400万のドローンと、家族の歩幅
「ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております」
店員の明るい声に見送られ、クロは両手に袋を抱えて店をあとにする。その袋の中には、買ったばかりの衣服がぎっしりと詰め込まれていた。
とはいえ、それはアヤコが抱えている分も同じだった。例外なくクロのぶんを“姉”としての責任感で抱え込み、両手いっぱいの買い物袋にやや満足げな表情を浮かべている。
「ふぅ~、買った買った。これでクロも、毎日ちゃんと着替えられるわね。色も柄も変え放題! どれ着ても似合いそうだったし」
その言葉に、クロは一歩後ろを歩きながら、小さくため息をついた。
「いえ、今の衣類管理システムは、洗濯も速乾処理も自動で行えますので……同じ服を回して着るだけでも、実用的には十分でした」
真顔でそう言いながらも、クロの腕には確かに五日分以上の衣服が収まっている。
アヤコは振り返ると、わざとらしく人差し指を立ててにこりと笑った。
「クロ。今日はこれで終わりだけど、今度は“おしゃれ服”を買いに行くからね? 日常用じゃなくて、女の子として“可愛いやつ”限定で! 覚悟しておいて♪」
「……もう、好きにしてください。私では難しい分野ですので」
そう返しながらも、クロの表情は少しだけ、柔らかくなっていた。
無駄に思えた買い物も、強引な試着も、アヤコの笑顔にすべて押し流されていく。それが、悪い気分ではないことに気づいた自分を、クロはまだうまく言葉にできなかった。
そして、ふと視線を前方に戻す。
「それより……お父さんのいる家電売り場に行きましょう。放っておくと、酒フェアがやってないと気づいて、面倒なことになりかねません」
「それ、ありそう。じゃ、急ごっか!」
軽く頷き合い、二人と一匹は再び歩き出す。
歩きながら、クロはちらりと周囲を見渡した。人の流れ、警備ドローンの軌道、設置された監視カメラの死角――すべてを無意識に確認する。
そして、自然な調子でアヤコに提案する。
「その前に、人通りが少なく、監視の薄い場所を探して、買った服を別空間に収納しましょう。これだけの荷物を持ったままでは、目立ちすぎますし、邪魔になります」
「了解。じゃあ、そのあたりの休憩スペースの裏手、たしか人も少なかったはず」
アヤコは即座に頷き、買い物袋を一度持ち直してから方向を変える。何気ない会話と自然な動きの中に、“共に過ごすことに慣れてきた”という空気が、確かに漂っていた。
人目の少ない場所で、クロは買い物袋ごと衣類を別空間へと収納する。何も持たない手が軽くなり、改めて家電売り場へと向かった。
その入り口付近――「本日のおすすめ」と大きく掲げられた特設コーナーで、シゲルが真剣な眼差しを向けながらドローンを吟味していた。
「じいちゃん。お待たせ」
アヤコが声をかけると、シゲルは“遅い”と言いたげに顔をしかめた。だが、想定内だったのか、そのまま口を閉じて言葉を飲み込む。
「……アヤコ。このドローン、どう思う?」
並ぶ機体のひとつを指し示しながら、シゲルは彼女の意見を促す。
「どれどれ……」
アヤコは身を乗り出し、ドローンのディスプレイやスペック表示に目を走らせる。設計構造や操作パネルのインターフェースをざっと確認し、数秒の沈黙のあと、あっさりと結論を出した。
「うん、性能は悪くないけど……これなら自作で十分かな。操作系が機種ごとにバラバラだから、整備も拡張もしづらい。見た目はいいけど、実用性は低いと思う」
言い切るその口調は、まさに日常に溶け込んだエンジニアだった。
「だよな。だが――」
シゲルはわずかに口角を上げ、試すような目でアヤコを見る。
「俺たちには真似できない部分があるのも、わかってるだろ?」
その問いに、アヤコはすぐ答えず、少しだけ思案してから静かに口を開く。
「量産速度。あとは、部品の調達コストと安定供給……それから――信頼性、かな」
指を折るようにひとつずつ挙げながら、淡々と続ける。
「仮に自作で性能を超えても、継続運用には不向き。汎用フレームに規格化された制御系、それに交換部品がどのコロニーでも手に入るってのは、素人向けには大きい」
「それだ」
シゲルは満足げに頷く。
「性能だけなら、いくらでも上は作れる。だが、プロが見るべきは“流通込みの完成度”ってやつだ」
「……それを“売るために作る”って言うんでしょ?」
アヤコが肩をすくめるように言うと、シゲルは「そのとおり」と指を立てて笑った。
「売る側の思考ってやつだな。……わかってるようで安心した」
シゲルが満足げに言うと、アヤコは肩をすくめるように返した。
「わかってるけど、やっぱり物足りないよね~。もっと小型化できるし、カメラも高性能なのが積める。静音性だって、まだまだ詰められるのに」
その言葉に、シゲルは頷きつつも、現実的なひと言を重ねる。
「……予算が無限にあれば、の話だ。クロのドローン、一台いくらだった?」
「200万。それが二台で400万C。ここの市販品の、ざっと百倍だね」
「そうだ」
シゲルは並んだ市販ドローンをひとつ見下ろしながら言った。
「しかも、あれは超小型で、カメラは高感度の多層センサー式、壁に張り付いての定点偵察もできる。静音処理もされてて、動作音はゼロに近い。そういう高性能パーツを組んでりゃ、そりゃ高くもなるさ」
「まあ、こんなのハンターか、せいぜい特殊工作員くらいしか使わないよね」
「一般向けじゃないな。コストも、用途も」
そう言って、ふたりは揃って市販機に視線を戻した。
その空気を切るように、静かに口を挟んだのはクロだった。
「……初耳ですね。そこまで高性能なものだったとは思いませんでした」
淡々とした口調の中に、ほんのりと皮肉が混じる。
「今となっては構いませんが――それほどの装備を、私に無断で組み込んでいたんですね。ドローンがなければ、費用は400万Cほど削減できた、ということになりますか?」
シゲルとアヤコは顔を見合わせ、ほんの一瞬だけ視線をそらした。
その様子を見たクロは、ふっと表情を緩めて微笑む。
「……責めているわけではありませんよ。家族ですから」
その一言に、アヤコは小さく肩をすくめ、シゲルは照れ隠しのように鼻を鳴らす。
クロは何事もなかったかのように前を向き、穏やかな声で言った。
「それでは、店内を見て回りましょうか」
「はいはい、了解」
軽いやり取りのあと、三人と一匹は静かに歩き出した。ゆるやかな足取りで、次の“いつもの日常”へ向かっていく。