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バハムート宇宙を行く  作者: 珈琲ノミマス
家族としての始まり

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疑惑の核心とシゲルの沈黙

誤字脱字を修正しました。

ご報告ありがとうございます。

 うなだれたまま膝をつくシゲルをよそに、クレアが身をひねり、すっと軽やかにクロのもとへ駆け寄る。そして何の迷いもなく、ひょいとクロの右肩に飛び乗った。


 その動きは、まるでそこが定位置であるかのように自然だった。


「あら、可愛い」


 ジンがふっと微笑むと、淹れたばかりのコーヒーをひとつずつ配っていく。香ばしい香りが、執務室の空気にやわらかく溶けていく。


 最後の一杯を、まだ項垂れたままのシゲルの前に置くと――ジンはすっと表情を引き締め、静かに告げた。


「いつまでも項垂れてると……もう一つの奥の手を出すわよ」


 その声に、シゲルがガバッと顔を上げた。


「鬼かッ!」


 立ち上がりざま、グレゴを真っ直ぐに睨みつける。


「貸しだ! これは……これは絶対に“大いなる貸し”だぞ、グレゴ!」


 叫ぶように言い放つシゲルに、グレゴは肩をすくめながら、淡々と返した。


「知らん。……ジンに言え。“振られ男”」


「おいっ! だから言うなってぇぇぇ!」


 再び顔を真っ赤にして崩れ落ちるシゲル。


 クロの肩でじっとしていたクレアは――静かに耳を揺らしながら、無言のままその騒動を見つめていた。


 やがて、シゲルがふらりと立ち上がる。顔をこすりながらクロの隣に腰を下ろし、どこか投げやりに声をあげた。


「で? なんで俺が呼ばれた? グレゴ、ジン」


「……その前に」


 低く一言、グレゴが口を開く。


「ギルマス。遮音を頼む」


 ギールが訝しげな顔を向けるが、グレゴはすでに目を閉じていた。


「俺、マスターなんだけどな。最近ただの便利屋みたいになってないか……?」


 そんなぼやきを呟きながらも、ギールは端末を操作する。数秒後、執務室内に小さくチャイムが鳴り、外部との音が遮断された。


 外からの喧騒も、通路の足音も、一切届かない。ここだけが、まるで水中に閉じ込められたかのような静寂に包まれる。


「よし。じゃあ、話すぞ」


 グレゴが目を開け、視線をシゲルに向けた。


「シゲ。お前、クロのことを“知ってる”な?」


 その問いに、シゲルは一瞬だけ目を伏せ――次には、あくまで平然とした口ぶりで返す。


「可哀想な子だったんだよ。まさか親戚にたらい回しにされるなんてな。見かねて、俺が引き取った。……それだけだ」


 しれっと白を切ったその言い回しに、ジンが苦笑を漏らす横で、ギールが眉をひそめて口を挟む。


「……いや、おかしいですよ。シゲルさんがそんな“裏”もなく人を引き取るなんて」


「お前、言うようになったな。ほんと……成長したじゃねぇか」


 そう言いながらも、シゲルの声には少しばかり苦味が滲んでいた。


「そういや、お前しばらく顔見せなかったな。どこ行ってた?」


「辺境です。バハムートの目撃情報があったので、ギルド本部の指示で長期の生態調査に……見つかったのは、一枚の鱗だけでしたけど」


 ギールの報告に、シゲルは興味なさそうに鼻を鳴らしながら、カップを口元に運ぶ。


「ほーん。で?」


 その気のない反応に、ギールが軽く眉をひそめる。


「まさか、俺に買い取れって?」


「いえいえ。分析用に本国送りです」


「そりゃそうだ」


 ぽつりと返し、シゲルはあくまで動じる気配もなく、コーヒーを啜った。


 そのやりとりの最中――


 グレゴが、不意に口を開いた。その声は低く、そして、重かった。


「単刀直入に言うぞ。……シゲル。クロは、バハムートだな?」


 瞬間、執務室の空気が凍りつく。


