巨大な箱と力の意味
総合デパートのタワー式立体駐車場に到着するや否や、シゲルはエアカーのドアを勢いよく開け、飛び出した。そのまま、フェア会場を目指して一目散に駆け出そうとする。
アヤコはその行動力に半ば呆れながらも、すかさず声を上げた。
「じいちゃん! それ、後でって言ったでしょ! 先に必要な買い物を済ませるの!」
ぴたりと足を止めたシゲルは、悔しげに顔をしかめる。だが、その表情にはどこか納得したような色も混じっていた。
「……わかってる。まったく、最近の孫は口が減らん」
「いや、それじいちゃんに言えることだからね?」
アヤコは肩をすくめながらシゲルに追いつき、クロもクレアを肩に乗せたまま、そのあとに続いた。
しばらく歩いたところで、シゲルが振り返り、じとっとした目でクロを見る。
「……クロ。そのまま連れて行く気か?」
確認するような声に、クロは真顔であっさりと頷いた。
「はい。ここは“動物禁止”ではありませんよね?」
その即答に、シゲルは思わずクロを指差して叫ぶ。
「目立つ!」
だが次の瞬間、クロのカウンターが冷静かつ鋭く返ってくる。
「お父さんの格好も、たいがいだと思いますが?」
派手なアロハにハーフパンツ、そしてサングラス――周囲の視線を集めるには十分すぎる出で立ちだった。
その様子を見ていたアヤコは、ため息まじりに小さくつぶやく。
「……どっちもどっちなんだけどな〜」
そして、これ以上目立ち続けられても困るとばかりに、二人の背を軽く押す。
「ほら行くよ。まずは家具からだね」
そう言って、シゲルとクロを促し、三人と一匹は連れ立って総合デパートの自動ドアをくぐった。
クレアは驚いていた。総合デパートの自動ドアをくぐった瞬間、目の前に広がった景色は――想像を遥かに超えていた。
天井は果てしなく高く、何層にも積み重なる階層。光と音と人の気配が渦巻き、巨大な構造物が所狭しと連なっている。
肩の上から見下ろすその光景に、クレアは目をぱちぱちと瞬かせた。そして、ほんのり首をかしげながら、小さく呟く。
「……こんなに、人が……」
その声には、戸惑いと感嘆が混ざっていた。
かつての住処を思い出す。クレアが生きていたのは、宇宙だった。漂流する隕石のくぼみ、崩れた戦艦の内部――星の光だけが頼りの、静寂と虚無に満ちた世界。
そこには壁も屋根もなく、必要なものは最小限で、それでも十分だった。光と闇の境界を知り、漂流の先に何があるかを感じ取る力こそが、生存に必要なすべてだった。
だからこそ、今、目の前にあるこの“巨大な箱”に、彼女の感覚は驚きでいっぱいだった。
人間たちは、これほどまでに巨大な空間を作り、そこにさらに箱を詰め込み、物を飾り、人を集め、動き回っている。
「……この巨大な箱に、さらに大きな箱や小さな箱……」
クレアはしばらく黙ったまま観察し、それからぽつりと口を開いた。
「……ここの群れの長は、クロ様より偉いというんですか?」
その問いには、本気の驚きが込められていた。クレアにとって“大きさ”とは“強さ”であり、空間を制するものが群れを統べる――それが自然の理だったからだ。
「ううん、偉いとかそういうことじゃないよ」
アヤコは笑いながら、クロの肩に乗るクレアの頭をそっと撫でた。
「まず、巨大な箱は“コロニー”っていって、私たちが住むための――そうだな、下地みたいなもの。土台って言ってもいいかも」
クレアが瞬きをしながら聞いているのを見て、アヤコは少し言葉を選びながら続けた。
「で、その中にある小さい箱が“家”だったり“お店”だったりするの。住処や拠点って考えれば、クレアにもわかりやすいかな」
クレアがうなずいたのを見て、アヤコはさらに説明を重ねる。
「それでね、今いるこの大きな箱は――小さい箱のお店がいっぱい集まってできた場所。色んな人が買い物に来る“集まるところ”なんだよ」
少しだけ言葉を区切ってから、アヤコは柔らかく微笑んだ。
「他にも大きな箱はいろいろあるけど……それは、実際に見てからの方がきっと早いね。今は、そんな感じで大丈夫」
アヤコがそう締めくくると、すぐにクレアが真顔で頷いた。
「なるほど。そうですよね。クロ様に勝てるわけがありません。これはクロ様の物なんですね」
その結論に、クロはすぐさま否定を返す。
「いえ、違いますよ」
クロは一度クレアに視線を向け、ほんの少し言葉を選ぶようにして続けた。
「人間社会は複雑です。確かに、力だけで見れば私は頂点に近いかもしれません。ですが――それだけで、この世界……いえ、“人間社会”は回っていません」
そこでひと呼吸置いて、静かに言い添える。
「ですので、まずは“力がすべてではない”ということを、覚えておきましょう」
クロの口から語られたその言葉に、クレアは目を見開いた。力がすべてではない――それは、クレアにとって大きな価値観の転換だった。
(力が……すべてでは、ない?)
かつて宇宙の片隅で生きていたクレアにとって、“力”は生き延びるための絶対的な指標だった。だが、クロの言葉が示すこの社会の在り方は、それとはまるで違う。人間とは、あまりにも複雑だ――そう思うと、クレアは頭を悩ませずにはいられなかった。
その空気を断ち切るように、シゲルの声が飛ぶ。
「お前ら、しゃべり過ぎだ」
ぶっきらぼうな調子で言いながらも、視線はしっかりとクレアに向けられていた。
「それとクレア。ここでは喋るな。それとなるべく鳴くな。何かあれば、クロに小声で伝えろ。いいな」
クレアは緊張した面持ちで、こくんと小さく頷いた。
シゲルはそれを確認すると、踵を返して足を進める。
「まずは家具だろ。行くぞ」
堂々と先頭を歩くその背を追って、クロとアヤコもあとに続く。
クレアは肩の上から周囲をきょろきょろと見渡しながら、そっと息を吐いた。
(……わからないことは、まだまだ多い。でも、学んでいこう)
そう、クレアなりに静かに決意を固めながら――人の世界をひとつずつ、受け入れようとしていた。