみよう。
「そもそもこのパーティって、何のパーティなの?」
「さぁ? 私は――」
「倉崎は知ってる?」
「せめて最後まで喋らせてくださいよっ!?」
「は……ご主人様からは、主催者の気まぐれで開かれた、業界横断の懇親会を兼ねた忘年・新年会だとしか」
「にしても、出席者が黒田グループに偏り過ぎじゃない? 高校の頃に連れまわされたパーティで見たような人もちらほら見かけたし」
「私からは何とも……」
……倉崎にも情報なしか。
けれど、何かが引っかかる。なんだっけ、そう……
黒田と関わる、何か大切な情報を事前に聞いていたような――
そのとき、ふっと出発前に聞かされた言葉を思い出した。
あの男が言っていた、アレは……
『血縁者なら誰でもいいから寄越してくれ』
……そうだ。
だからそもそも私はこんなところに来るハメになったのだ。
「……ねえ倉崎。このパーティって、そもそもあの男が来るに値するようなものだったのかしら」
「どうでしょうか。……少なくともここは、主人が招待されるような普段のパーティなどよりは、むしろ社員の懇親会に近い雰囲気は感じますが」
そうだ。
出席者の挨拶は右から左だったが、どれも中小か、父のグループ企業の……せいぜい部長か。その程度だ。
いつも……と言ってもニートになる前、高校生の時に連れていかれたパーティは、それこそ大企業の重役や、下手すると会長クラスが挨拶に来るレベルだった。
私が来るにはこの程度で良いだろうが、本来は父を呼ぶはずだったパーティが、この程度のものであるはずがない。
いや、逆に考えれば、
「あの男を呼ぶつもりが、最初からなかった……?」
そういえば、これだけ熱心に呼ばれておきながら、しかし冒頭の挨拶はあっさり拒否できてしまった。
その時点でおかしい。何としてでも黒田の血縁に来て欲しかったなら、折角呼んだ黒田の人間に挨拶ぐらいはさせたいというのが主催者の普通の思考だろう。
それが、一回拒否しただけで引き下がったのだ。
……おかしい。
おかしいおかしいおかしい。
引っかかると止まらなくなり、このパーティすべてが怪しい物に見えはじめる。
「主催者は……誰だったかしら」
「大原茂です。どこぞの大企業の取締役で、この島のオーナー、だったと」
倉崎の答えたその名前に聞き覚えはない。少なくとも父の交友範囲にはない名前。
知らない人間。
だが、もし彼もどこかで黒田に関わりのある人間だとしたら?
もしかしたら、私も知っている相手かもしれない。
「主催者……大原茂。見た目は……さして記憶に残ってないけどよくある中年太り。顔はもう思い出せない。で……」
順番に思い出していく。引っかかるところはないか。思い出せるものはないか。
そして、
「あ…………」
唐突に。
……ほんとうに偶然に、思い当たる節があった。
声優の七色の声色すらも聞き分け、一言二言から名前を言い当てられる、鍛え抜かれたアニオタのダメ絶対音感。それが告げていた。
――私は、『あの声』を、一度聞いたことがある!
いつか、どこだったかで聞いたはず。
時期は……最近?
なら、ここ数年さっぱり外に出ていないから、家の中に決まっている。
家の中ならば何故? どこで?
食卓? 廊下?
そう、そのあたりで聞いた、あの声は。
……あれは、父の腹心の男だ!
高校の頃、何度か顔を合わせたことがあり、話したこともある。
黒田グループの取締役を幾つか兼務し、父の右腕として駆け回っていた、あの男。
ついこの間も家に来ていた、あの声。
……ならば何故、見た目や名前が変わっている?
たまたま声質が似ていただけ? ……いや、そんな事はありえない。
ならば。変装や偽装をしていたとすると、何故その必要が?
いや、そもそも彼は殺されて――
そこでふと、主人が殺された直後の会話を思い出した。
――いえ……どこかで見たことあるような金属製のトゲ付き撲殺バットで、盛大に頭部を粉砕されていました。
――頭部破壊ってことは、本当に主人かどうかはわからないってことよね?