 誰もがその場に縫い止められたように動きを止め、音さえも遠ざかるようだった。


「は?」


 最初に破ったのはシゲルだった。


「バカかお前。こんな奴が、そんなもんであるわけがないだろうが」


 吐き捨てるように言って、クロを一瞥する。その表情は真顔でありながらも、どこか――決して冗談ではない何かを含んでいた。


 だが、グレゴは揺るがない。


「ジン」


 名前を呼ぶと、ジンは黙って頷き、手元の端末を操作する。


 投影されたのは、ひとつの映像だった。


 モニターの中に現れたのは、クロ――ただの少女の姿。だが、それは“偶然”記録されたもので、ただの日常ではなかった。


 静まり返った通路。人通りのない裏路地に、まるで空気を押しのけるようにして、ふっと現れる姿。黒いハーフパンツに白いシャツ。外見は、どこにでもいる年端もいかない少女のように見えた。


「……私がデータ室にいる理由、知ってる?」


 ジンが静かに口を開く。


「ギルドの記録を整理するだけじゃない。その日、コロニーで起きた事件、周囲の異常。討伐対象となる可能性のある存在……そういった情報の収集と監視も、私の仕事」


 そして、目を細めて続ける。


「それに――新人の動向。必要なら、裏で支援もする。もちろん、監視もね」


 ジンの口調はあくまで穏やかだったが、その一語一語が、場に緊張を走らせていた。


 次に映されたのは、別角度の映像。


 人影のない高所を歩いていたクロが、突然、ふっと消える。


 そして場面が切り替わる。


 コロニーの外周――そこに、突如として出現する異形の巨躯。無骨でありながら荘厳さすら感じさせる鋼の機体が、威容をもって立ち尽くす。


 それはクロの機体――『バハムート』と登録されたもの。


「……これだけでも、普通の人間じゃないってことはわかるでしょ」


 ジンが息をつきながら肩をすくめる。


「本気半分、冗談半分。でも私は思ってた。……クロは、バハムートなんじゃないかって」


 その視線がクロに向けられる。


 ジンの顔には、どこか柔らかな微笑が浮かんでいた。だが、その瞳は油断なく研ぎ澄まされている。


 ――クロは、何も答えない。


 ただ、ゆっくりとコーヒーカップを傾け、音もなく飲み干した。


 肩の上、じっと座るクレアだけが、わずかに動いた。耳をピクリと動かし、全身にかすかな緊張をまとわせている。彼女は言葉を発さない。けれど、その瞳には確かな“警戒”の色が宿っていた。


 空気が変わっていた。誰も、軽い冗談として済ませられる状況ではなかった。


 そして――グレゴが静かに口を開いた。


「決定的だったのはな……お前が提出した、あの映像だ」


 その声には怒気も嘲りもない。ただ、呆れとも諦めともつかない鈍い響きがあった。


「……正直、隠す気があるのかと疑ったぞ。あの脇の甘さは、擁護しようがなかった」


 グレゴの顔には怒りはなく、悲しみもなかった。ただただ、頭を抱える寸前のような、深いため息が似合う表情だった。


「お前、ホエールウルフの“進化”の瞬間を――そのまま提出してたよな。なぜ、消さなかった?」


 突きつけるような言い方ではない。だが、その問いには確かな意味が込められていた。


 その瞬間、全員の視線がシゲルへと向けられる。


 シゲルは口を開かない。ただ、クロの方を見た。


 その表情には言葉はないが、言いたいことは明らかだった。


 ――おいおい、マジか。何やってんだクロ。俺がどれだけ骨を折って手配してやったと思ってんだ。養子縁組の処理、履歴のでっち上げ、グレゴへの貸しの消失……それを、お前……何ぶち壊してくれてんだよ。


 まさにそんな顔で、シゲルは目を細めて肩を落とす。


 誰も何も言わなかった。その“顔”がすべてを語っていたからだ。

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