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『「君の役目は妹で足りる」と婚約破棄されたので辺境へ去りましたが、滅びかけた王国より先に私の領地が大陸最強になっていました』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第120話 第一回定例確認会

 ロイエン連絡官が北方旧所領に入ってから三日目。


 最初の定例確認会が開かれた。


 場所は帳場の奥にある会議用の小部屋だった。


 小部屋と言っても、王都の会議室のように立派なものではない。壁には中継小屋の配置図と、薪置き場の番号表、油壺棚の仮番号表が貼られている。机は古く、椅子は不揃いで、窓枠には雨の跡がまだ残っていた。


 しかし机の上だけは整っていた。


 王太子府連絡官行動記録。

 北方旧所領側立会記録。

 視察記録差異表。

 記録負担確認欄の試行表。

 町人向け回答保留記録。

 銀狐商会取引関連の未処理事項。

 王立書庫直接送達の確認札。


 ルイスは紙束を並べながら、小さく息を吐いた。


「机の上だけ王都みたいですね」


 ヨハンが壁際で笑った。


「王都はもっと綺麗なんじゃないですか」


「たぶん。でも、紙の量だけなら負けていません」


 ガレスが少し青い顔をした。


「負けてくださいよ、そこは」


 豆売りの女主人は、椅子にどっかり腰を下ろして言った。


「紙が多いって不満も今日の議題だろ。本人が言う分にはいいんじゃないかい」


 ガレスが慌てる。


「俺、そんなに文句ばっかり言ってます?」


「言ってるね」


「ええ……」


 そのやり取りを、ロイエンは静かに聞いていた。


 彼は王太子府付き書記官を伴って席についている。表情は穏やかだが、視線は相変わらずよく動く。


 誰が冗談を言うか。

 誰が笑うか。

 誰が黙るか。

 レティシアがどこで止め、どこで流すか。


 全部を見ている。


 それがわかるから、ルイスの背筋は少しだけ硬くなった。


 レティシアは、会議の始まりを告げた。


「第一回定例確認会を始めます。目的は、連絡官滞在中の行動記録、聞き取り、視察、記録差異、現場負担を確認し、必要な改善を決めることです」


 ルイスが記録する。


 ロイエン付きの書記官も同時に筆を走らせる。


 レティシアは続けた。


「まず、行動記録の差異確認から」


 初日視察の差異は、すでに昨日読み合わせた。


 しかし今日は、三日分をまとめて確認する。


 一日目。


 北門到着。

 職務範囲読み合わせ。

 中継小屋、井戸場、市場視察。


 二日目。


 記録負担確認欄の試行説明。

 油壺棚番号化の提案。

 薪置き場湿り印の簡略化案。

 豆札配分の週次確認表見直し。


 三日目午前。


 銀狐商会の荷受け予定表確認。

 王立書庫送達確認札の受領。

 市場における町人からの回答保留一件。


 ロイエンが顔を上げた。


「回答保留一件、というのは?」


 ルイスが紙を確認する。


「市場にて、ロイエン連絡官付き随行兵が、荷車屋の若者に“銀狐商会の荷は町の荷より優先されるのか”と質問。若者は回答保留し、帳場記録へ回しました」


 ロイエンは、随行兵へわずかに視線を向けた。


 随行兵はすぐに頭を下げる。


「申し訳ありません。雑談のつもりでした」


 豆売りの女主人が即座に言った。


「王都の兵が聞いたら、雑談じゃ済まないよ」


 空気が少し張った。


 ロイエンは、女主人へ向き直る。


「ご指摘の通りです。こちらの不注意でした」


 あっさり認めた。


 それで、かえって場が少し止まった。


 女主人も、次の文句を言う前に一拍置いた。


「……わかればいいんだよ」


 ヨハンが横で小さく笑う。


「おかみさん、珍しく引いた」


「うるさいね」


 ロイエンは書記官へ言った。


「王太子府側記録にも残してください。随行兵による雑談形式の質問。内容は銀狐商会荷の優先有無。町人は回答保留。連絡官側、不注意として認識」


 王太子府書記官が記録する。


 ルイスはその文を聞き、内心で少し驚いた。


 ロイエンは、やはり記録を拒まない。


 むしろ、先回りして書く。


 レティシアも表情を変えなかったが、おそらく同じことを感じているはずだった。


「この件について、対応を決めます」


 レティシアが言った。


「随行者にも町人向け聞き取り手順を再度読み合わせます。連絡官本人だけでなく、同行者全員に適用されることを明記」


 ルイスが記録する。


 ロイエンは頷いた。


「異論ありません。むしろ、到着時に随行者向け読み合わせを別に設けるべきでした」


「次回以降の受け入れ手順に加えます」


「お願いします」


 ガレスが、小さく手を上げた。


「質問していいですか」


「どうぞ」


 レティシアが促すと、ガレスは少し迷いながら言った。


「今のって、兵隊さんが悪いって話で終わりじゃないんですか」