――一応、館の使用人さん曰く服装と背格好は主人っぽい、らしいです。
……繋がった。
ああ。繋がった。
「そうか、なるほど……」
つまりこれは、はじめっから茶番もいいところだったわけね。
「お嬢様? ……さっきからなに一人百面相を……」
真里奈が不審な顔でそう話しかけてきたそのとき、部屋の扉がノックされる音が響いた。
「あれ……こんな時間にまだ誰か――」
そこまで口にしたところで、私の頭に閃光とか種的なものが弾けた。
……そうだ。
真相に近づいた人間は、思わせぶりな言葉を発して読者さんには何も伝えず直前で始末されるという様式美。
「倉崎」
「は」
「正当防衛が成立する程度にね」
「法律の斟酌は必要ありません。お父上の友人には警察官僚も多くいらっしゃいます故」
わぁい、コネ社会万歳。
「わかりました。では、私と貴方と真里奈の安全を最優先に。手加減は必要ありません」
「御意」
そう言うと倉崎は懐から自動拳銃を静かに取り出し、扉に向かって歩いていく。
……うん、まぁツッコまないですよ?『何でさらっとスイス製の傑作拳銃を取り出してんだよ』とか。緊急事態だしね。
「パッと見で判別できるお嬢様もお嬢様で相当アレですよね」
「人の心の声にツッコむな駄メイド」
倉崎はドアを開け――直後に発砲。
相手の応射の音に対し、さらにアクロバティックな動きをしながらドアの向こう、廊下へと消えて行った。
一度に留まらず、断続的に撃ち合う銃声が響く。
というか、単なる『勘』で迎え討て、みたいな指示をしてしまったが、向こうもきっちり銃で武装していたのね……
ま、倉崎は大丈夫でしょう。なんせ公式チートキャラだしね。
「……ともかく、これで一応、今回の死亡フラグはへし折ったわね」
「ですね。倉崎さんがいてほんとによかったです」
私とメイドが安心し、気を抜いた――瞬間。
「ところがぎっちょん!」
ガラスを突き破る破砕音と共に、妙な人影が妙なセリフを発しながら部屋に飛び込んできた。
*
見た目は派手に、決着は一瞬。
ガラスを突き破った人影は、牽制に弾を一発。真里奈は緩んでいたにもかかわらず瞬時に反応し、
懐から、自動拳銃を引き抜いた。
瞬時にセイフティを解除し、ターゲッティングは刹那。二発続けて放たれた真里奈の銃弾は恐ろしいほど正確に人影に吸い込まれ、
「な――ぁッ!?」
怯んだ相手に更に続けて三発。
「――――!!」
そして、倒れ付した相手に真里奈は慎重に近づき、
止めの一発。
銃声の余韻と共に、カーペットに金属の薬莢が転がる静かな音が響き、瞬間の銃撃戦は決着した。
この間、たったの六秒間の出来事だった。
*
しばらく場に沈黙が満ちていたが、ややあって私が口を開き、
「というかあんた、まだ拳銃持ってたのね……」
「そうですね、一応お嬢様の専属メイドですから。……まあ、まさかお嬢様がニートになってから使うことになるなんて想像もしませんでしたが」
そう言って苦笑いする真里奈。
一応これでも、黒田家の雇ったメイドだ。
最悪の事態に備え、ボディガードもこなせるように、雇われてから基本的な訓練は受けさせられている。
だがてっきり、拳銃などもう持っていないものだと思っていたが。
「いやー拳銃なんて久々に触ったからうっかりセイフティ外すの忘れるとこでしたよ」
「全然そんな感じがしない早業だったけど……」
「最初のあれは正直当たるとは思いませんでした」
「……それでよく倒せたわね。こいつなんかプロっぽいじゃない?」
「そうですねー なんとなく夢中でえいってやったらやっつけられた、みたいな」
「なんというか、地味にギリギリの勝利だったのね……」
あっさり決着したから、結構余裕だったのかと思ったけれど。
「……しかし、最初のノックは陽動だったとは。油断したわね」
「ええ。私が居たからよかったものの……危なかったですね、お嬢様」
「でも、これではっきりしたわ。全滅目的かどうかはともかく……先方のターゲットの中に私は入ってるわね」
「でもでも、お嬢様を殺そうとする人なんて……」
「……ちょっと考えてみれば当たり前よね。気付かなかったほうが馬鹿みたい。……いえ、気付きたくなかっただけかもしれないけれど……」
「え、でも、それって……」
「とりあえず行くわよ。暗殺に失敗したと解れば、本気で屋敷ごと爆破されかねないわ」
*
案の定というか。
屋敷は盛大に爆炎に包まれていた。
「お嬢様があんな不吉なこと言うからぁ~!!」
「うるっさい駄メイド! 予言が当たって逃げる時間ができて万々歳でしょーが!」
何とか荷物をまとめ終わって、逃げ始めた矢先に、爆音。
と言うか、部屋から出た瞬間に部屋が爆破された。何このハリウッド。
しかもご丁寧にというか、爆破に使われたのは単なる火薬だけでなく、石油とかオイルとかその手のものを使った焼夷弾も混ぜてあったらしく、本格的に各所から火の手が上がっていた。
それらはちょうど、出入口や各部屋を封鎖する位置で。
「ああもう無駄に手の込んだ仕掛けを……!」
ガチで逃さない、という意思をビンビンに感じた。これはマジに殺しに来てる……!
