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『「君の役目は妹で足りる」と婚約破棄されたので辺境へ去りましたが、滅びかけた王国より先に私の領地が大陸最強になっていました』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第187話 金具仲介人レンツ

 レンツという名が出たことで、帳場の壁はまた少し混み合った。


 灰鷹商会副支配人ヴィクトル。

 通称レオン。

 錠前商マーロ。

 リッツ革具店。

 そして、金具仲介人レンツ。


 人の名が増えるたびに、事件は見えやすくなるようで、逆にぼやける。


 誰が買ったのか。

 誰が直したのか。

 誰が使ったのか。

 誰が命じたのか。

 誰が知らずに動かされたのか。


 それぞれが別の人間であれば、線は複雑になる。


 けれど、分けなければ、もっと危ない。


 ルイスは朝一番で、大きく書いた。


 買った者、直した者、使った者、命じた者は同じとは限らない。


 豆売りの女主人はそれを見て、腕を組んだ。


「今日の札は、商人向けだね」


 クラウス・ベルガーが苦笑した。


「耳が痛いです」


「痛いくらいでちょうどいいよ。商人は痛くないところから逃げるからね」


「否定しづらい」


 ヨハンが壁を見上げながら言った。


「レンツって、何をする人なんですか?」


 クラウスが答える。


「金具仲介人です。職人と商会の間に立ちます。錠前、蝶番、荷車金具、工具袋、釘、鎖。小さな取引をまとめて、必要な相手へ流す」


 ガレスが首を傾げる。


「商会が直接買えばいいのでは?」


「大きな品ならそうします。ですが、急ぎの小物、少量の金具、正式帳簿に載せるほどではない試作品、見本品。そういうものは仲介人が早い」


 豆売りの女主人が鼻を鳴らす。


「正式帳簿に載せるほどではない、ねえ」


 ルイスがすぐに書く。


 正式帳簿に載せるほどではない小取引は、不正とは限らないが、追跡が難しい。


 ボルツが腕を組んだ。


「職人側からすると、仲介人は便利だ。商会の面倒な書類を通さずに仕事が来る」


 ニーナも頷く。


「革細工でも同じです。急ぎの修理や端革品なら、店に来た人に売って終わりのことも多い」


 レティシアは、壁に新しい分類を置かせた。


 仲介人の役割。

 一、買う。

 二、頼む。

 三、渡す。

 四、名前を隠す。

 五、名前を知らないまま動く。


 ガレスが最後の項目を見て言った。


「名前を知らないまま動く、もあるんですか」


 クラウスが頷く。


「あります。仲介人は、依頼主を知らない方が都合がいいこともある」


「都合がいい……」


「聞かれても、知らないと言える」


 帳場が静かになった。


 知らないことが、防御になる。


 それは、これまで何度も見てきた構図だった。


 昼前、王都から第一報が届いた。


 王太子府が金具仲介人レンツへ任意照会を行った結果である。


 ルイスは封を開き、慎重に読み上げた。


「金具仲介人レンツ。年齢五十二。王都南区在住。複数商会および職人との取引あり。灰鷹商会、銀狐商会、王都外郭錠前商マーロ、リッツ革具店との接触歴あり。ただし、いずれも商務上の通常接触と主張」


 ヨハンが低く言った。


「全部とつながってる」


 レティシアはすぐに言った。


「つながっていることは、関与を意味しません」


 ルイスが書く。


 レンツは複数関係先と接触歴あり。ただし仲介人業務上の接触可能性。関与とは未認定。


 続きを読む。


「リッツ革具店での細長工具袋六つの購入について、レンツは認める。依頼者については、“南区の若い使い”から頼まれたと証言。名はレオンだったかもしれないが、確証なし。灰鷹商会からの正式依頼ではないと主張」


 帳場に、微かなざわめきが走った。


 レオン。


 また、その名だ。


 ガレスは口を開きかけ、止まった。


 それから言った。


「レンツは、袋を買った人。レオンかもしれない若い使いは、頼んだ人」


 ルイスが頷く。


「はい。今のところは」


 レティシアは言った。


「書きます」


 ルイスが記録する。


 レンツは細長工具袋六つの購入を認める。依頼者は南区の若い使い。名はレオンだった可能性。ただし確証なし。灰鷹商会正式依頼とは未確認。


 豆売りの女主人が小さく言う。


「袋を買わせたのは、レオンかもしれない。けど、レオン本人が買ったわけじゃない」


「ええ」


 クラウスが頷いた。


「足を一段、ずらしています」


 王都報告は続く。


「レンツは、リッツ革具店で購入した六つの細長工具袋を、若い使いへ渡したと証言。ただし、全数を渡したか、一部を別用途で使ったかは記憶曖昧。帳面には“端袋六、現金払”とのみ記載」