 随行兵が肩を強張らせる。


 ガレスは慌てた。


「あ、責めたいわけじゃなくて。普通なら、そうなるのかなって」


 レティシアは少しだけ考え、答えた。


「個人の不注意ではあります。でも、随行者へ手順を十分に共有していなかった受け入れ側の不足でもあります」


「こっちも?」


「ええ」


「でも、王都側の人ですよね」


「だからこそ、こちらが“誰に何を説明したか”を残しておく必要があるの」


 ロイエンが静かに聞いている。


 レティシアは続けた。


「誰か一人を責めて終われば、その人は次から隠します。隠されると、同じことが別の場所で起きます」


 豆売りの女主人が頷いた。


「見習いが焦げた豆を隠すのと同じだね」


「そうです」


 ガレスは、なるほどという顔をした。


「じゃあ、失敗したら、怒るより先に、どこで手順が抜けたか見る?」


「ええ。もちろん、悪意があれば別ですが」


 ロイエンがそこで口を開いた。


「この件は、悪意ではありません」


 レティシアは頷く。


「では、不注意および共有不足として記録します」


 随行兵は少しだけほっとした顔をした。


 その表情まで、ルイスは思わず見てしまった。


 怒られない。


 それは町人だけでなく、王都から来た随行兵にも必要なのかもしれない。


 次の議題は、記録負担確認欄だった。


 ルイスが試行表を読み上げる。


「油壺記録。現場負担、高。必要性、高。簡略化案、棚番号化。油壺棚を東一、東二、西一、西二のように番号化し、移動記録には番号を記入する」


 ガレスが少し誇らしそうにする。


 ヨハンがそれを見て、にやにやした。


「考案者、ガレスって書いてもらえよ」


「やめてください」


 ルイスは真面目に言う。


「書いてあります」


「書いてあるんですか!」


「提案者名は必要です」


 豆売りの女主人が笑った。


「よかったじゃないか。役に立ったね」


 ガレスは耳まで赤くなった。


「いや、俺はただ面倒だったから」


 レティシアが言った。


「面倒を減らす提案は大事です」


 ガレスは、少しだけ目を丸くした。


 ロイエンはその反応を見ていた。


 この町では、面倒だという言葉が罪になっていない。

 むしろ、改善の入口になることがある。


 そこが王都と違う。


 王都では、面倒だと言えば怠慢に見える。

 不満だと言えば忠誠を疑われる。

 わからないと言えば能力不足になる。


 だから、誰も最初の言葉を出さない。


 ここでは、出す。


 出した言葉がすぐ綺麗になるわけではないが、机に乗る。


 ロイエンはその違いを、少しずつ理解し始めていた。


「薪置き場記録」


 ルイスが続ける。


「現場負担、中。必要性、高。現行の湿り印がわかりにくいとの指摘あり。改善案、濡れ、半乾き、乾きの三語表記へ変更。提案者、鍛冶屋親方」


 鍛冶屋の親父は、今日この場にはいない。


 だが、名前だけが机に乗っている。


 豆売りの女主人が言う。


「あの親父、字で書けって言うくせに、自分の字が一番読みにくいよ」


 ヨハンが吹き出した。


「それ、記録します?」


 ルイスは真顔で迷った。


「改善に関係ありますか」


「字が読みにくいのは関係あるんじゃない?」


 レティシアが少しだけ笑った。


「では、記録欄に“記入者の字が読みにくい場合の確認方法”を追加しましょう」


 ガレスが絶望したような顔をした。


「また欄が増えた……」


 ロイエンが言った。


「これは負担削減の会議では?」


 レティシアは頷いた。


「そうです。読めない字の確認方法を決めないと、後で読み直す負担が増えます」


「なるほど」


 ロイエンは小さく笑った。


「減らすために増やす。昨日から何度も聞いていますが、やはり不思議な理屈です」


「不思議でも、使えるなら残します」


「北方旧所領らしい」


 その声には、少しだけ本音の響きがあった。


 次は豆札。


 豆売りの女主人が姿勢を正した。


「これは言うよ。今の豆札、色分けはいい。でも雨の日に色がにじむ。紙札じゃ駄目だね」


 ルイスがすぐ書く。


「雨天時、豆札の色にじみあり」


「木札に焼き印がいい。数は少なくていいから、町内優先分だけでも」


「費用がかかります」


「豆が消えるより安いよ」


 レティシアは頷いた。


「試算します。木札作成費、焼き印道具、使用範囲」


「やったね」


 女主人は満足そうだった。


 ロイエンは、その流れを見ながら言った。


「豆札まで、ここで決めるのですか」


「決めるのではなく、検討へ回します」


 ルイスが答えた。


「王太子府式で言うなら、青札ですね」


 言った直後、彼はしまったという顔をした。


 王都式をここで出すのはどうなのか。


 だがロイエンは、少し楽しそうに笑った。


「その表現はわかりやすい。検討中、ですね」


 レティシアも頷いた。