「あっちもこっちも燃えてますよ~! どこに逃げればいいんですかぁ!?」
廊下の前後を炎で塞がれ当てもなく立ち尽くしてしまった真里奈が泣き言を叫ぶ。
「おそらく出口は全部潰されてるはず――人が居た部屋も……いや……だから……」
もう柱自体も爆破されているはず。建物はもう三十秒と持たないだろう。
考えろ。あと数秒で安全に脱出できる出口は?
さっきの部屋を思いだせ。吹き飛ばされて、それで――
気づいた瞬間に自分の部屋を思い出し――即座に走りだす。
「どうしました!? お嬢様!」
問いには答えず、真里奈の手を引いてドアが吹き飛ばされた自分の部屋を目指して駆け戻る。
「ここ何階だっけ!?」
とりあえず走りながら真里奈に聞く。
心は決まっているので意味のない問いだとは思うが、一応。
爆破され家具が吹き飛び、がらんとした部屋に炎が燃え広がり始めている中に飛び込む。
走りながら、燃え盛る炎が服や髪に燃え移るが、とりあえず無視。
加速を付けて真っ直ぐ――
「ふぇええ!? 二階ですけど――ってまさか」
真里奈からの答えが聞こえた、瞬間。
爆破され外壁が吹き飛んだ、二階の部屋から私たちは飛び出した。
ただしその先は、二階相当の地面ではなく、断崖絶壁だったが。
眼前に広がるは、夜の闇に沈んだ森。
その先には、月明かりに光る太平洋。
それらの風景を、空中から超パノラマで見た瞬間、私はシンプルにこう思った。
――あ、やっちゃった。
「ひいいやあああああああ!? お嬢様のバカぁ―――――!!」
真里奈の叫び声と共に、勢いのまま落下する感覚。
瞬間、炎が燃え盛る音の中から、館の構造材が軋む音。
真里奈の悲鳴の中でもそれははっきりと聞こえる、連続の破壊の音。
落下の加速の中で、それらが連鎖し、大きくなるのが聞こえ、直後。
大規模な崩落の音と、熱風が落下する私たちを襲った。
……もう一度ツッコみましょうか。
爆発炎上して崩壊する洋館から、ジャンプで脱出って。
どこのハリウッドよ、これ。
*
「………………………………えっと」
ジェットコースターから降りた直後のように、グルグルフワフワする頭をなんとか落ち着かせ、
何かじゃりじゃりベタベタする感覚から逃れるように身体を起こす。
起き上がり、しばらくたって、ようやく平常を取り戻した視覚が認識した、そこは……
「……沼?」
小さな……底は私の腰ほどの、浅い沼。
体中は泥だらけ。
一体自分がどうなったのかが、混乱していてよく解っていない。
何が起こったのか、最初からゆっくり思い出してみる。
「確か……」
宙に飛び出して、死を覚悟して、真っ逆さまに森に落ち、
「……ここに、落ちたと」
特に空中でどうこうしたわけではない。
強いて言えば、手にしたスーツケースをとっさに手放して腕で顔を庇ったぐらいか。
「えっと、だから……」
つまり、私の頭が勝手に混乱しているだけで、状況は極めて単純。
森に落ちたが、無事だった。
「うっそ……」
あの高さから落ちて無事? これって何の冗談?
