猫と執行者と静寂の証明
誤字脱字の修正をいたしました。
ご指摘ありがとうございます。
クロは、端末に表示されたデータを淡々と確認する。DNAコード、体重変動、目の色――いずれも一致していた。同時に、依頼人・ハナミからも血統書と生態データが送られてくる。
「……一致した」
静かに呟いたクロが、視線をゆっくりと男に向ける。
「お前。他にもあるだろ?」
その言葉に、男は返事もできず、ただ肩を震わせながら、ゆっくりと首を縦に振った。
クロはそれ以上追及せず、端末を操作しギルドへの通信を開く。ホログラムが展開され、すぐに音声が繋がった。
『ハンターギルド、受付のグレゴだ』
「クロです」
『……お前か。どうした? 依頼の内容、わからなかったのか?』
グレゴの声は、いつもより少しだけ柔らかかった。わずかでも気にかけてくれている――その気配に、クロの胸が一瞬だけ温かくなる。
だが、すぐに顔を引き締めた。
「いいえ。猫は見つけました。けど、問題が発生しました」
『……問題?』
「犯罪グループでした」
『――なに?』
通信の向こうで、グレゴの声が一段高くなる。
「今、14区画近くの商業区――総合デパートの中です。対象の猫は、この中の“アニマルパーク”で展示されていました。ですが、その店舗が――再販売を偽装した詐欺行為を行っていた形跡があります」
グレゴは沈黙する。クロは続けた。
「正当防衛として応戦しました。武器を向けられたので対応した結果――二人は瀕死。あと一人は気絶しています」
『……わかった。すぐに治安局と調査班を回す。動くなよ、クロ。お前の対応が正当だったと確認が取れ次第、すぐに処理に入る』
「お願いします。それと――」
クロは一拍置いて、少しだけ声を落とした。
「他にも、迷子動物の捜索依頼があるなら……依頼主から生態データや識別情報を集めておいてください」
『……了解。対応する。とにかく、今は現場に居ろ。あと――逃がすな』
「大丈夫。逃げたら、殺すと言ってある」
『………………お前……いや、今はいい。すぐ手配する』
グレゴの返事には、明らかな間があったが、あえてそれ以上は突っ込まなかった。通信は静かに切れた。
クロは端末を下ろすと、再びゆっくりと歩き出す。視線の先には、端末を抱えたまま立ち尽くす男の姿。血の気はすっかり引いている。
「――聞いてたな」
冷たい声に、男の身体がびくりと揺れる。
「この店以外にも、同じようなことをやっているのか?」
「え、っ……あの……」
言葉が続かない。クロの視線が、わずかに鋭くなる。
「次、黙れば――腕を切る。答えろ。他の店でも同じことを?」
「はいっ!あ、あります!やってます!」
叫ぶような声。喉が潰れそうなその答えに、クロはようやく目を細めた。
しばらく尋問していると、遠くからサイレンの音が響き始めた。断続的な警告音に混じり、装備の擦れる音と複数の足音が重なり合い、一斉に店舗へと迫ってくる。
クロはそれを聞くと、ゆっくりと店先へと歩み出た。
入り口の外には、すでに治安局の大型ドローンがホバリングしており、白と青の制服を纏った隊員たちが次々と降下してくる。上空には、反重力式の担架がふたつ。静かに、だが急を要するように浮かんでいた。
先頭に立っていたのは、中年の男。動きに無駄がなく、視線には鋭さが宿っていた。左腕のバッジが、治安局のものであることを示している。
「君が……クロか?」
クロは小さく頷き、淡々と答える。
「はい。中にいます。犯人は4人で確保済み。二人は瀕死。急げば、まだ助かるかもしれません」
その言葉を聞いた瞬間、白衣姿の救急隊員たちが担架を携えて奥へ駆け込んでいった。数秒後、店内からはざわめきと──断続的に押し殺された声が漏れ始める。
「……ひどい」
「本当に、あの少女が……?」
「むごすぎる……」
やがて、担架が運び出される。すでに白いカバーがかけられ、中の姿は見えない。
