表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『「君の役目は妹で足りる」と婚約破棄されたので辺境へ去りましたが、滅びかけた王国より先に私の領地が大陸最強になっていました』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

166/211

第166話 第三鍵照合

南の村から戻ってきた小箱は、箱のままではなかった。


 いや、箱そのものは戻ってきていない。


 戻ってきたのは、小箱の中に入っていた細長い革袋と、その中の鉄鍵だった。


 村長宅で開封された小箱は、布包み、紙片、木札、荷札、紐、そして鉄鍵に分けられ、それぞれ番号をつけられて仮保全されている。


 そのうち、今回北方旧所領へ運ばれてきたのは三番革袋。


 中身は、木札付きの鉄鍵。


 木札には、かすれた字でこう書かれていた。


 石材奥・第三


 ただし、それはまだ「第三鍵」ではない。


 帳場の記録上の表現は、こうだった。


 第三鍵らしき鉄鍵。


 その「らしき」が、今日の全員の喉に刺さっていた。


 ルイスは、南の村から戻った包みを長机に置く前に、封印状態を一つずつ確認した。


「南の村村長印、異常なし。北方旧所領立会補助書記印、異常なし。護衛確認印、異常なし。銀狐商会書記確認印、異常なし。革袋外装、破れなし。封紐、切断痕なし。搬送中開封なし」