手足の骨も変に折れた様子はない。
真里奈と繋いでいた右手は微妙に変な方向にねじってしまったのかちょっと痛むが、四肢は全てちゃんと動く。
おまけに沼に落ちたおかげで、身体のあちこちに燃え移っていた火も綺麗サッパリ消えていた。
「はうあうはうあう……」
横を見れば、真里奈も無事、仰向けに沼に浮いており生きているようだった。
「はうあう……うう、えっと、ここどこです? ひょっとして真里奈、もう天国とかに来ちゃいましたか?」
「ふふ……ははっ……」
生き延びたのだ。
あんな無茶苦茶をしてなお、私たちは二人とも、なんだかんだで無事だったのだ。
「あはははははっ! 生きてるわよ、真里奈。私も貴女も無事……っはははははっ!」
もう、笑うしかない。
「あは……あはは……そうですか、あれで生き延びたんですか……あははは」
つられて真里奈も笑い出す。
「あははははっ!!」
「あっはははっ……はははっ!!」
二人はそうやってしばし、沼の中で顔をつき合わせて、大笑いしていた。
そうやって暫くの間……腹筋の痙攣が収まるまでさんざん二人で笑い合って……
それからようやく、沼の外に出た。
「うっひゃあドロドロですね……」
「ま、これでロクに大きな怪我せずに済んで、その上火が消えたんだから、むしろ感謝しないとダメだけど」
「確かにそうですけど……あ、火といえば、お嬢様の髪、微妙にパーマになってますよ?」
「え、うそ」
「ここらへん。チリチリになっちゃってますよ」
触って確かめてみると、確かに後頭部うち、微妙に焦げた部分が縮れていた。うわー
まあ外に出ないからいいけど。
……それから、荷物や身なりの確認を始める。
落下する途中で手放した私のキャリーバッグは、幸いな事にすぐ近くに落ちていた。
微妙に焦げていた上に落下の衝撃で歪んでいたが、中の携帯ゲーム類は(一応)無事。あとは熱でやられていないことを願うのみ。
私のジャージはドロドロになっていたので、その場に脱ぎ捨て、スーツケースに入れていた長いスカートに着替えることに。
真里奈のボストンバッグは肩にかけていたので一緒に沼に落ちていたが、これも辛うじて無事。
所々焦げて、やや水気を吸っていたが、中身に致命的なダメージはなかったようだ。
彼女のメイド服はドロドロな上に、ところどころ木に引っかかって裂けたのか、なかなかパンクな感じにズタズタになっており、ボストンバッグに入れていた予備のメイド服に着替えることに。
それぞれ身なりを整え終わると、おもむろに真里奈が話しかけてきた。
「さて……これからどーしたものですかね、お嬢様」
その言葉に、私はすっかり吹き飛んでいた、『これから』のことにようやく思考を至らせる。
「そうね……とりあえず、ここから脱出することを考えましょう。希望的観測に従うなら……襲ってきたあの殺し屋らしき奴らはボートか何かを持っているかもしれないわ」
「あ、確かに。あの人達も帰るつもりなら、なにか乗り物を持ってないとダメですもんね」
「味方がヘリでピックアップに来る、とかだったらアウトだけれど」
「あう……そうじゃないことを祈るばかりですね。……で、とりあえず、どうしましょう?」
「襲ってきた奴らがまだいるかも知れないから屋敷に戻るのは危険ね……かといって森の中にいつまでも居る訳にはいかないし」
「倉崎さんはどうします? あの人が味方なら――」
「いえ……彼はアテにしないほうがいいわ」
「はい? どうしてですか?」
「私の予想が正しければ――ね。ひとまずこれからのことは、人の手の入った場所まで戻ってから考えましょう」
そう言って私たちは、崖沿いに、屋敷の正門があるであろう方へと歩き出した。
*
どれだけ歩いただろうか。何分経ったのかは正確に覚えていないが、どうにかこうにか私の身体が完全に音を上げる前に、坂の下にある屋敷の正門の、すぐ側まで来ることができた。
「やっと……着いたのかしら……?」
「ええ、まあ……というかさほど距離もなかったのにヘタレすぎですお嬢様」
何度かの休憩をはさみ、真里奈がこっそり持ってきていたおやつを分けてもらい、ようやく到着したという感じ。
真里奈はなぜかピンピンしていたけれど。
「やっぱり普段から運動するべきですよ。こういう時のために」
「ええ……なんとなく今自分でもそう思ってたところよ」
普段運動しないと、こういう時に辛い。
瞬発的な行動なら火事場の馬鹿力でなんとかなるものだが、こう――地味にてくてく歩き続けるというのは、運動不足の身体にはモロに堪える。
まあ多分帰ってから綺麗サッパリ忘れるでしょうけど。
「とりあえず、何とか見覚えのある場所までは来ることができましたが、これからどうしましょうか」
「そうね…………」
