第199話 小物移動経路図
空白は、白いまま壁に貼られていた。
南の村から先。未確認。
その札だけが、妙に目立った。
荷車本体経路図には、すでにいくつもの線がある。
正規街道。
村道。
荷置き場。
旧搬入口周辺。
未申告荷車が確認された地点。
太い線だった。
荷車は大きい。
重い。
音がする。
車輪跡を残す。
橋を選び、門を選び、広い道を選ぶ。
一方で、隣に貼られた新しい図は、細かった。
小物移動経路図。
王都南区。
リッツ革具店。
錠前商マーロ。
金具仲介人レンツ。
王都南門馬車宿。
南の村。
小鹿渡し。
冬季木材道。
灰松倉庫跡。
そして、その先は空白。
ルイスは二枚の図を見比べながら、長く黙っていた。
豆売りの女主人が、机の端で豆袋を結び直しながら言った。
「こうして見ると、まるで別の事件みたいだね」
ヨハンが頷く。
「荷車の事件だと思ってたんですけどね」
「荷車だけなら、あんたの出番がもっと派手だったろうね」
「派手じゃなくていいです。でも、荷車だけ見てたら、だいぶ見落としてました」
ガレスは、小物移動経路図の細い線を指で追った。
「王都南区から、ここまで……小さい物なら、かなり遠くまで動かせるんですね」
クラウス・ベルガーが答えた。
「むしろ、小さい物の方が遠くまで動きます。商会の正式荷より、人の懐や鞄に入る物の方が、帳簿をすり抜けやすい」
豆売りの女主人が鼻を鳴らした。
「豆一袋より、悪い噂一つの方が遠くまで行くのと同じだね」
ロイエンが苦笑した。
「妙に納得してしまいます」
レティシアは、壁の二枚の図を見ていた。
「今日は、小物移動経路図を作り直します」
ルイスが筆を構える。
「作り直す、ですか」
「ええ。今の図は、地点を並べただけです。次は、物ごとに分けます」
ヨハンが顔を上げる。
「物ごと?」
「小箱、革袋、鍵、紙片、木札、略図。すべて同じ道を通ったとは限りません」
ガレスが小さく言った。
「小物の中でも、また分けるんですね」
「分けます」
ルイスは新しい紙を出した。
表題。
小物移動経路図・物品別整理
豆売りの女主人が笑う。
「今日はまた細かそうだね」
「細かいところへ入ります」
レティシアは答えた。
「大きく見たままだと、全部が同じ箱に入ってしまいます」
まず、南の村小箱。
王都南門馬車宿から北便へ。
初回は北方途中宿預かり。
後から南の村方面へ追記。
預け主名はレオン。
宿主人代筆。
追記は筆跡候補。
南の村馬車宿で受領。
その後、未引渡しのはず。
ルイスが書く。
南の村小箱:王都南門発、南の村方面へ変更。南の村馬車宿で受領。以後の動き未確認。
次に、第三鍵類似加工鍵。
マーロが古物市場で近い型の鍵を用意。
若い使いへ引渡し。
その後、ボルツに古鍵調整依頼。
先端削り。
細長革袋に入っていた。
南の村小箱内で発見。
ただし、鍵がいつ小箱に入ったかはわからない。
王都で入ったのか。
南の村で入ったのか。
途中で入れ替えられたのか。
ルイスが記録する。
第三鍵類似加工鍵:マーロ→若い使い→ボルツ調整線あり。小箱内で発見。ただし小箱へ入れられた時点は未確認。
ヨハンが眉を寄せる。
「小箱に最初から入っていたとは限らないんですね」
「ええ」
レティシアは頷いた。
「送り状上は小箱ですが、中身の固定時点はまだ不明です」
豆売りの女主人が低く言う。
「箱は同じでも、中身が同じとは限らない」
ルイスが書く。
箱の移動と中身の固定時点を分ける。
次は、細長革袋。
第三鍵類似加工鍵革袋。
レオン下宿空革袋。
リッツ革具店端革袋六つ。
古い袋の修理。
レンツ購入線。
ヴィクトル私用帳簿の端袋。
袋は複数ある。
一つではない。
だから、袋を「その革袋」と一括りにしてはいけない。
ルイスが書く。
細長革袋類:複数存在。第三鍵類似加工鍵革袋、レオン下宿空革袋、リッツ端革袋六つ。買った袋・直した袋・使った袋を分ける。
ガレスが頷く。
「買った者、直した者、使った者は同じとは限らない」
ルイスが少し笑った。
「覚えましたね」
「だいぶ染みました」
豆売りの女主人が満足げに言う。
「いいことだよ。染みた言葉は、いざという時に口から出る」
次は、紙片。
第三鍵返却済。
この紙片は、小箱の中にあった。
しかし、その紙がどこで書かれたのか、誰が入れたのかはまだ不明だった。
旧記録庫の筆跡とも、王都の筆跡とも、まだ完全にはつながっていない。
ルイスが書く。
“第三鍵返却済”紙片:小箱内で発見。作成地点・投入時点・筆者未確認。
続いて、灰鷹状類似印木札。
これも、小箱内で発見された。
灰鷹商会を示すように見える。
だが、灰鷹商会の正式印ではなく、類似印。
見せるための印かもしれない。
本物と誤認させるための印かもしれない。
あるいは、誰かが灰鷹商会へ疑いを向けるために入れたものかもしれない。