「では、木札化案は検討中として扱いましょう」


 豆売りの女主人が眉を上げる。


「王都の札も、たまには役に立つんだね」


 ロイエンは苦笑した。


「そう言っていただけると、王都の者として少し救われます」


 場の空気が、ほんの少しだけ柔らかくなった。


 だが、レティシアは緩めすぎなかった。


「次に、連絡官側からの所見をお願いします」


 ロイエンは待っていたように紙を出した。


 王太子府側の三日間所見。


 表題は整っている。


 北方旧所領連絡官滞在初期所見


 ロイエンはそれを読み上げた。


「一、北方旧所領帳場は、町人向け手順を事前に周知しており、回答保留の運用も一定程度機能している」


 ガレスが小さく息を吐く。


「二、記録運用は広範囲に及び、現場負担は存在する。ただし、火災、物資紛失、責任不明化への不安が、記録必要性を支える要因となっている」


 ルイスが、少しだけ目を上げた。


 ロイエンの所見は、意外なほど公平だった。


「三、町代表者は、帳場に不満を述べることに一定程度慣れている。不満が即座に反抗へ転じる様子は現時点で見られない」


 豆売りの女主人が小声で言った。


「現時点で、ね」


 ヨハンが笑いをこらえる。


「四、北方旧所領側記録は発言の原文保持を重視し、王太子府側記録は要約を重視する傾向あり。差異は読み合わせにより併記可能」


 レティシアは、その一文でわずかに目を細めた。


 ロイエンが自分の側の傾向も書いた。


 これは大きい。


「五、連絡官としての所見。北方旧所領の手順は重い。しかし、その重さが現場改善へ接続される場合、単なる統制とは異なる機能を持つ。今後、負担が改善へ接続され続けるかを確認する必要あり」


 帳場が静まり返った。


 ルイスは、思わず筆を止めた。


 単なる統制とは異なる機能。


 ロイエンの口から、そんな言葉が出るとは思わなかった。


 レティシアは静かに言った。


「所見、受領します」


「王太子府へも同内容を送ります」


「こちらの記録にも添付します」


「もちろん」


 ロイエンは紙を差し出した。


 レティシアは受け取る。


 その瞬間、敵味方という単純な線では測れない空気が生まれた。


 ロイエンは危険だ。


 それは変わらない。


 だが、見たものをまったく歪める人間ではない。


 少なくとも今は。


 定例確認会の最後に、ガレスがぽつりと言った。


「なんか、思ったより怒られませんでしたね」


 場が一瞬止まり、それから小さな笑いが広がった。


 ロイエンも笑った。


「私も、思ったより怒られませんでした」


 豆売りの女主人がすかさず返す。


「怒られるようなことをしたら怒るよ」


「肝に銘じます」


 ヨハンが言った。


「じゃあ、今日のまとめは“みんな思ったより怒られなかった”で」


 ルイスは真面目に紙へ目を落とした。


「それは……議事録には向きません」


「向かないかあ」


 レティシアは少しだけ微笑んだ。


「でも、内部控えの余白に残してもいいかもしれないわ」


 ルイスは驚いた。


「よろしいのですか」


「ええ。怒られないとわかったことも、今日の成果だから」


 ガレスは、少し照れた顔で下を向いた。


 その日の夜、第一回定例確認会の記録がまとめられた。


 連絡官随行兵の雑談形式質問と、その扱い。

 随行者向け手順読み合わせの追加。

 記録負担確認欄の試行結果。

 油壺棚番号化。

 薪置き場湿り表記の簡略化。

 豆札木札化案の検討入り。

 ロイエン連絡官の初期所見。

 王太子府側記録と北方旧所領側記録の差異併記継続。


 そして、内部控えの余白に小さく。


 町側発言:思ったより怒られなかった。


 ルイスは、それを書いた後、少し笑った。


「追記をお願いします」


 レティシアは、窓の外を見た。


 北門側客舎の灯りは、今夜もついている。


 ロイエンはきっと、王都へ送る所見をさらに整えているだろう。


 その所見は、こちらにとって都合のよいものばかりではない。

 重い、負担がある、継続確認が必要。


 そう書かれる。


 それでいい。


 痛いところを見ない味方より、痛いところを記録する相手の方が、時に役に立つ。


 もちろん、油断はしない。


 レティシアは口述した。


 怒られないとわかって初めて、人は失敗を机に置ける。失敗が机に置かれて初めて、手順は直せる。連絡官は町を測り、町もまた連絡官を測っている。互いに警戒は残る。それでも、怒鳴り声ではなく記録が間にあるなら、同じ机で重さを量ることはできる。


 ルイスは、静かに書き終えた。


 中継小屋の火が夜風に揺れている。


 王都から来た連絡官と、辺境の町人たちは、まだ信頼し合ってはいない。


 けれど、第一回定例確認会は終わった。


 少なくともその日、誰かの不満は罰ではなく、改善の材料として机に残った。

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