選ぶこと、それもまた生活
店内を歩き、目的の家具店にたどり着いたとき――クロは思わず目を見開いた。
展示フロアには、宙に浮かぶベッドがずらりと並び、タンスやソファ、テーブルまでもが床から浮いて静かに揺れていた。
まるで重力そのものを忘れた空間。その光景に、クロは小さく首を傾げる。
「なぜ……浮いている意味は?」
ぽつりと漏れた疑問に、隣を歩いていたシゲルが応える。
「掃除や運搬のためってのがまず一つだな。位置調整が簡単だから模様替えも楽だしな。それにベッドは、そのまま寝るとハンモックみたいに体を包み込んでくれる。重力バランスが調整されて、寝心地もいいんだ」
そこまで言ってから、シゲルは指先で浮いているタンスを軽く示した。
「あと大事なのが、緊急時対策だ。コロニーの内部で衝撃や揺れがあったとき、家具が倒れるのを防ぐために、自動で浮き上がる仕組みになってる。浮いてる方が安全なんだよ、案外な」
クロは、納得したような、しきれていないような表情を浮かべつつ、ふわりと浮かぶ家具が並ぶ店内へと足を踏み入れた。
まず向かったのは、ベッドコーナー。
一列に並ぶ様々なタイプのベッドを視線で追いながら、足を止めたその場所で、クロはすぐに言った。
「これでいいです」
「……早っ!」
アヤコが思わず声を上げる。クロが選んだのは、セミダブルサイズのシンプルなベッド。枕元に小さな棚が付いただけの、必要最小限の機能に絞られたモデルだった。
「いいの? せっかくだし、もっと面白い機能があるやつにしない? ほら、リクライニングでソファーにもなるとか、スピーカー内蔵で音楽聴けるとかさ」
そう勧めるアヤコに対し、クロは首を横に振り、きっぱりと言い切る。
「あっても使わないなら、最初から要りません。シンプルで、無骨なのがいいです」
そう答えたあと、クロはちらりとシゲルの方に視線を向けた。
「それに、出来ますよね? 改造」
視線を受けたシゲルは、わずかに肩をすくめて苦笑する。
「……出来る」
「なら、必要になったらそのときに改造してもらいます」
そう言うクロの顔には、どこか満足げな色が浮かんでいた。
ベッドの注文書を受け取り、そのままマットレス売り場へ向かう。クロが選んだのは、余計な機能のないシンプルなマットレス。ベッドと同じく、枕から掛け布団までが一式セットになっているものだった。
そうして支払いを終え、家具選びは、あっさりと終わる。
「え、それだけ? タンスは?」
驚くアヤコに、クロは淡々と答える。
「クローゼットでいいです」
「……じゃあ、服は?」
「これしかないので」
クロは今着ている一着を指して、さらりと告げた。
アヤコは思わず額に手を当て、天を仰ぐ。
「じいちゃん。服屋に行ってくる。終わったら連絡するから、ぶらぶらしてて」
「そうだな。家電でも見てるわ」
そう言い残し、シゲルは別方向へと歩き出す。
その瞬間、アヤコはクロの手をぐっと掴んで引っ張った。
「ちょ、これで十分なんですが?」
引かれながらもクロは真顔で問いかけるが、アヤコは即座に反論する。
「十分なわけないでしょ! 下着もないんでしょ!」
「はい。トイレなどはしないので、必要ないかと」
「女の子なんだから! 身だしなみに気をつけなさい!」
声を張りながらも、アヤコの言葉にはどこか母親のような響きがあった。
そうして無理やり連れてこられた服屋は、また一風変わった――いや、進化した空間だった。
店舗の内装はシンプルで統一感があり、一見するとすべての服が白一色に見える。だがその白い衣服は、照明やディスプレイの指示に反応して次々と色や柄を変え、まるで店全体がショーの舞台のように演出されていた。
「これは……すごい」
クロが見上げて呟くと、アヤコがにこやかに振り返る。
「クロの服も、アプリで色変えてるでしょ? ここはその専門店。私の服もそうなんだよ」
そう言って、自分の端末を操作し、いま着ている服のカラー設定を見せてくる。
クロが驚きに目を丸くしているのを見て、アヤコはそのまま真っ直ぐ――下着売り場へと向かう。
クロはぎょっとして立ち止まるが、アヤコはあっけらかんと言った。
「まずは下着からね。サイズ合ってないと、上に着る服も合わせづらいから」
その一言に、クロはじわじわと冷や汗をかく。
明るすぎる照明、柔らかい音楽、ずらりと並ぶ色とりどりの下着。肩の上のクレアはきょろきょろと興味津々だが、クロの内心はすでに嵐だった。
(……男としては地獄だ。しかし今は女性の姿。女神め……やっぱりビンタかますしかないんじゃないか……?)
心中でうめきながら、声をかける。
「お姉ちゃん。動きやすいものでいいですので、さっさと選んでください」
懇願にも似た声に、アヤコは即座に首を振る。
「だめ。ちゃんとしたものでないと、あとで絶対後悔するよ。それにね、サイズ合ってないと服のラインも崩れるし、疲れやすくなるんだから」
そしてすかさず、近くのスタッフに手を上げる。
「すみませーん。この子のサイズ、測ってください!」
(ああっ! 男の姿にさえ出来れば、こんなことでドギマギしなくて済むのに……!)
クロの心の叫びは、誰にも届かず、下着売り場の空調に溶けていった。