 その声は、いつもより少し硬い。


 ガレスは長机の端で、両手を握っていた。


「鍵一本なのに……ここまで確認するんですね」


 レティシアは革袋を見たまま答えた。


「鍵一本で、扉も人の疑いも開くから」


 その言葉に、帳場の空気が静まった。


 豆売りの女主人が、腕を組んで低く言う。


「うまいこと言うね。笑えないけど」


 ヨハンも頷いた。


「本当に、笑えないやつですね」


 クラウス・ベルガーは、少し離れた席で記録を見ていた。


 銀狐商会本部の人間として、灰鷹状類似印の確認にも関わっている。だが、今日の主役は灰鷹ではない。


 鍵だ。


 石材置き場奥倉庫の第三鍵らしきもの。


 もし本物なら、所在不明だった第三鍵が南の村の小箱から出たことになる。


 だが、それで終わりではない。


 なぜ南の村にあったのか。

 誰が入れたのか。

 なぜ「旧帳場の者へ」と書かれた箱に入れたのか。

 なぜ「第三鍵 返却済」という紙片まで添えたのか。


 問いは増えるばかりだった。


 ルイスは革袋を開ける前に、もう一度手順書を読んだ。


「開封者、ディルク様配下兵一名。記録者、ルイス。立会人、レティシア様、ディルク様、ロイエン副使、クラウス様、ラウル、ヨハン、ガレス。触れた箇所はすべて記録」


 ディルクが短く頷く。


「始めろ」


 革袋が開かれた。


 中から鉄鍵が取り出される。


 小さな木札が結びついている。


 錆はある。

 だが、全体が腐っているわけではない。

 鍵の先端だけ、少し色が違って見えた。


 ヨハンがそれに気づいて、眉を寄せた。


「先端、少し新しいですね」


 ルイスが顔を上げる。


「新しい?」


「削った跡かもしれません。まだ近くで見ないとわかりませんけど」


 レティシアはすぐに言った。


「記録」


 ルイスが書く。


 第三鍵らしき鉄鍵、先端部に色差あり。削り跡可能性。ヨハン初見所見。未確認。


 ラウルは、その鍵を食い入るように見ていた。


 門修繕係として石材置き場を管理していた男だ。


 彼は喉を鳴らし、ようやく言った。


「札の字は……似ています」


「何に?」


 ディルクが問う。


「昔の備品札の字に。今はもっと新しい札を使いますが、古い札はこういう字です。ただ……」


「ただ?」


「札だけなら、付け替えられます」


 ラウルは苦しそうに言った。


 自分の管理していた物の札を疑うのは、つらいのだろう。


 ルイスは記録する。


 木札文字、旧備品札様式に類似。ただし札付替え可能性あり。ラウル所見。


 次は石材置き場奥倉庫での照合だった。


 全員が移動するわけではない。


 人数が多すぎると現場を荒らす。


 照合現場に入るのは、レティシア、ディルク、ルイス、ロイエン、ラウル、ヨハン、クラウスの七名。


 ガレスは外側で待つことになった。


 彼は少し悔しそうだったが、自分から言った。


「俺は外で待ちます。人が多いと邪魔になるので」


 ヨハンが目を丸くする。


「お前、本当に帳場の人になってきたな」


「やめてください。照れます」


「照れるのは変わらないんだな」


 豆売りの女主人が横から言った。


「外にいるのも立派な立会いだよ。中で見た人が出てきたら、何を見たかちゃんと聞くんだ」


 ガレスは頷いた。


「はい」


 石材置き場奥倉庫は、北門脇にある。


 外側置き場には石材と石灰袋が積まれ、奥の小さな倉庫には縄や修繕備品が保管されている。


 そこは、第三鍵の所在不明から始まった場所でもあった。


 まず、錠前を確認する。


 ルイスが読み上げる。


「石材置き場奥倉庫錠前。外装錆あり。鍵穴周辺に古い擦れ。新しい傷の有無、現時点で不明。照合前状態として記録」


 ラウルが第一鍵を差し込む。


 すっと入る。


 少し重いが、回る。


 錠は開いた。


 再び閉める。


 次に、北門詰所保管の第二鍵。


 これも入る。


 第一鍵より少し硬いが、回る。


 ラウルは言った。


「第二鍵はあまり使っていないので、少し渋いです。でも問題なく回ります」


 ルイスが書く。


 第一鍵、差し込み可、回転可、開錠可。第二鍵、差し込み可、回転可、開錠可。ただし第二鍵はやや渋い。


 そして、問題の鉄鍵。


 第三鍵らしきもの。


 ラウルが手を出そうとして、一度止まった。


 ディルクが問う。


「やれるか」


 ラウルは唇を結び、頷いた。


「やります」


 ただし、彼だけに背負わせない。


 ルイスが確認する。


「差し込みは一度。無理に回さない。抵抗があれば停止」