最良のシナリオは、このまま誰にも会わず、運良く殺し屋(推定)たちが持ってきた乗り物を奪ってこの島から脱出できる、というもの。
だが、どう考えてもそんなに上手く行くはずがない。
奴らの人数も規模も全く把握できていないのだ。どこでばったり出くわすとも限らないし、そもそも乗り物の側に複数人が控えている可能性だって十分にありうる。
対してこちらにあるのは護身用の自動拳銃一挺と、無難に護身術が使えるメイド一人。
賭けるには……分が悪すぎる。
「真里奈。ちょっと前に倒したあいつ、何人ぐらいだったらまとめて相手できる?」
「……二人もいたら多分、余裕でフクロにされるんじゃないですかね」
「そうよね……」
そもそも戦闘畑の人間ではないのだから当然だ。と言うよりは、むしろさっき勝てたほうがビックリなのだ。
……果たして、彼女と私だけで乗り物を確保できるのだろうか。
自動拳銃一挺で、……下手をすると多対一になりかねない。
当然のように私は足手まといになるだろうし、そのどさくさで殺されてはたまらない。
……ならば。
身体でなく、頭を使って戦うしかない。
「お嬢様?」
「……こうなったらラスボスと正面衝突しかないわね」
「えええ!? なんかいきなり玉砕ムードですね!?」
玉砕……と言えばそうだろう。
だが、正面きって撃ち合うよりは、おそらく分はこちらにある賭け。
「真里奈……スマホは無事?」
「はい? ええまあ、無事ですよ。泥ついちゃってますけど」
「『切り札』は?」
「へ? ……切り札って、あの『切り札』ですか?」
「そう。……今持ってるわよね?」
「あ、はい。世の中何が起こるかわかりませんし」
「じゃあ、定時連絡は?」
「えっと……そう言えば、次は年明け四日まででしたっけ」
「降ってわいた不幸だけれど……正直幸運すぎて怖いわね」
「……はい?」
まるで冗談のように、天運はこちらにある。
……ならば、
「今から作戦を説明するわ。ラスボスを、潰しに行くわよ」
このまま主人公になってやるのも悪くない。
*
真里奈が手持ちの自動拳銃を空に向けて構え、一発、撃った。
銃声が周囲に響き――
そして数分後、銃声を聞きつけたらしい倉崎が現れた。
「お嬢様!」
「倉崎。――あんたも無事だったのね」
「ええ。ですが賊には逃げられてしまいました」
「ま、私らが皆生きてるからオッケーってことでいいでしょう。それより、次は何とかしてこの島を脱出する手段を――」
私が白々しくそう言葉を続けると、笑顔のまま倉崎は懐に入れ、
「いえ、脱出する必要はありませんよ」
流れるような動作で自動拳銃を構え……私に突きつけた。
「幸運続きのお嬢様には、このあたりで退場していただきましょうか」
「……………………あらあら」
それを見て私は、笑みを崩さないまま、
「これはどういうことか、説明してただけるかしら。――ねえ、倉崎?」
つきつけられた拳銃に、内心は超ガクガクだけれども、腹の底から声を出す。
倉崎に負けないように。
――そして、ラスボスとの決戦が始まる。
奇しくも、公式チートキャラは往々にして裏切る、という一昔前の少年漫画で多用されたお約束展開をなぞりながら――
*
黒く濁った空から、雫が落ちた。
一つ、二つと雫は数を増やし、やがてそれは、雨となって降り注ぐ。
雨雲の下の人工の林の中は、薄気味悪いほど、暗く沈んでいた。
まるで冗談のように、この場はクライマックスに相応しい場に飾り立てられていた。
銃を構えたまま微動だにしない倉崎は、真里奈の方を見ると、「銃を捨てろ、メイド」と短く言い、真里奈は素直にそれに従う。
「私を……殺すのね」
「ええ。それが主人の命ですので」
彼にとっての主人とは、即ち私の父。
――黒幕は、やはりあの男だった。
それは、非常に得心いく答えでありながら、少しばかり寒い物を感じざるを得ない。
だが、私はそんな感情はおくびにも出さず、したり顔で目前の敵に向かって言い返す。
「ずいぶんと手の込んだ子殺しだことで。最初からあなたが私をこっそり殺せば終わりだったと思うのだけれど」
「可能な限りの絶望を与えて殺すよう、言い付かっておりました」
「アホらしい……」
おそらくそれは、あの男の趣味だろう。
普段は金に汚いくせに、こういう変なところで様式美にこだわる所はあの男らしい。
「それに、私一人殺すのにいったい何人の罪なき人間を巻き込んだのかしら?」
「問題ありません。アレらは全てご主人様の敵ですよ」
「……敵?」
「ええ。内部文書や研究結果を売り渡そうとした、会社の資金を横領しようとした――その他にも色々とやらかした人々が集められています」
――もし可能ならば父上に伝えておいてくれ――もう、貴様は終わりだとな。
――許してくれ!!
