第189話 北便の送り状
送り状は、帳面よりも少しだけ正直だった。
少なくとも、帳面よりは余白が多い。
王都南門馬車宿から届いた控えには、まずこう書かれていた。
小箱一。北方途中宿預かり。
受取人の名はない。
南の村の名もない。
ただ、途中宿預かり。
ルイスは読み上げながら、眉を寄せた。
「最初は、南の村行きではありません」
ガレスが壁の図を見る。
「じゃあ、レンツの“北便”とは合いますね」
「はい。合います。ただし、南の村小箱とはまだ同一ではありません」
豆売りの女主人が頷く。
「今日も先に札だね」
その送り状には、後から朱線で追記が入っていた。
南の村方面へ回すこと。
ヨハンが身を乗り出す。
「後から変えたんですか」
ルイスは続きを読む。
「宿主人証言。預け主が一度去った後、夕刻前に戻り、南の村方面へ回すよう変更を申し出た。追記は、その時に入ったもの」
帳場の空気が変わった。
レティシアはすぐに言った。
「誰が追記したかを確認します」
ルイスが頷く。
「宿主人は、自分が朱線を引いた記憶はないと証言。預け主本人が書いた可能性。ただし、記憶曖昧」
ガレスが小さく言う。
「本人筆跡……」
レティシアは静かに返した。
「可能性です」
ルイスは書いた。
送り状追記“南の村方面へ回すこと”。預け主本人筆跡の可能性。ただし宿主人記憶曖昧。未確認。
送り状の初回手配には、レンツの名があった。
ただし署名ではない。
馬車宿側の控えに、こうある。
レンツ扱い。小物。現金済。
つまり、初回の北便手配はレンツの名で通っている。
だが、南の村方面への変更は、預け主本人が戻って行った可能性が高い。
ロイエンが言った。
「初回手配はレンツ。後から曲げたのはレオン名使用者。この可能性が出ましたね」
「はい」
レティシアは頷く。
「ただし、レンツが変更を知っていた可能性も残します」
ルイスが書く。
仮線。初回北便手配=レンツ扱い。南の村方面追記=預け主本人の可能性。ただしレンツが変更を知っていた可能性も残す。
クラウスは腕を組み、低く言った。
「これで、レンツの役割が少し分かれます」
豆売りの女主人が聞く。
「どう分かれるんだい」
「レンツは、荷に北へ向かう道を与えた。若い使いは、その荷を南の村方面へ曲げた。もしこの通りなら、レンツは最終地点を知らなかったという主張をしやすくなります」
ヨハンが顔をしかめる。
「逃げ道ですね」
「ええ。ただし、事実かもしれません」
レティシアは言った。
「逃げ道に見えることと、嘘であることは違います」
ルイスが大きく書く。
逃げ道に見えることは、嘘であることを意味しない。
送り状には、もうひとつ妙な点があった。
紙の端に、細かな繊維がついている。
王都側の初見では、安紙か、端革袋を包む時の紙屑に似ている可能性があるという。
だが、それも弱い。
ルイスは慎重に読む。
「送り状右下に細繊維付着。リッツ革具店で端革袋を包む安紙の繊維と似る可能性。ただし馬車宿内の一般紙屑とも考えられる。比較待ち」
ガレスは言った。
「革袋の店とつながりそうですね」
「つながりそう、です」
ルイスがすぐに記録する。
送り状付着繊維、リッツ革具店安紙と類似可能性。ただし一般紙屑可能性あり。弱線。
豆売りの女主人が、ため息交じりに笑った。
「弱線だらけで、蜘蛛の巣みたいだね」
「蜘蛛の巣なら、どこかに主がいるのでしょうが」
ロイエンが言うと、女主人は首を振った。
「蜘蛛の巣に見えて、ただの埃ってこともあるよ」
帳場に少しだけ笑いが起きた。
だが、その笑いも長くは続かない。
問題は筆跡だった。
送り状の追記。
南の村方面へ回すこと。
これが、預け主本人の筆跡であれば、通称レオン名使用者の手が初めて紙の上に残る。
これまで、レオンの名はほとんど代筆だった。
王都南門馬車宿も、宿主人代筆。
ボルツの作業帳の「レオ」も、ボルツ筆。
マーロの記録には名すら残っていない。
レンツの帳面にも、若い使いとしかない。
本人の文字が必要だった。
レティシアは言った。
「次は、筆跡です」
ルイスが表題を書く。
通称レオン名使用者の筆跡候補照合
ヨハンがぽつりと言う。
「顔じゃなくて、字ですか」
ガレスが返す。
「顔は描かなかった。字が残ってるかもしれない」
レティシアは頷いた。
「文字は、人の動きより小さい。でも、残れば強い」
クラウスが補足する。
「ただし、短い文字は危険です。似た書き癖はありますし、真似もできます」
ルイスが書く。
短文筆跡は慎重扱い。似た癖・真似・代筆可能性あり。
王都側は、比較対象を探し始めていた。
一つ目は、通称レオンの下宿に残された旧白蔦流通路略図。
二つ目は、今回の送り状追記。
三つ目は、リッツ革具店の修理控えの端に残っていた「急ぎ」という文字。
その「急ぎ」は、店主によれば若い男が自分で書いた可能性があるという。
ただし、店主の記憶は曖昧。
これも、候補でしかない。
ルイスはまとめた。
筆跡候補三点。
一、旧白蔦流通路略図。
二、送り状追記“南の村方面へ回すこと”。
三、リッツ革具店修理控え“急ぎ”。
いずれも本人筆跡とは未確定。
ガレスが壁の表を見つめる。
「でも、もし三つが似ていたら……」
レティシアが言う。
「同一人物線が太くなります。ただし、同一人物認定ではありません」
「はい」
豆売りの女主人が、少し真面目な声で言った。
「字って怖いね。顔を見せなくても、手が見える」
ルイスはその言葉を内部控えに書いた。
字は、顔を隠した手を残す。
夜、レティシアは送り状の写しを見ながら口述した。
送り状は、荷の曲がり角だった。最初は北方途中宿預かり。後から南の村方面へ回すこと、と追記された。レンツは北便を手配した。若い使いは、荷を曲げたかもしれない。ここで初めて、役割が少し分かれた。道を用意した者。行き先を変えた者。中身を知らないと言う者。名を残さない者。そして、紙に字を残したかもしれない者。次に見るのは、筆跡である。名前ではなく、手の癖を見る。顔ではなく、文字を見る。だが、文字もまた、まだ候補にすぎない。
ルイスは筆を置いた。
送り状は、南の村小箱へ線をかなり近づけた。
だが、それ以上に大事なのは、役割が割れ始めたことだった。
レンツは北へ通した。
誰かが南の村へ曲げた。
その「誰か」の手が、朱線の追記に残っているかもしれなかった。




