信じられぬ現実と赤面の父
沈黙が続いた。誰も口を開かず、ただ時間だけがじわじわと場の空気を重くしていく。
「……いや、しゃべれよ! 何で呼んだ!」
しびれを切らしたグレゴが、堪えきれずギールにツッコミを入れる。その声に、ようやくギルマスが肩をすくめた。
「そうなんだけどさ……いや、ちょっと……シゲルさん呼んでもいい?」
冗談とも本気ともつかない調子だったが、場には少しだけ困惑の空気が混じる。
クロはその言葉をどう受け取ればいいのか、わからなかった。
――それほどまでに信用されていないのか。それとも、信用しているからこそ、“あのシゲルが養子を取った”という事実だけが信じられないのか。
そんな葛藤を抱えながら、クロは静かに問いかける。
「……そんなに、信じられませんか?」
淡々とした声だった。怒気はない。けれど、その単調さゆえに、ギールの耳にはどこか――ほんの少しだけ、寂しさが滲んでいるように聞こえた。
ギールは目を逸らし、苦笑にも似た息を漏らす。
「そうじゃないんだけど……ごめん」
「いえ。気にしていません。ただ――本題を」
クロの声音は変わらない。それでも、場の空気は一歩、前に進んだ。
「……そうだね」
ギールは軽く頷き、視線をグレゴへ向ける。
「グレゴ。彼女がこなした依頼内容、整理してもらえる?」
促され、グレゴが端末を操作する。テーブルの中央に設置された小型モニターへ、いくつかのログが投影された。
「依頼件数は六件。ただし、そのうち二件では複数の依頼を同時に達成している」
グレゴは端的にそう告げると、次に依頼の難易度分類を示すウィンドウを切り替えた。
「クロのランクはF――つまり登録直後の最下位ランクだが、受けてきた内容は表の依頼に限らない。裏の仕事も含めて……実力は、少なくともA相当と思っていい」
「……はぁ~~~」
ギールが声を漏らす。言葉というより、呼吸に近い吐息だった。
「なるほど。……シゲルさんの養子ってだけでも驚きなのに、それでいて中身も伴ってるってか」
ギールはぽつりと呟き、改めてクロに視線を向けた。
「君さ、本当に――人間?」
「……人間ですが」
淡々とした返答。その一言に、ギールはしばらく黙ったのち、目を細めて笑った。
「だよねぇ~……」
どこか投げやりにも、納得したようにも聞こえるその声。ようやく、場に張り詰めていた緊張がふっとほどけていく。
「よし、わかった。……クロ、ようこそギルドへ。もう、いいよ」
ギールがそう言って手を軽く振る。
「はい。……お邪魔しました」
クロが静かに立ち上がろうとした、そのときだった。
「待て。まだ話がある」
グレゴの低い声がかぶさる。
立ち上がりかけたクロが小さく首を傾げると、グレゴはちらりとジンに視線を送る。
「もうすぐ、着く頃だな?」
「ええ。呼んでおいたから、もう少しで来ると思うわ」
二人の会話に、クロとギールが同時に「?」という表情を浮かべる。
「……ちょっと待てグレゴ。勝手に進めないでくれる? 今は俺がギルドマスターなんだから」
ギールが抗議めいた声を上げるが――
「前マスターの俺のほうが偉い。……黙って待ってろ」
まるで当然とでも言うような調子で、グレゴが断言した。
「グレゴさん、マスターをしてたんですね」
クロが少しだけ驚いたように問いかける。
「ああ。だから、ギルマスが遠征中の間、留守を預かっていたってわけだ」
そう言いながら、グレゴはジンにちらりと目をやる。
「ジン。お茶でも頼む。五人分な」
「了解」
ジンは軽く頷くと、執務室の片隅――観葉植物の影に隠すように置かれていたキャビネットを開ける。そこには、丁寧に包まれたコーヒーセットが収められていた。
「なんで俺のコーヒーの場所知ってるの!?」
ギールが思わず声を上げる。驚きというより、絶望に近い響きだった。
「これで“隠してた”つもり? バレバレよ」
ジンはくすりと笑いながら、お湯を注ぎ始める。香ばしい香りがふわりと室内に広がった、その瞬間――
扉が勢いよく開いた。
現れたのは、怒りを顔いっぱいに浮かべたシゲルと、彼に小脇に抱えられ、きょとんとした表情を浮かべるクレアだった。
「ジン! 喋ってねえだろうな!!」
怒声にジンは涼しい顔で振り返る。
「ええ。まだ言ってないわよ、“学生時代、幾度となく私に振られた”ってことは」
「言ってんじゃねぇ~~~かぁ~~~!!」
シゲルの顔が一瞬で真っ赤になり、そのままガクッと膝をついた。しゃがみ込んで顔を抱え、悶えるように呻きながら肩を震わせている。
「……つら……つらすぎる……」
その様子に、場にいた誰もが言葉を失った。
ただクレアだけが、抱えられたままぱちぱちと瞬きを繰り返していた。