「わかっています」


 ラウルは鍵を持った。


 手が少し震えていた。


 鍵先が鍵穴に近づく。


 差し込む。


 入った。


 奥まで、ほぼ入った。


 帳場の者たちが息を止める。


 ラウルがゆっくり回そうとする。


 そこで、引っかかった。


 がり、と小さな音がした。


 ラウルは即座に手を止めた。


「止めます」


 その判断は早かった。


 ルイスがすぐに書く。


 第三鍵らしき鉄鍵、差し込み可。奥までほぼ入る。回転開始時に抵抗および小さな擦過音あり。無理に回さず停止。開錠未実施。


 ラウルは鍵を抜いた。


 鍵穴の下に、小さな錆粉が落ちる。


 ヨハンがしゃがみ込んだ。


「錆粉、出ましたね」


 ディルクが問う。


「普通か」


「古い錠なら出ます。でも第一鍵、第二鍵ではここまで落ちなかった」


 ルイスが書く。


 第三鍵らしき鉄鍵使用時、鍵穴下に少量錆粉落下。第一鍵・第二鍵使用時との比較で多めの可能性。未確定。


 ラウルは鍵を布の上に置き、じっと見た。


「本物なら、もっと滑らかに回るはずです」


 声がかすれていた。


「ただ、半年以上使っていなければ、渋くなる可能性もあります」


 ロイエンが言う。


「つまり、本物とも偽物とも言えない」


「はい」


 ラウルは苦しそうに頷いた。


 ヨハンが鍵の先端を見た。


「これ、やっぱり削ってます」


 クラウスが身を乗り出す。


「わかりますか」


「荷車の金具を削る時も、似た跡が残ります。これは古い摩耗じゃない。先端の片側だけ、少し整えたように見える」


 レティシアが問う。


「いつ削られたかは?」


「わかりません。ただ、全体の錆に比べて、先端の削り跡は新しめに見えます」


 ルイスは書く。


 鍵先端、片側に削り整えたような跡あり。全体錆に比して新しめの可能性。ヨハン所見。時期不明。


 クラウスも鍵を見た。


「王都の古物鍵を、錠に合わせるために少し削ったようにも見えます」


 その言葉に、空気がまた重くなる。


 王都。

 古物鍵。

 加工。


 しかし、クラウス自身がすぐに続けた。


「もちろん、推測です。商会で見た例に似ているだけです」


 ルイスが書く。


 クラウス所見:王都古物鍵を錠に合わせるため加工した事例と類似可能性。ただし推測。


 ディルクは腕を組み、錠前を見た。


「これは第三鍵なのか」


 誰も答えなかった。


 答えられない。


 差し込める。

 奥まで入る。

 しかし滑らかには回らない。

 削った跡がある。

 錆粉が出る。

 木札には石材奥・第三。

 だが札は付け替えられる。


 本物に見える。


 偽物にも見える。


 あるいは、本物ではないが開けられるように加工された鍵。


 レティシアは、少し考えてから言った。


「分類を変えます」


 ルイスが筆を構える。


「南の村小箱内鉄鍵は、現時点で“第三鍵”とはしません。“第三鍵類似加工鍵”とします」


 ルイスは一瞬だけ止まり、それから大きく書いた。


 第三鍵類似加工鍵。


 ヨハンが小声で言う。


「長い」


 豆売りの女主人がいれば、たぶん「でも必要だね」と言っただろう。


 レティシアは続けた。


「注記。鍵が錠に入り、回りかけたことは、本物であることを意味しない」


 ルイスが書く。


 鍵が開きかけたことは、鍵が本物であることを意味しない。


 ロイエンが深く頷いた。


「王都向けにも、その一文をそのまま使います」


 クラウスも言った。


「商会側にも必要です」


 ラウルは、その文字をじっと見ていた。


 第三鍵ではない。


 第三鍵類似加工鍵。


 少しだけ肩から力が抜けたようだった。


 無実が証明されたわけではない。

 管理の不備が消えたわけでもない。


 だが、少なくとも「第三鍵が返却されていた」とは決まらなかった。


 石材置き場から戻ると、ガレスが待っていた。


「どうでしたか」


 ヨハンが答えようとして、少し迷った。


 レティシアが言う。


「鍵は錠に入りました。回しかけたところで抵抗があり、無理には回しませんでした。先端に加工跡の可能性があります。分類は第三鍵類似加工鍵です」


 ガレスは何度か瞬きした。


「つまり……本物じゃない?」


「それも断定しません」


「本物かもしれないし、偽物かもしれないし、似せた鍵かもしれない」


「ええ」


 ガレスは少し黙り、それから言った。


「一番もやもやするやつですね」


 豆売りの女主人が、いつの間にか近くに来ていた。


「もやもや札、出番だね」