 ボルツが顔をしかめる。


「記憶曖昧って便利だな」


 豆売りの女主人が即答する。


「便利な言葉ほど、札をつけるんだよ」


 ルイスが書く。


 レンツ証言、購入袋六つの引渡し詳細は記憶曖昧。帳面記載は“端袋六、現金払”。袋の行方未確認。


 レティシアは静かに問う。


「古い袋の修理については」


 ルイスは次の行を読む。


「リッツ革具店での古い細長工具袋修理依頼について、レンツは関与を否定。若い使いが自分で依頼したのではないか、と推測。ただし、修理前の袋を見たことがあるかとの問いには、“似た袋を持っていたような気はする”と回答」


 ガレスが眉を寄せた。


「曖昧ですね」


「ええ」


 ルイスが書く。


 レンツ、古い袋修理依頼への関与を否定。若い使いが似た古袋を持っていた可能性を述べるが、記憶曖昧。推測混じり。


 クラウスは、少し考え込んでいた。


 レティシアが見る。


「何か?」


「レンツは、知らないふりがうまい男です。ですが、今の証言は完全な否定ではない。若い使いが古い袋を持っていたことを、少なくとも頭のどこかに置いている」


「つまり?」


「古い袋と新しい袋六つ。両方が、若い使いの周辺にあった可能性があります」


 ルイスが書く。


 若い使い周辺に、古い修理袋と新しい端革袋複数が存在した可能性。未確認。


 ヨハンが腕を組んだ。


「何に使うんですか、袋を六つも」


 ボルツが答える。


「鍵や金具を分ける。見本を複数渡す。あるいは、違う場所に同じような袋を残す」


 その最後の言葉に、空気が変わった。


 違う場所に、同じような袋を残す。


 レティシアはすぐに言った。


「可能性として記録。ただし意図は未確認」


 ルイスが書く。


 端革細長袋複数の用途候補:鍵・金具の分別、見本運搬、複数地点への配置、予備袋。意図未確認。


 豆売りの女主人が低く言った。


「袋も、言わせたい言葉を運ぶのかい」


 誰もすぐには答えなかった。


 続いて、王都報告にはレンツと灰鷹副支配人ヴィクトルの接点が記されていた。


「レンツは、灰鷹副支配人ヴィクトルと複数回接触。内容は倉庫金具見積もり、古錠部品、南区資材倉庫の修理相談と説明。通称レオンをヴィクトルへ紹介したかとの問いには、“直接紹介した記憶はないが、南区で使える若い者の名を何人か伝えたことはある”と回答」


 クラウスが、低く息を吐いた。


「逃げ道を作る答えです」


 ロイエンが頷いた。


「直接紹介したとは言わない。だが、名を伝えた可能性は認める」


 ルイスが記録する。


 レンツ、ヴィクトルへ通称レオンを直接紹介したことは否定。ただし、南区で使える若い者の名を複数伝えたことは認める。通称レオンが含まれた可能性あり。


 ガレスが言った。


「レンツは、レオンとヴィクトルの間にいたかもしれない」


「はい」


 レティシアは答えた。


「ただし、“いた”ではなく、“間に入った可能性”です」


 ルイスが書く。


 レンツはヴィクトルと通称レオンの間に入った可能性。未確認。


 豆売りの女主人が顔をしかめた。


「間に立つ者は、道にも壁にもなる。昨日のやつだね」


 ルイスは頷いた。


 その通りだった。


 レンツは道かもしれない。


 ヴィクトルからレオンへ。

 レオンから職人へ。

 職人から物へ。


 だが同時に、壁かもしれない。


 誰が本当に命じたのかを隠す壁。


 王都報告の最後には、気になる補足があった。


「レンツは、旧白蔦流通路について、“古い商人なら誰でも噂くらいは知っている”と発言。ただし、現在も使える道とは思っていなかったと主張。小鹿渡し、灰松倉庫跡の名については、“昔の荷道の地名として聞いたことはある”と回答」