――裏切り者を処分するつもりだったのだろう!?
思い出されるのは、そんな彼らの言葉。
……なるほど。『黒田家が裏切り者を処分』という、その推理はあながち間違いではなかったというわけね。
違っていたのは、その裏切り者の中に、『穀潰しの娘』が入っていたという事実のみ。
「はっ――笑わせてくれるわ。そんなの、裁判で裁けばいいじゃない……それとも、自分で手を下さなければ納得しないのかしら、あの男は」
「私からは、なんとも言いかねます」
「どうせ実行犯もあんた一人じゃないんでしょう? ……案外、館の主人あたりがグルだったりしてね」
「おや、よく気づきましたね。これも何かのお約束でしょうか?」
「――頭がない死体は基本的に入れ替わりの可能性を疑え……と言いたいところだけれど――本当に気づいたのは、声よ」
「声?」
「そう。主人の声――名前は忘れたけれど、先週ウチに来ていたでしょう。彼」
「――!? なぜ、そんな事を――」
「人の声を覚えるのは、わけあって得意でね……なるほど、アレがあんたの共犯ならこれ以上にない入れ替わりの理由になるわね」
主人が館の目から逃れて自由になる。それは、使用人の指揮に集中できるということだ。
館の監視カメラを集中管理できるような警備室などに、十分な通信装備を備えて引きこもっていれば、立派な前線指揮官の出来上がりというわけだ。
「……まさか気づかれていたとは」
「あんなハイペースで手の込んだ殺人も、主人を筆頭に、殺し屋みたいな人間や館中の使用人をフル稼働してやってのけていたのでしょう?」
そして、それだけの人数が口裏を合わせて迅速に連携を取れば、不可能は簡単に可能となる。
どれだけ探偵があがいても犯人が見つかるはずなどなかったのだ。
言ってしまえば、この館自身が、犯人だったのだから。
「それでも、結局この結論に至るまで、あんたが端から敵だった可能性を考えもしなかったのだけれどね……あの男が自分の執事の一人を私に付けた時点で疑うべきだったのに」
「ですが、お嬢様は最後まで主人や私の予想を裏切り続けましたよ――これだけ人が死んでいるというのに平然とゲームに興じるわ、殺し屋の襲撃を逃れ、あまつさえあの館の爆破からまで逃れるとは」
「あらあら。意外と奮闘していたのね私。――褒めていい?」
茶化すも倉崎は気分よさげに無視し、
「予想外といえば……探偵は哀れでしたね。ショーアップの道具として招かれたというのに――お嬢様のせいであんなにも早く退場することになるとは」
「私のせい?」
「ええ。お嬢様が主人の入れ替わり殺人の当時に廊下を出歩いていたから……危うく探偵の判断で、犯人として軟禁されるところだったのですよ」
そう言えば。
あの当時に出歩いていたということは主人殺しの犯人にされてもおかしくなかったのだ。
というか状況証拠はなかなかバッチリだったんじゃないだろうか。大声で雑談してたし。
「だから、殺したと?」
「ええ。この大仕掛は、お嬢様に、いつ自分が殺されるかという恐怖を味わってもらうためのものでしたからね――結果として、まるで意味がなかったのですが」
「まあゲームばっかしてたしね。そこは素直にザマーミロと返しておこうかしら」
「ふ……まあ、その減らず口もここまでですよ」
倉崎はもう一度構え直し、私を狙う。
「ミステリーの答え合わせはここまでです。このままここで死んでいただきましょう」
ここまでか。
だが、効果は抜群だった。
上手く誘導し、いわゆる『冥土の土産』的なものをノリノリでいい感じに自分に酔った感じにペラペラしゃべらせることができた。お膳立ては十分。
目前に居るのはもはや冷徹な主人の道具たる執事ではなく、調子よく自分の勝利に酔う一人の男の姿。
……勝負はここから。
イチかバチかの、一発勝負!
