見られる覚悟、選ばれる装備
誤字脱字の修正をしました。
ご連絡ありがとうございます。
「可愛いじゃない!」
アヤコのひと言に、クレアは床の上でちょこんと座り、勢いよく何度も頷いた。小さな前足を揃えたその仕草は、まるで同意の意志を全力で伝えようとしているようだった。
鏡に映る自分の姿――下着姿のクロは、思わず目を逸らしそうになりながらも、ちらりと確認する。派手すぎず、どこか品のある淡い色合い。案外、悪くはないと思った。
けれど、胸の奥に引っかかる感情は別だった。
――これが、男だった自分にとっての「正しさ」なのか?
そんな言葉が心の中で浮かび上がる。誰が答えをくれるわけでもない。それでも、今の自分が少しだけ遠く感じられた。
「……もう、いいですか?」
クロの問いかけに、アヤコは笑みを浮かべたまま、首をかしげる。
「クロ、どうしてそんな反応なの? 本当に可愛いってば!」
その言葉がくすぐったくて、クロはわずかに困ったような顔をした。
「いえ……なんだか、自分じゃないような気がしてしまって……」
ぽつりとこぼしたクロの言葉に、アヤコはまるで聞こえなかったかのように、軽やかに手を叩いた。
「よし、これにしよう! はいはい、さっさと着替えて。次は服を見に行くよ!」
その明るい調子に、戸惑いや迷いもろとも押し流される。抗おうとする意志はあった。けれど――それを支える気力までは、今のクロには残っていなかった。
やがて着替えを終え、静かに試着室のカーテンを開ける。表に出たクロの顔には、わずかな疲れがにじんでいた。
その肩に、ふわりとクレアが飛び乗る。体を寄せ、控えめな声でそっと囁いた。
「似合ってましたよ、クロ様。あれが“可愛い”というものです。私の理想です」
その真っ直ぐすぎる評価に、クロは苦笑いを浮かべる。
「クレア……貴女は元から女性ですが、私の本体は雄です。だからこそ、これは……なかなかに堪えます」
「それを言われるなら……私の本体も、もっと可愛いのがよかったんですが」
わずかに頬を膨らませながら、クレアは不満げに呟く。
クロは静かに首を振り、ため息まじりに返した。
「そこは譲れません。……私も、我慢します」
クレアのまさかの返しに、クロは肩を落とす。もう抗っても仕方がないと悟り、静かにアヤコの後を追った。
だが、胸の内には一つの思いが渦巻いていた。
(……まさか、俺がここまで振り回されるとは。さすがというか、なんというか)
苦笑混じりに、心の中でひとりごちる。
(やっぱり、力だけじゃ生きていけない。つくづく、そう思う)
洋服売り場に着くと、すでに店員とアヤコが何点かの候補を手に、クロのデータをもとに選別を進めていた。
「ハンターのお仕事であれば、この〈ワイルズシリーズ〉がおすすめです」
明るい声でそう言いながら、店員は数着の服を差し出す。
「以前の〈ワールドシリーズ〉や〈ライズシリーズ〉と比べて、新素材を使用しているのが特徴です。一番のポイントは、このフードとマスクですね」
そう言って、店員はハンガーから一つを持ち上げ、指先でフード部分を示した。
「こちらのフードとマスクユニットを装着し、センサーが顔面の接近や気圧変化を検知すると、自動的にマスクが展開します。そしてフードとの併用で顔全体を半透明スクリーンがフードから展開し覆います。これにより、光学防護と大気遮断の両機能が作動し、ヘルメットと同等の保護性能が得られます」
ハンガーに吊るされたジャケットに軽く手をかけながら、店員は滑らかな動作で首元のマスクユニットを示す。
「酸素はこのマスク側面の吸気ノズルから内部に供給されます。マスク下部のタンクから最長2日分の酸素供給が可能です。加えて、ジャケット・トップス・ボトムスの接合部にはナノマグシール式の自動連結機構が搭載されており、ヘルメットが展開されると前が開いた状態でも、全体が自動的に密閉されます」
クロは、そのハンガーにかけられたジャケットをまじまじと見つめた。色は深いブルーグレー。布地には特殊繊維が織り込まれており、ややマットな光沢が光の角度で変化する。首元に格納されたマスクユニットは、平時はあたかもチョーカーのように首元に馴染んでおり、装着時の違和感を最小限に抑えていた。
「マスクはご覧のとおり、普段は首元に折りたたまれた状態で保持され、必要なときだけ顔面を覆うように展開されます。出し入れのタイムラグはおよそ〇・六秒。緊急時の展開にも対応しております。マスクは単体でも使用は可能です」
そう言って、今度はパンツとブーツの接合部に指を滑らせる。
「手首や足首部分には、服の内部に格納された伸縮式の延長スリーブが内蔵されており、着用時にはそれらが自動的に展開して隙間を完全に包み込みます。また、同シリーズには標準で手袋が付属しており、手の甲から指先までをシームレスに覆うことで、全身の気密性を保持します。その為、宇宙空間でも問題なく活動できます」
店員はひと息置き、少し声を落として締めくくった。
「……ただし、こちらの〈ワイルズシリーズ〉は、ジャケット・ボトムス・マスク・手袋・ブーツの五点がすべて揃っていないと、安全機構が作動いたしません。部分着用では完全密閉が保証されない設計となっております」
その言葉に、アヤコはひとまず頷いたものの、ふと真顔で尋ねた。
「動きやすさと耐久性はよしとして――で、可愛さは?」
(……可愛さは不要だ)
クロの内心は冷静だったが、声にはしない。その視線の先で、店員は営業スマイルを保ちながら答える。
「申し訳ありませんが、本装備は現場のハンターの意見を反映し、実用性と任務遂行性を最優先に設計されております。目立たず、音を立てず、耐えて動けることが重要でして……デザイン的な“可愛さ”については、どうしても優先度が低くなってしまいます。今はこの色ですが、端末より変更できますし柄なども追加できます」
そう説明しながら、店員はもう一つのラックへと視線を向けた。
「もし、より軽量で潜入に特化したモデルをご希望であれば、〈スネークシリーズ〉もご用意しております。迷彩適応布地、光吸収加工、接地反応制御機能など、より静かに動ける設計です」
「試着はいいです。同じものを五着と、そのスネークシリーズを二着ください」
そう言ったクロだったが――
「ダメ。試着しなさい」
アヤコは即座に却下する。間髪入れず、店員へと視線を向けた。
「店員さん、スネークシリーズもお願いできますか?」
「かしこまりました。試着室までお持ちいたします。先にワイルズシリーズをお試しください」
応じた店員の声は柔らかく、しかし確実にクロを追い詰めていく。
――クロの意見は、洋服屋では通じない。
あらゆる判断は、すでにアヤコの手のひらの上で転がされていた。