ルイスが書く。
灰鷹状類似印木札:小箱内で発見。灰鷹商会正式印ではなく類似。投入者・作成者未確認。灰鷹商会関与証明とはしない。
ボルツが腕を組む。
「こうして見ると、小箱の中身、全部が誰かに何かを言わせる物だな」
帳場が静かになった。
誰かに何かを言わせる物。
鍵は、「第三鍵が戻った」と言わせる。
紙片は、「返却済」と言わせる。
木札は、「灰鷹が関わった」と言わせる。
革袋は、「古い鍵を丁寧に運んだ」と言わせる。
小箱は、「南の村経由で来た」と言わせる。
ガレスが言った。
「小物が、証言してるみたいですね」
レティシアは答えた。
「ええ。物に証言させる仕掛けかもしれません」
ルイスは大きく書いた。
物に証言させる仕掛け。
豆売りの女主人が、少しだけ眉を下げた。
「嫌な言葉だね」
「はい」
レティシアは頷く。
「ですが、今の小物移動経路図には必要な言葉です」
ここで、ロイエンが新しい視点を出した。
「荷車本体経路図と小物移動経路図を重ねると、接点はどこになりますか」
ルイスが二枚の図を並べる。
接点候補は三つあった。
一つ目、南の村。
二つ目、北方旧所領周辺。
三つ目、旧搬入口関連の記録が動いた地点。
ヨハンが言った。
「荷車本体は、南の村を通っていない可能性がありますよね」
「はい」
ルイスが確認する。
「荷車本体の記録上、南の村経由は未確認です」
クラウスが続ける。
「なら、南の村は小物側の接点です。荷車本体とは別に、小物を置く、止める、見せる場所だった可能性があります」
ガレスが小物移動経路図の空白を見る。
「南の村から先が、やっぱり重要ですね」
レティシアは頷いた。
「はい。小箱が南の村で止まったのか、止められたのか、動かそうとした者がいたのか」
豆売りの女主人が言う。
「止まった箱と、止められた箱は違う」
ルイスが書く。
小箱は南の村で止まったのか、止められたのか、動かそうとされたのか。未確認。
その日の午後、南の村へ追加照会が送られた。
内容は細かい。
南の村馬車宿で小箱を受領した時刻。
宿主人が誰に相談したか。
村長へ持っていく前に、誰かが小箱を見たか。
受取希望者はいたか。
「旧帳場へ届ける」と名乗った者はいなかったか。
小箱の外布に触れた者は誰か。
小箱は一度でも宿の表へ出たか。
夜間、宿の周辺に不審な人物はいたか。
ガレスが照会文を読んで、少し顔を曇らせた。
「村の人を疑うみたいですね」
レティシアは静かに答えた。
「疑うのではなく、経路を確認します」
「でも、そう受け取られるかもしれません」
「ええ」
彼女は頷いた。
「だから、文面に入れます。宿主人の慎重な対応により小箱が無断引渡しされなかった可能性もある、と」
ルイスが書き足す。
本照会は村人追及ではなく、小箱経路確認である。宿側の慎重対応により無断引渡しを防いだ可能性も含め確認する。
豆売りの女主人が満足げに言った。
「それは大事だね。守った人を、疑われた人にしちゃいけない」
クラウスも頷いた。
「商会でも同じです。報告した者が責められる空気になると、誰も報告しなくなります」
ロイエンが王太子府向けに、小物移動経路図の整理をまとめた。
北方旧所領側では、事件関係物の移動を、荷車本体経路と小物移動経路に分けたうえで、さらに小物を物品別に整理。南の村小箱、第三鍵類似加工鍵、細長革袋類、第三鍵返却済紙片、灰鷹状類似印木札は、同じ箱内で発見されているが、作成地点・投入時点・投入者が同一とは限らない。現段階では、物に証言させる仕掛けの可能性を検討する。次に確認すべきは、南の村で小箱が止まった後、誰が触れ、誰が動かそうとしたかである。
レティシアは読み、頷いた。
「よいと思います」
ロイエンは、小物移動経路図の空白を見た。
「ここですね」
「はい」
「南の村から先」
豆売りの女主人が低く言った。
「箱は、そこで誰かを待ってたのかもしれないね」
誰もすぐには答えなかった。
夜、レティシアは二枚の図と、小物別整理表を前にして口述した。
小物移動経路図を作った。だが、小物もまた一つではなかった。小箱、鍵、革袋、紙片、木札、略図。それぞれ作られた場所も、入れられた時点も、運んだ者も違うかもしれない。箱の移動と中身の固定時点を分ける。物に証言させる仕掛けなら、物それぞれが別の言葉を話す。鍵は第三鍵を語り、紙片は返却済を語り、木札は灰鷹を語る。だが、それらの声をそのまま信じてはいけない。物は嘘をつかない。だが、嘘を言わせるために置かれることはある。次に見るのは、南の村から先。小箱は止まったのか、止められたのか、それとも誰かが動かそうとしたのか。
ルイスは筆を置いた。
壁の空白は、まだ白い。
けれど、その白さはもうただの空白ではない。
南の村から先。
そこに、次の手が待っている。