私は、事前に決めておいた合図――小指をニ回小さく折りまげる仕草を真里奈に向けて送る。
すると、
「待ってください!!」
「……どうしたメイド? まさか主人の前に自分を殺してくれなどと、殊勝なことを言い出すのではないだろうな?」
……あー、完全にイッちゃったパターンだわこの男。
などと思うぐらい、普段の倉崎ではなくなっていた。正直ちょっとキモかった。
いや、それはともかく。
「これを、見てください」
そう言って、彼女は、左手に予め持っておいたスマートフォンを倉崎に提示する。
「何ですか? スマートフォン?」
「そこに表示されているデータを、よく見てください」
「これは――」
倉崎は、初めは警戒していたが、やがて端末を手に取り、データを閲覧し始めた。
最初は訳の分からないといった顔だったのが、徐々に蒼白なものへと変わっていく。
「お嬢様の趣味はなんだか知っていますか? 倉崎さん」
「何を――」
「アニメ漫画デイトレードの次くらいにハッキングが趣味なんですよ」
「貴様――!!」
さて。……反撃開始と行きましょうか。
「そういう事なのよ……悪いわね倉崎」
そう言うと、私は自分の思いつく限りの『悪女っぽい』笑みを浮かべ、倉崎を見る。
「まさか……こんなモノ、いつの間に……ッ!?」
倉崎を慌てさせている、それ。
そのデータは、私が趣味で収集した、
「いつの間に、こんなデータを……!?」
――あの男の会社に関わる、機密情報だった。
それも、賄賂とか汚職とか癒着とかソッチ系の。あとおまけで会社役員たちの法に触れそうなスキャンダラスな趣味とかプライベートとか。
「このニート生活を始めてからね……ニートしてたらあの男にいつ追い出されるか分かったもんじゃないから、取引材料として先んじて確保してあったのだけれど、どうやら正解だったようね」
「く――ッ!!」
倉崎はいらだち紛れに手にしたスマートフォンを地面に叩きつけ銃で撃ちぬく。だが、
「無駄ですよ、倉崎さん。そのデータはほんの一部ですし、そもそも自宅にもマスターデータはありますし」
そう言いながら、「私のスマホ……」と真理奈は微妙に涙目になるが、それは置いといて。
「なら、それらも破壊するだけだ。こちらには衛星携帯電話がある。すぐに連絡して――」
「残念ながら、それも無駄な努力、ですよ」
「何だと……!?」
「実はこれらのデータ全てのコピーを、とある欧米の企業告発を専門としたとあるNGOに管理してもらっていまして」
「な……っ!?」
「帰宅予定時刻より二十四時間以内にこちらから連絡が為されなかった場合、海外メディア含むテレビ新聞の各マスコミその他――黒田家のダメージとなる場所にばら撒くようお願いしてある次第なのです」
「ぐ……貴様らァ!!」
歯ぎしりにしながら、もはや顔芸レベル達した形相で真理奈を睨みつける倉崎。
「現代の武器は、剣よりペン。銃より情報――情報を制したものが、最後は勝つのよ」
「それぐらい……黒崎の財力と権力を持ってすれば――」
「常識で考えてみなさいよ。海外のNGO、しかも企業の不正告発を理念に掲げて活動してるのを、日本の企業が潰せるわけがないじゃない」
「く――」
「そりゃあ? 時間を掛けて、冤罪でもでっち上げてメンバー全員ブタ箱行きぐらいならできないこともないでしょうけど……情報がばらまかれるまでには、とてもじゃないけど間に合わないわね?」
「…………くそったれが……!」
「もう迷ってる時間はないわよ? ……もっとも、拙速な貴方の判断ミスが、黒田家を滅ぼすことになるかもしれないけれどね」
そして――先程までの勝利確実の油断から一気に叩き落されることで、彼は冷静さを失っていた。
基本的に、自分の専門外の出来事に出くわした場合は、速やかに専門家に尋ね、その指示を仰ぐのが鉄則だ。
冷静な人間ならば、十中八九、そうするだろう。
だが……感情に惑わされ、冷静さを失った今の倉崎には、それができない。
「く――そ――っ!」
「さぁ主人の命のままに私を殺してみなさい、倉崎。そして主人もろとも滅びるがいいんだわ――あははっ……あははははは!」
倉崎はもう、繰り返し自信満々に告げられる私の言葉に、完全に呑まれていた。
彼の眼前に居るのは、もはやただの殺害目標ではない。
銃口を突きつけられてもなお怖気付かず、高笑いをしながら、自らの死は黒田家の破滅と嘲笑う魔女。
……みたいに見えてたらいいなあ、と言う感じの演出なんですが。どうなんでしょう。
本人の反応を見る限りは、倉崎は、完全にこちらの思惑通りの反応を返している。
……あと、もう一息!