だが、救急隊員たちの表情がすべてを物語っていた。誰もが言葉を失い、ある者はクロに目を向け、ある者は視線を逸らす。その目は──まるで人間以外の何かを見たような恐れと困惑に満ちていた。
クロは一言も発しない。ただ、何も言わず、静かに大型ドローンへと乗り込んでいく彼らの背を見送っていた。
「……よく、大型ドローンがデパート内まで入れましたね」
不意に背後から声がかかる。治安局の男が、わずかに皮肉めいた口調で言った。
「最初の感想がそれかね……」
そう苦笑混じりに返すと、彼はすぐに表情を戻す。
「正当防衛と報告を受けている。……だが、証拠はあるか?」
クロは無言で端末を掲げる。
「録画と録音はすべてこちらにあります。それと、店の休憩スペースに設置されていた防犯カメラ。そこにも記録が残っているはずです」
「……確認する。端末の映像、見せてもらえるか」
治安局員は受け取った端末を操作し、映像と音声の再生を始めた。
──数分後。
男の顔から血の気が引いていく。表情が引きつり、眉間に深い皺が刻まれた。
「……この至近距離のビームガン。……どうやって防いだ?」
クロは首を傾げもせず、静かに答える。
「説明が、必要ですか? 撃たれたのは事実です。それだけで、十分では?」
「……そうだな。ハンターには、余計な詮索をした。すまない」
治安局員は一度小さく息を吐き、姿勢を正す。
「改めて、依頼の詳細を伺ってもいいか?」
「はい」
クロは静かに頷き、事実だけを簡潔に伝える。
「猫の捜索依頼を受け、調査を進めていたところ、この店舗内のケージで――対象と特徴が一致する猫を発見しました。事情を確認しようとしたところ、店員側から攻撃を受けたため、やむなく制圧しました」
「……“やむなく”ね」
治安局員は苦い笑みを浮かべたが、それ以上は言わずに軽く頷いた。
「わかった。その猫は、君が連れて行って構わない」
「ありがとうございます」
クロは一礼すると、続けて端末を操作する。
「それと……この店舗以外でも、同様の手口で動物の再販売を行っている形跡があります。こちらが証拠の映像です。手口の記録と、関係者の証言も添えています」
ホログラムが静かに展開され、複数の映像が浮かび上がる。異なる店舗で撮影された監視映像、内部のデータ管理画面、そしておびえた店員の証言音声──どれもが、同一の手口を明確に裏付けていた。
治安局員は黙ったままそれらに目を通し、次第にその表情が引き締まっていく。目の奥が静かに光り、職務上の判断を下す者の顔へと変わっていった。
「……ギルドには、他の動物捜索依頼も確認してもらっています。いずれ、関連情報が上がってくるはずです」
クロの言葉に、治安局員は短く頷いた。
「わかった。ご苦労だったな。あとはこちらで対応する」
クロは静かに一礼し、足を向ける。
「お願いします。では、猫は依頼主のもとへ連れて行きます」
そう言って店内へ戻り、ガラス棚の脇にあったキャリー型のケージを手に取った。中にいた白猫――シロは、クロの姿を見た瞬間、身を縮めて後ずさる。
先ほどの“圧”を、まだ体が覚えているのだ。
「……来ないと、帰れないぞ」
クロが小さく呟き、ほんのわずかに“圧”を放つ。空気が震えるほどではない。ただ、意志だけを込めた気配の一滴。
するとシロはぴくりと耳を動かし、しばらくためらったのち、静かに自らケージの中へと入っていった。動きに逆らうこともなく、まるで納得したかのように、大人しく座り込む。
クロは無言でそれを抱え、店をあとにする。
その背を、治安局員はしばらく見つめていた。白と黒、対照的な後ろ姿。そして、ぽつりと呟く。
「……とんでもない化け物かもしれんな。英雄か、悪魔か……」
誰に言うでもなく、ただ空気に溶けるように漏らされたその言葉。だが、どこか少しだけ愉快そうに――彼は頭をかき、残された犯人たちのもとへと歩いていった。
その顔には、わずかに笑みが浮かんでいた。