ギルマスとの対面と信じがたい現実
ギルド内、データ室の前。グレゴは扉の前で足を止め、軽くノックを打ち込んだ。
「どなた?」
中からくぐもった声が返る。
「グレゴだ。ギルマスが呼んでる。……ボスルームに行くぞ」
そう伝えると、ほどなくして扉が開き、中からジンが現れた。
相変わらず、胸元がざっくりと開いたままの姿。グレゴは眉をひとつ寄せて、すぐに苦言を漏らす。
「ジン。……その胸元、閉じとけ。ギルマスがまた目のやり場に困るからな」
グレゴが眉をひそめて言うと、ジンは悪戯っぽく微笑んだ。
「そう言うあなたも、しっかり見てるじゃない」
「俺はお前の夫だ。……だが、関係ない奴にまで見せるなって言ってるんだ。からかうつもりなんだろうがな」
ぴしゃりと返されて、ジンは肩をすくめる。それでも口元には楽しげな笑みを残したまま、ゆっくりと胸元のジッパーを引き上げる。
「はいはい、了解。お堅い夫のために、ね」
くすくすと笑いながら、ジンは視線をクロに向ける。
「あら、クロも行くの?」
「はい。呼ばれました」
クロは変わらぬ調子で、静かに頷いた。
「どうやら、私がシゲルさんの養子だというのが、よほど不思議なようです」
その言葉に、ジンが小さく目を細めて、優雅に笑う。
「そうね。……シゲさんを知ってる人なら、誰だって驚くわ」
柔らかくも含みのある言い回しだった。クロもそれ以上は何も言わず、黙って視線を伏せる。
「おい、行くぞ」
グレゴの促しに、ふたりは無言で頷く。
三人は並んで廊下を進み、データ室のさらに奥――ギルドマスターの執務室、通称ボスルームの前へとたどり着いた。
グレゴが扉の前で軽く声をかける。
「ギルマス。入るぞ」
しばしの間をおいて、部屋の奥からのんびりとした声が返ってきた。
「あ~い、いいよ~」
ドアが開くと、目に飛び込んできたのは――豪華な机に突っ伏しているギルマスの姿だった。
「おい、呼んでおいてそれはなんだ! どうやら、まだマスターとしての自覚が足りないようだな!」
グレゴが容赦なく声を張ると、机に突っ伏したままギルマスが手をひらひらと振る。
「いやいや、仕方ないでしょ! 一ヵ月も辺境に出張って、成果ほぼゼロで帰ってきたんだよ? それだけでもメンタル削られてるのに――」
上半身を起こし、顔を出すギルマスの表情はどこか本気の疲労と動揺が入り混じっていた。
「帰ってきたらさ、シゲルさんの養子だって? ……そんな爆弾、聞いてないってば……そりゃ、こうもなるって」
ギルマス――ギール・ゼーマースはそうぼやきながら、ようやく身体を起こした。机の横を回り込むようにして、目の前のソファを軽く指さす。
「まあ、座って。落ち着いて話そう」
促されるまま、クロはソファに腰を下ろす。その向かいにギールが腰を落とすと、少しだけ気まずそうな笑みを浮かべながら口を開いた。
「えっと……クロ、だったね。俺がこのギルドのマスター、ギール・ゼーマース。よろしく頼む」
名乗るその声音は柔らかかったが、どこか困ったような色が混じっていた。
クロはそのまま、ギールの姿を静かに見つめる。
長身――グレゴよりもさらに高い。だが、細身でありながら、どこか締まった輪郭がある。枯れている印象ではない。むしろ、鍛錬された肉体と、実戦の中で磨かれた静かな威圧感すら感じる。
短く切り揃えられた金髪。その下、鼻筋にうっすらと残る切り傷。その整った顔立ちと若々しさは、どう見ても二十代前半――少なくとも、クロの転生前、地球基準での「年齢感覚」ではそう見えた。
(……この世界の大人って、みんな若すぎる)
思わず、そんな感想が胸の中に浮かぶ。だが、それを表に出すことなく、クロは改めて姿勢を正した。
「あらためて。私はクロ・レッドラインと申します。これから、お世話になります。よろしくお願いします」
丁寧に頭を下げる。その所作には、年相応とは思えないほどの落ち着きと礼儀があった。
ギールはその様子を見て、目をぱちくりと瞬かせる。
「……いやいやいや。おかしいって。やっぱりおかしいって!」
立ち上がらんばかりに身を乗り出し、ジンやグレゴへと目を向ける。
「シゲルさんがさ……こんな礼儀正しい子の養父って、それ、やっぱりどこかで帳尻合ってなくない!?」
完全に素のリアクションだった。
だが、その言葉には敵意も警戒もなかった。ただひたすらに“現実が信じられない”という、純粋な戸惑いがにじんでいた。
「……うるさいぞ、ギルマス。いいから座れ」
すでにソファに腰を下ろしていたグレゴが、静かに目線だけでギールを制した。
その横でジンも小さく笑いながら、クロに手を差し伸べる。
「クロ、こっち。私の隣においで」
そう言って、隣のスペースをポンポンと軽く叩く。
クロは頷き、ジンの隣に腰を下ろす。ふと視線を上げると、真正面にはギールの姿。テーブル越しに、ふたりの視線が交差する。
だが、ギールの目はまだどこか定まっていなかった。その瞳には、まるで目の前の存在が幻か何かであるかのように、“信じたくても信じきれない者”を見る色が宿っていた。




