“妹”としての第一歩と、選ばれた皿
家電量販店の中を一通り見て回ったものの、結局、クロは何も購入せずに店を出た。
「クロ、良かったのか?」
店先で立ち止まったシゲルが問いかけると、クロは静かに頷いた。
「はい。必要性を感じませんでした。それに、あのジャンクショップの製品で充分かと。……どうせなら、またドローンの時のように、自由に造ってみてください」
そのひと言に、シゲルの頬が不敵に歪む。
「言ったな……。アヤコ、見積もり出しとけ。しかもたんまり――無駄機能盛り込んでやれ」
いたずらを企む子供のような目をしたシゲルに、アヤコは溜息まじりに肩をすくめた。
「まったく……後で文句言わないでよね、クロ」
アヤコが半ば呆れたように言うと、クロは真顔のまま、さらりと返す。
「大丈夫です。どうせ造るなら、家族で使う物になりますし――でしたら、費用も“家族全員で”分担すべきかと」
その言葉に、アヤコとシゲルはぴたりと動きを止め、顔を見合わせる。
「……“全員で”、ね……」
「おいクロ、それはつまり……俺らも財布出すってことか?」
シゲルがじわりと眉をひそめると、クロは静かに、しかしきっぱりと頷いた。
「はい。無駄に高機能にするのであれば、相応の負担は当然かと。そうですよね?お父さん、お姉ちゃん」
そのロジックに、一瞬の沈黙。そしてアヤコが、ぼそりとつぶやいた。
「やられた……完全に詰まされた……」
苦笑を浮かべながら、二人は同時に肩を落とした。
そんな様子に構うことなく、クロは静かに話題を切り替える。
「さて、これで一通り揃いましたね。あとは……クレアに食器を買ってあげたいと思っています。それと、お姉ちゃん。何か欲しいものはありませんか?」
「クロ様……ありがとうございます」
クレアはそっと小さな声で礼を言い、クロの頬に身を寄せてくる。その仕草は、言葉よりも素直で、あたたかかった。
「うーん、私はね……」
アヤコは少し首を傾げてから、苦笑いを浮かべる。
「ここには置いてないかな。専門店じゃないと取り扱ってないんだよね」
「でしたら、ついでに寄っていきましょうか?」
クロが自然に提案すると、アヤコは手を振りながら首を横に振った。
「いいよ。今日はもう十分だし、そっちはまた今度にしよう。歩いて行ける距離だからさ、今度はのんびり散歩がてらね」
その言葉に、クロも静かに頷いた。
すぐに向かうべき場所より、いつか一緒に歩く時間を――そう思えるようになったことが、今の自分にとって自然で、心地よいことだと、クロははっきりと自覚していた。
「よし、それじゃあ……前に行った生活雑貨の店に寄っていくか」
そう言いながら、シゲルが進行方向を変えようとした時、ふと思い出したように口を開いた。
「ただ、クレアに食器ってのはどうなんだ? あいつ、使えるのか?」
その問いに、クロはためらうことなく首を横に振る。
「いいえ。今の身体では、まだ普通の食器は扱えないと思います」
それを聞いて、シゲルが少しだけ眉をひそめる。だが、クロの次の言葉が、その表情を変えた。
「それでも、使える形のものを選んで買います。それに……いずれクレアが“妹”として、ちゃんと人の形になって暮らす日が来たら――その時のためにも、今のうちに用意しておきたいんです」
淡々とした口調の中に、揺るぎない思いがあった。
ただの飼い主と使い魔ではない。クロにとってクレアは、すでに“家族になる存在”として心に根づき始めていた。
その意思が、確かに伝わったのだろう。シゲルは少しだけ顔を背け、鼻を鳴らして応じた。
「……そうかい。なら、文句はない。さっさと選んで済ませよう」
アヤコもまた、クロに向かってにっこりと笑いかけた。
「じゃあクレア、お姉ちゃんと一緒に選ぼうね。妹の第一歩だよ」
「はい……! ありがとうございます、クロ様……お姉ちゃん……!」
クレアは尻尾をふわふわと揺らしながら、嬉しそうにクロの頬へ顔をすり寄せる。その小さな温もりを受け止めながら、クロはやわらかく目を細めた。
「……気にしないでください。では、行きましょう」
静かにそう言って歩き出そうとしたその時、背後から低く含み笑う声が響いた。
「しかしなあ……アヤコ。お前、叔母が増えるのに“お姉ちゃん”って呼ばれてんのな。クックック……」
シゲルのからかい混じりの言葉に、アヤコが勢いよく振り返る。
「じいちゃんっ! もうその話はやめてってば!」
バツが悪そうに言い返すアヤコの横で、クロの肩に乗るクレアは真顔で頷いた。
「そうです。アヤコは“お姉ちゃん”です。変える理由はありません」
「……だよね!」
アヤコは照れくさそうに笑いながらも、どこか誇らしげに胸を張った。その様子に、シゲルは小さく肩を揺らして笑いながら、ふたたび歩き出す。口には出さずとも、三人と一匹の距離が少しずつ縮まっていることを、誰よりも敏感に感じ取っていた。
そして向かった生活雑貨の売り場で、クレアは真剣な面持ちで棚を見つめ、ゆっくりと一枚の皿を選び取った。
それは――偶然か、あるいは必然か。クロが以前に選んだものと、まったく同じシリーズの食器セットだった。
「まさか同じ食器を選ぶとは……」
アヤコが軽く目を丸くし、クロがその皿を手に取りながら確認する。
「違いは……ラインの色が黄色になっているくらいですね。形も材質もまったく同じです」
それを聞いて、クレアはぱっと顔を輝かせた。
「嬉しいです……! クロ様とお揃いだなんて!」
尻尾をふわふわと揺らしながら、胸いっぱいの笑みを浮かべてクロの頬に顔を寄せる。クロは驚いたように瞬きをして、それから静かに――ほんのわずかに微笑んだ。
それは、言葉にしなくとも通じ合う、ささやかな共鳴だった。
日常の中に、少しずつ芽吹いていく“家族”のかたち。誰かと選び、誰かと笑うことが、こんなにも自然に感じられるようになったこと。それを胸に、それぞれの歩幅で――静かに歩みを進めていった。