「どうしたのかしら? ……ただ、主人のスキャンダルが世界中に駄々漏れになるだけじゃない。何をためらっているの?」
挑発的な私の言葉に、倉崎が苦悩の表情に歪みながらこちらを睨めつける。
それに対し、私は可能な限り悪女っぽく、不敵な笑みを浮かべながらその顔を正面から見据える。
しばらくの間……正確にどれくらい経ったのかはわからないが、静寂が続き、
「お前を生かせば……そのデータはバラまかれないんだな?」
ぽつり、と、倉崎がこぼした。
……よし!
「ええもちろん。……そうしなければ取引にならないものね」
そして彼は――完全に、私が黒田家に対する切り札を持っていると――そして、それに対し打つ手はないと、信じ込み、
「……わかった。……そのデータをネットにバラまかないのであれば、お前たちの身柄の安全は、以後保障しよう」
こちらの要求を、全面的に飲んだのだった。
「そう……賢明な判断だと思うわ」
私は冷静に微笑を浮かべながら、……しかし私は思わず心中で盛大にガッツポーズをしていた。
そうして私たちは、何とかギリギリの綱渡りを経て、命を繋ぐことができたのだった。
*
で、
「あははははっ 見なさい駄メイド。愚か者どもが今頃寄ってたかって売りに走ってるわ!」
「さっすがですお嬢様! その予知能力! 先見の明! 素晴らしすぎますっ!」
今日も私たちは平和的に豪邸の一室を占拠しています。
……あの後。
私が父に対し、確保した裏情報の正しさを証明したことで、正式に身の安全が保証されることになった。
その後は、一切の会話はない。
いや、一度手持ちの人質である情報を引き渡すよう、使用人経由で迫られたが。もちろん無視した。
「さって、次はどの銘柄が上がりそうかなーっと」
それと、あの事件の結末を語るならば、館は、失火による館の全焼により参加者が全員死亡したと小さく報じられただけ。
主犯だった父の腹心を始めとして実行犯の使用人たちも、すべて偽装戸籍が用意された上で、その場で死んだことになっていた。(ついでに私たちは名簿からきれいに消されていた)
警察の処分としては、館の主人として用意されたダミー会社の架空の社長が、被疑者死亡のまま業務上過失致死・消防法違反などで形ばかりの書類送検をされただけ。
派手な事件のわりには、綺麗に隠蔽されたものだと妙に感心する。
……まあ隠蔽できる自信がなくては、あんな派手な事件は起こさなかっただろうけれど。
現在、あの男と私との間では水面下での攻防が続いている。
うちの家のネットはすぐに二十四時間態勢で父の雇った技術者に監視されるようになったし、頼りにしていたNGOも解散の危機へと追い込まれつつある。
対するこちらは、株式投資の利益を何とかセキュリティの増築に積極的に回すようにしているし、携帯電話でネット以外の連絡手段を確保しつつ、動きを読まれないようにとあの手この手で情報のやり取りを行い、と味方を増やすようにしている。
まあ、今のところは少なくとも――
「よっし……溜まったアニメでも見ますかねー」
「今日は何ですか?」
「そうね、昨日が木曜日だったから――」
ゲーム、アニメに株、時々ハッキングと、しばらくは私の優雅な日々は続きそうです。
END