 ルイスは真顔で書いた。


 内部控え:第三鍵類似加工鍵、非常にもやもや。


 レティシアは一瞬だけ見た。


 ルイスは慌てて言った。


「内部控えです」


「……内部控えなら」


 ほんの少しだけ、場に笑いが戻った。


 だが、すぐに次の話へ移った。


 この鍵を作れる者。


 それが次の確認対象になる。


 ラウルは言った。


「町内で本格的な鍵の複製は難しいです。ただ、古い鍵を少し削って合わせる程度なら、鍛冶場か金具職人ならできます」


 ヨハンも頷く。


「荷車の金具を削る道具でも、鍵の先端くらいなら削れます。細かい作業が得意な職人なら」


 クラウスが静かに言った。


「灰鷹商会は、建築資材と一緒に簡易錠前や倉庫金具も扱っています」


 帳場がざわつく。


 クラウスはすぐに手を上げた。


「扱っていることは、作ったことを意味しません」


 ルイスが即座に書く。


 扱えることは、作ったことを意味しない。


 豆売りの女主人が言う。


「今日も大きい字だね」


「必要です」


 ルイスは答えた。


 マルタが、第三鍵類似加工鍵の革袋に少し顔を近づけた。


「油の匂いがございます」


 全員が彼女を見る。


 マルタは落ち着いた声で続けた。


「北方の鍛冶場で使う重い油とは少し違います。薄く、匂いが整っております。王都の金具油に近いかもしれません。ただし、王都産の油は北方にも入っておりますので、由来は断定できません」


 ルイスが書く。


 鍵または革袋に薄い油臭あり。マルタ所見、北方鍛冶場の重油とは異なり、王都系金具油に近い可能性。ただし王都産油は北方にも流通。由来断定不可。


 ロイエンが低く言った。


「また王都線ですか」


 クラウスは小さく頷いた。


「そして商会線でもあります。金具油は商会経由で流れます」


 レティシアは、壁の図に新しい項目を置かせた。


 加工技術を持つ者。

 加工道具に触れられる者。

 王都系金具油に触れられる者。


 この三つは重なるが、同じではない。


 ヨハンがそれを見て、ため息をつく。


「できる人と、道具を持ってる人と、油に触れる人を分けるんですね」


「ええ」


 レティシアは頷いた。


「できることと、やったことも分けます」


 ガレスが言う。


「扱えることは、作ったことを意味しない」


「そう」


 彼は少しだけ胸を張った。


「覚えました」


 豆売りの女主人が笑う。


「最近、札の暗唱が増えたね」


 夕方までに、確認対象が整理された。


 一、北方町内の鍛冶場。

 二、荷車金具職人。

 三、石材修繕係。

 四、王都外郭の錠前職人。

 五、銀狐商会および灰鷹商会が扱う簡易錠前・金具油の流通経路。


 ただし、どれも候補でしかない。


 誰かを呼びつけるのではなく、まず照会する。


 ルイスは表題を書いた。


 第三鍵類似加工鍵に関する加工可能範囲確認


 長い。


 けれど、今はそれ以外に言いようがない。


 夜、王太子府へ送る報告には、第三鍵類似加工鍵という新しい分類が入った。


 ロイエンの所見は、かなり慎重だった。


 南の村小箱内鉄鍵は、石材置き場奥倉庫錠へ差し込み可能であったが、回転時に抵抗があり、開錠確認は行わなかった。鍵先端に加工跡の可能性あり。現時点では第三鍵とは断定せず、“第三鍵類似加工鍵”として扱う。鍵が錠に入り回りかけたことは、本物であることを意味しない。加工技術・加工道具・王都系金具油の流通経路を分けて確認する必要あり。


 レティシアはそれを読んで頷いた。


「よいと思います」


 ロイエンは疲れた顔で笑った。


「今日の“よい”は重いですね」


「ええ」


 その夜の追記に、レティシアはこう口述した。


 鍵は、錠に入った。だが、扉は開けなかった。開きかけた鍵は、人の心を急がせる。本物だ、返却済みだ、誰かが嘘をついたのだ、と言いたくなる。だが、今日見つかったのは本物の第三鍵ではない。第三鍵類似加工鍵である。似ていること。入ること。回りかけること。それらはすべて、同じではない。鍵が扉を開く前に、言葉が人を閉じ込めることがある。だから、鍵より先に言葉を止める。


 ルイスは、最後の一文を書き終え、壁の図を見た。


 第三鍵。


 第三鍵類似加工鍵。


 返却済という紙片。


 灰鷹状類似印。


 小箱。


 どれも、答えに見える形をしている。


 だが、その形をそのまま信じない。


 今日は扉を開けなかった。


 それが、いちばん大事な確認だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