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バハムート宇宙を行く  作者: 珈琲ノミマス
家族としての始まり
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世界樹と力の意味

 二階の部屋へと戻ったクロとクレアは、買いそろえた衣服や下着をひとつひとつ丁寧にクローゼットへと並べ終え、ようやく一息ついた。手を止めたクロはふと、つぶやくように言葉を漏らす。


「世界樹が知られていないとは…………正直、意外でした。『まさか!』とか『本物!?』っていう反応、少しくらいはあるかと思ってたんですが」


 肩の上にいるクレアが、きょとんとした顔でクロを見上げる。


「クロ様。その“世界樹”って……そんなに……すごいものなんですか?」


 純粋な疑問がにじんだ声だった。クロは軽く頷きながら、静かに視線をクローゼットの一角へ向ける。そこには、別空間に仕舞ったあの苗木の姿が頭に浮かんでいた。


「クレアが知らないのも、無理はありません。あれは……神木の一種です。生命と世界の均衡を象徴するような、神話級の存在ですから」


「神木……」


 クレアは小さく呟き、まるでその木が目の前にあるかのように想像をめぐらせたあと、素直な声で続けた。


「よくわかりませんが……とてもすごい木なんですね」


 クレアの小さな声に、クロは静かに頷いた。


「そうですね。私がいた惑星では――あの木が枯れると、星が終わる。そう言われていました」


 その口調には、過去を遠く振り返るような静けさがあった。懐かしさというより、どこか諦めにも似た色を含んで。けれど、クレアは首をかしげながら、素直に問いかける。


「本当なんですか? 一つの木が枯れただけで、星が……?」


 クロは一拍の間を置き、それから静かに目を伏せた。


「実際には、違います。世界樹は――ただの“兆し”なんです。枯れたから星が終わるのではなく、星が終わる時には必ず、あの木も枯れる。つまり……惑星の均衡が崩れた印として現れるものです」


 そこまで言ったクロの声が、少しだけ鋭さを帯びた。


「そして、あれが枯れるということは、その星に“救いようのない歪み”が現れたということ。だから私が――監視し、枯れる前に復活出来るよう手を打ちます。手を尽くして枯れてしまえば、その星ごと消します」


 まるで天気を語るように、淡々とした口調だった。けれどその奥には、幾千年という時間を超えて積み重ねられた決断と責任が、確かに息づいていた。重く、静かな事実。


「バハムート様……その……星って、本当に破壊できるんですか?」


 肩の上で、クレアが恐る恐る問いかける。その声には純粋な驚きと、言葉の意味をまだ完全には受け止められない戸惑いが滲んでいた。


 クロはわずかに視線を落とし、短く答えた。


「はい。簡単ではありませんが――可能です」


 その言葉には、誇張も虚勢もなかった。ただ、事実を告げるだけの静けさがあった。


「若干、時間はかかります。ですが、確実に。惑星を苦しみなく、一瞬で、痕跡すら残さず――完全に消滅させることができます」


 それは、神にも等しい存在だからこそ言える、絶対的な力の宣言だった。クロはその力を誇らず、恐れもせず、ただ“役目”として口にする。


 クレアは小さく瞬きをし、それから背筋をぴんと伸ばした。


「……すごい、です。でも……やはり、その力があれば、群れの頂点になれますよね?」


 その問いは、かつての本能に基づいたものだった。力こそが絶対の価値――そう教えられてきた時間が、クレアの中にはまだ残っていた。


 クロは静かに、しかし否定せずに頷いた。


「なれます。ですが……意味がありません」


 そう言って、そっとクレアの頭に手を添え、耳の後ろを撫でる。


「クレア。あなたのいた群れのような社会であれば、それでも問題はなかったでしょう。力が全てを決め、頂点に立った者がすべてを統べる――それも一つの在り方です」


 けれど、とクロは言葉を継ぐ。


「人間社会は違います。力だけでは、守れないものがある。力だけで動けば、結局は“壊す”ことしかできなくなるんです」


 クロの声は穏やかだったが、その響きには確かな重みがあった。


「人にはそれぞれ役割があります。私やクレアは、力を使って狩りをし、脅威から守る役目。シゲルやアヤコは、物を作ったり分解したりして支える役目」


 クロは一拍置き、やや問いかけるようにクレアを見やる。


「クレア。あなたは、物を作れますか?」


「……いえ。作れません」


 素直に答えたクレアに、クロは微笑んで続けた。


「だからこそ、助け合うのです。力で守る者、知恵で支える者、手を動かして暮らしを築く者――お互いが役割を担って支え合うことで、この社会は成り立っています」


 クレアは静かに耳を伏せ、黙って聞いていた。クロは少しだけ声のトーンを和らげる。


「もちろん、力で全てを統べる世界も存在します。ですが――色々と感じ始めている今のクレアにとって、それは本当に“楽しい世界”だと思いますか?」


 静かに問いかけるクロの声は、決して強制ではなかった。ただ、そっと心に触れるような柔らかさがあった。


 クレアはしばらく黙って考え、肩の上で尻尾をふわりと揺らした。


「……いいえ。今は、そう思いません。クロ様やアヤコ、シゲルと一緒に過ごす方が……ずっと、楽しいです」


 その小さな声には、迷いのない確信が宿っていた。クロの表情が、静かに緩む。ほんのわずかに瞳を細めて、満足げに頷いた。


「それなら、十分です」


 その穏やかな空気を破るように、一階からアヤコの明るい声が響いた。


「クロ~、クレア~。ごはんできたよ~!」


 呼びかけと同時に、階上まで届くような香ばしい香りが漂ってくる。衣をまとった揚げ物の香り、だしの効いた味噌の匂い、炊きたての米、焼ける肉の匂い――食卓の幸せそのものだった。


 クレアはぴくりと鼻を動かし、思わず目を細めた。


「……この匂い、好きです。昨日も今日のデパートでも感じました。なぜかわかりませんが……涎が出てしまいそうです」


 照れくさそうに呟いたクレアに、クロは優しく微笑んで頷いた。


「それは、私の血の影響ですね。今のクレアは、感覚が人間に近づいています。五感も進化していて、味覚や嗅覚で“美味しさ”をきちんと感じられるようになっていますよ」


 クレアは驚いたように目を瞬かせ、それから小さく口元を緩める。


「……すごい。なんだか、すごく楽しみです」


「ええ。今日は、あなたにとって初めての“人としての昼食”ですから」


 クロのその言葉に、クレアは嬉しそうに尻尾をふるふると揺らした。そしてふたりは並んで階段へ向かう。その足取りは軽く、どこか弾むようだった。

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