 帳場が静まった。


 また、白蔦流通路。


 だが、ここでも同じだ。


 知っていることは、使ったことではない。


 ルイスは自分から書いた。


 レンツは旧白蔦流通路関連地名を噂として知る可能性。ただし使用経験・通行指示とは未確認。道を知ることは、その道を通ったことを意味しない。


 レティシアは頷いた。


「よろしい」


 ガレスが少しだけ笑った。


「ルイスさん、もう先に札が出ますね」


「出ないと危ないので」


 ボルツが肩を揺らした。


「ほんと、手が勝手に札を書いてる」


 午後、王都から追加でレンツの帳面写しが届いた。


 そこには、いくつかの短い記載があった。


 端袋六 現金払

 古錠見本 南区

 若い者紹介 灰屋敷

 小物運び 北便


 この四つ目で、帳場の空気が鋭くなった。


 小物運び。

 北便。


 ルイスの声が少し硬くなる。


「“小物運び 北便”の詳細は、帳面上不明。日付は、王都南門馬車宿から小箱が出た前日」


 ガレスが息を呑んだ。


 ヨハンも身を乗り出す。


 レティシアはすぐに言った。


「北便が南の村方面定期便を意味するとは限りません」


 ルイスが書く。


 レンツ帳面“小物運び 北便”。王都南門小箱発送前日。北便の意味未確認。南の村方面定期便とは未認定。


 クラウスが険しい顔になる。


「ただ、これは重要です。仲介人は、荷を直接運ばなくても、便を手配できます」


 ロイエンが続ける。


「小物運びという表現も、小箱や革袋と接続可能です」


 レティシアは頷いた。


「可能です。ですが、接続は照会後」


 ルイスが別紙を書く。


 レンツ帳面“小物運び 北便”に関する追加照会。内容、依頼者、荷姿、便名、支払者、受取人。


 豆売りの女主人が低く言った。


「やっと、荷の匂いがしてきたね」


 ヨハンが言う。


「小物運びが、小箱だったら……」


 そこで止まる。


 ガレスが続けた。


「小箱だったら、線が太くなる。でも、まだ小箱とは言わない」


 ヨハンは苦笑した。


「言われた」


「受領係ですから」


 帳場に少し笑いが戻る。


 だが、緊張は消えない。


 レンツの帳面は、短すぎる。


 短い言葉は、便利だ。


 だが便利な言葉は、いくらでも意味を詰められる。


 小物運び。

 北便。


 これだけで、頭の中には南の村の小箱が浮かぶ。


 だからこそ、まだ紙の上では離しておく。


 夕方、王太子府向けの返信が整えられた。


 ロイエンが所見を書く。


 金具仲介人レンツは、リッツ革具店での端革細長袋六つの購入を認め、南区の若い使いから頼まれたと証言。通称レオンとの接続可能性はあるが確定しない。古い細長工具袋修理依頼への関与は否定するが、若い使いが似た古袋を持っていた可能性を述べる。レンツは灰鷹副支配人ヴィクトルと複数回接触し、南区で使える若者の名を伝えたことを認める。帳面に“小物運び 北便”の記載があり、王都南門小箱発送前日と日付が近い。小箱発送との接続可能性はあるが、現時点では未認定。追加照会を要する。


 レティシアは読み終え、頷いた。


「よいと思います」


 ロイエンは目元を押さえた。


「レンツは、道にも壁にもなりますね」


「ええ」


「そして、壁は質問しないと扉にならない」


 豆売りの女主人が、ふっと笑った。


「今日の副使様、泥の次は壁かい。だいぶ詩人になったね」


「疲れているだけです」


 夜の追記で、レティシアはレンツの帳面写しを見ながら口述した。


 レンツは、間に立つ男だった。袋を買い、名を伝え、職人と商会をつなぐ。だが、間に立つ者は、つなぐだけではない。見えなくもする。レンツは袋を買った。若い使いに頼まれたと言う。通称レオンかもしれないが、まだ違うかもしれない。ヴィクトルへ若い者の名を伝えた。レオンが含まれたかもしれないが、まだわからない。帳面には“小物運び 北便”とある。南の村の小箱に見える。だが、まだ小箱ではない。短い言葉には、こちらの願う答えが入りやすい。だから、短い言葉ほど分解する。小物とは何か。北便とはどの便か。誰が頼み、誰が払ったか。レンツは道か、壁か。それを決めるのは、次の照会である。


 ルイスは筆を置いた。


 レンツは黒幕ではないかもしれない。


 だが、ただの職人仲介でもなくなった。


 彼の短い帳面の文字が、王都南門の小箱へ向かって細い線を伸ばし始めていた。

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