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バハムート宇宙を行く  作者: 珈琲ノミマス
家族としての始まり
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日常と新しい装備とギルドの異変

 翌朝――クロは、新しいベッドの感触に身を沈めたまま、静かにまぶたを開けた。ホテルの設備には及ばない。けれど、隣にクレアという温もりがある。それだけで、どこか心がほどける気がした。


 重たかった胸の奥が、少しだけ軽くなる――そんな目覚めだった。クロはそっと布団をめくり、ゆっくりと身体を起こす。パジャマを脱ぎ、ぎこちない動きで下着を身につけた。その一連の動作には、やはり微かな違和感が残る。


 いつもの分身体の身体に、気持ちだけがほんの少し置き去りにされている。クロはひとつ、静かに息を吐いた。気を引き締め、インナー“スネークシリーズ”を装着。続けて“ワイルズシリーズ”のトップス、ジャケット、ボトムズを身にまとう。マスクは首元に固定し、手袋をつけて装備を整える。


 端末を操作し、靴が玄関に置かれているため装備欄に表示されていないことを確認する。それでも、リンク状態は正常。問題なしと判断し、最後にカラー設定を開いた。


「いつもと同じでいい。スネークは黒、トップス、手袋、マスクも黒。ジャケットは赤、ボトムズは青。靴は黒で統一」


 迷いなく選んだ色の組み合わせ――変化はない。それが、クロにとっての“いつもの自分”だった。


 装備がすべて整ったころ、足元にふわりと小さな気配が寄ってくる。


「クロ様、おはようございます。今日は……いつもと、少しだけ違いますね」


 クレアが顔を上げる。その瞳に宿るのは、驚きというより興味深げな色合い。


「おはよう。新しいやつです。一階に行きましょうか」


 クロが微笑を返すと、クレアはうれしそうに頷いて、その後をついてきた。


 二人は並んで階段を下り、リビングへと向かう。そこでは、すでにシゲルがジャンプスーツに着替え、アヤコも同じ装備で支度を終えていた。


「おはよう、クロ。お、似合ってるな。けど、カラーはそのままなんだな?」


「おう、おはよう。変わり映えしないだろ」


 いつも通りのやり取り。けれど、今朝の空気はほんの少し、やわらかい。


「おはようございます。手間がなくて済みますし、統一していれば私だとすぐわかりますので」


 クロは淡々とそう答えながらも、自然とその空間に溶け込んでいた。


 ――きっと、これから毎日繰り返すことになるのだろう。


 そんな、何気ない朝の挨拶。だがクロの心には、不思議な温もりが灯っていた。


「クロ、クレア。朝ごはんは?」


 アヤコが振り向きながら尋ねてくる。その声に、クロは軽く首を振った。


「私はけっこうです。昼も大丈夫です。ギルドに寄ってから、また戻ってきますので……クレアは食べて、ここで待っていてください」


 そう告げて、クロは靴を装着するために玄関へと向かう。その背中を追うように、とことこと小さな足音が続いた。


「クロ様、私も行きます」


 クレアが真っ直ぐに見上げてくる。その瞳には、強い意志が宿っていた。


 だが、クロはやんわりと首を横に振る。


「いえ、クレアはここにいてください。ギルドへは、念のため一人で行きます」


 クロの言葉に、クレアがまっすぐ問い返す。


「なぜですか?」


 その声には、ただ従うだけではなく、自らの意思を持った疑問が込められていた。


「一応、用心です。問題がないと判断するまでは……ここで待っていてください」


 柔らかい語調の中に、決意がにじんでいる。そう言いながら、クロは玄関のドアに手をかけた。指先が静かに触れたその瞬間――その表情には、かすかな寂しさが浮かんでいた。


 別れが惜しいのではない。ただ、誰かが見送ってくれるという当たり前が、ほんの少しだけ、胸を締めつけた。


 カチリと音を立てて、ドアが開く。涼やかな外気が頬をなで、クロは一歩を踏み出す。朝の街路はすでに目覚めていて、人と音と光が静かに交差していた。


 気配を探るように視線を巡らせながら、クロは静かにギルドへと歩を進めた。


「……なんとなくですが、グレゴに怒られそうなので。クレアの件は、確認してからにしましょう」


 そう小さく呟きながら、ギルドの正面玄関に手をかける。ドアを押し開けた瞬間、耳に届いてきたのは普段とは異なるざわめきだった。内部は騒がしく、話し声や足音が入り混じっている。


 クロは足を止めず、静かにロビーへと入る。視線を一巡させると、すぐに空気の異変に気づいた。


 見知らぬ顔が多い。複数のハンターグループが集まり、緊張感と熱気が漂っていた。


 その中央、カウンター前には長身の男が立っている。どこか余裕のある態度で、グレゴに話しかけていた。


「グレゴ。なかなかいい調子で依頼が消化されてるな」


 低く響くその声に、グレゴが応じる。


「ああ。ただし、何名かは行方不明になってる」


「それは仕方がない。自己責任だろ? ハンターなんだから、それくらいは当然さ」


 男は肩をすくめるように言い放った。まるで、それ以外に選択肢はないとでも言うかのような、淡々とした口ぶりだった。


 そして、ふと視線を横に流す。ロビーを占めていた複数のハンターグループたちへと顔を向け、手を軽く上げた。


「お疲れさん。長期調査依頼はこれで完了だ」


 場が一瞬静まり、男の声が響く。


「報酬は、精査が終わり次第、随時振り込む。確認よろしく。じゃ、解散! お疲れ~っ!」


 最後のひと言だけは妙に明るく、場に漂っていた緊張を、曖昧な笑いとともに押し流していった。


 軽い口調とは裏腹に、ハンターたちの表情は一様に疲れていた。「お疲れ~」と互いにねぎらいの声を掛け合いながら、淡々とロビーを後にする者もいれば、足取り重く出口へ向かう者もいる。


 中には、どさりと椅子に倒れ込むように座り込み、テーブルに突っ伏して微動だにしなくなった者すらいた。


 そんな中――ふと、何人かの視線がクロに向けられる。


 入り口の横で立っていたクロの姿に、不思議そうな顔を向ける若いハンターたち。そのまま言葉もなく、ギルドを後にしていった。


 そして、カウンター前でグレゴと話していた長身の男が、ようやくクロの存在に気づいた。


「君。ここは子供の来るところじゃないよ?」


 声に含まれるのは皮肉ではなく、本気の警告。男はクロを一瞥し、まるで場違いな者を見るように言い放つ。


 だが、その“断定”に宿る温度のなさが、クロの内心に小さなひっかかりを残した。


 相手は見た目だけで判断しているのか――それとも、何かを知っていて、あえてそう言っているのか。


 クロは瞬きもせずに、まっすぐその視線を受け止める。


「来るところです。……ハンターですので」


 その口調には、曖昧な余地はなかった。静かだが、否応のない力がそこにあった。

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