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バハムート宇宙を行く  作者: 珈琲ノミマス
家族としての始まり
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家具のない部屋と休日の攻防

 クロは、アヤコに案内されて階段を上がっていた。細い廊下の奥にある一室。その扉の前でアヤコが足を止める。


「ここが、クロの部屋になる場所だよ」


 そう言って開かれた扉の先には、静かな空間が広がっていた。


 白い壁に大き目のクローゼット、簡素な床材。広さは十分で、空調も整っている。壁際の窓からは、ミラーによって調整された柔らかな光が差し込んでいた。


 けれどその室内には、家具らしきものが何ひとつなかった。


「もともと、お父さんとお母さんの部屋だったんだけど、今は空いてるから。好きに使っていいよ」


 その言葉に、クロは思わず姿勢を正す。


「……いいんですか? そんな、大事な部屋を……」


 遠慮がちに問うクロに、アヤコはにこりと笑った。


「いいの。もう使ってなかったし、それに家具も置いてなかったからね」


 そう言って肩をすくめるアヤコ。軽い調子のその声は、どこか遠くを見ているようにも聞こえた。


 だが――


 クロは、その一言に小さく違和感を覚えた。家具がない。まるで最初から“誰も暮らしていなかった”ような部屋。人がいた痕跡が、そこには何一つ残っていない。


 ほんの小さな引っかかり。だがそれは、クロの胸に静かに沈んだままだった。


「一応、言っておくけど――家具は数年前に処分したからだよ。生きてるかもわからないしね」


 アヤコは肩をすくめながら、あくまで軽い調子で言ってみせた。


「……亡くなったのでは?」


 クロの問いかけは、静かで真っ直ぐだった。その言葉に、アヤコは一拍だけ黙り込む。


「う~ん……」


 唸るように息を吐いてから、壁にもたれ、視線を外す。


「わからない。戸籍上は“死亡”になってるけど……居なくなったんだよ。ある日、ぽんと」


 言葉の最後は、少しだけ力が抜けていた。笑っているようで、笑っていない。そう、まるで――過去に触れることを、少しだけ避けようとするように。


「だから、私の中ではもう“亡くなってる”。だから気にしないで」


 アヤコはあっけらかんと言い切った。


「気にはなりますが、気にしません」


 クロは素直にそう返すと、それ以上は踏み込まずに話を終えた。まあ、いろいろあるだろう――と、ひとまず自分の中で整理をつける。


 そして、そっと部屋の中へと足を踏み入れた。


 およそ十畳ほどの室内。そこには何もなかった。殺風景とも言える空間だったが、どこか静かで、落ち着く空気があった。


「お姉ちゃん、その格好ということは……今日はお休みですね」


 クロが振り返ってそう言うと、アヤコはニヤニヤとした笑みを浮かべながら近づいてきた。


「そうだね〜」


 いたずらを企んでいるような顔。そのままクロの横に立つと、声のトーンを弾ませる。


「買い物、行きますか?」


「行こうか。でも、その前に――一人、説得しないとね」


 そのとき、疑問を口にしたのはクレアだった。クロの肩に乗ったまま、小さく首を傾げる。


「買い物とは……なんです?」


 その素朴な問いに、クロは即座に答えた。


「簡単に言えば、狩りです。ただし、自分たちが狩るのではなく――お金で狩ります」


 理屈としては間違っていない。けれど、その表現にアヤコは思わず顔をしかめた。


「クロ、それ……たぶん違うと思うんだけどな~」


 呆れたように言いながらも、アヤコの口元には自然と笑みが浮かんでいた。


「じゃあ、じいちゃんを説得しに行こうか」


 そう言って、アヤコは軽く手を振ると、階段を下りていく。一階のリビング――その先に待つ強敵に向かって。


 その背を見送りながら、クロはぽつりと呟いた。


「アヤコ。貴方も……いろいろあるんですね」


「クロ様……」


 肩に乗ったままのクレアが、小さく声を漏らす。クロはその頭をそっと撫でながら、静かに続けた。


「いいですか、クレア。人には、知られたくないこともあれば――触れてほしくないこともあります。アヤコが自分から話すまでは、黙って見守りましょう」


「はい。わかりました」


 クレアは真面目に頷き、その体をクロの首元に寄せる。その仕草が、やけにやさしく感じられた。


 クロがリビングに降りていくと、そこには見慣れない姿のシゲルがいた。


 いつものような職人気質の鋭さはどこにもなく、タンクトップにトランクスという完全に気の抜けた格好でソファに寝転び、モニターを眺めている。何もしないぞという意志すら感じさせる構え。その姿はまさに“だらけ”そのものだった。


 画面の中では、ユニフォーム姿の選手たちが白球を追っている。どうやら野球らしい。だが、どこか違和感があった。


(この世界にも、野球があるんですね……でも、ちょっとルールが違うような)


 クロは少しだけ興味を引かれたが、今は別の目的がある。気を取り直して、ソファに沈み込んだままの“父親”に視線を向ける。


「はしたなさすぎませんか、お父さん」


 真顔でそう言い放つクロに、シゲルは片手を振りながらそっけなく返す。


「うるさい。休日の男ってもんは、こういうもんなんだよ」


「……それは否定しません」


 クロは微妙な顔をしながらも、静かに一歩だけ引き下がる。


「クロっ!? なんでわかっちゃうの!?」


 アヤコが思わず振り返り、驚き混じりの声を上げる。


 それに対して、クロはどこか淡々と、だが少しだけ肩をすくめるようにして答えた。


「いえ……私、というより――バハムートの頃も、数千年こんな感じでしたし」


 長い時の重みを感じさせるその一言に、シゲルは目をぱちぱちと瞬かせる。だが、理解するより先に、何かを察したように肩を落とした。


「そっか……数千年、か……」


 ぽつりと呟くシゲルに、クロは静かに頷いた。


「はい。暇で暇で、仕事も……監視くらいでしたし」


 その口ぶりはあくまで淡々としていたが、言葉の端々にどこか疲れた響きが混ざっていた。


 だが、シゲルの反応は意外にも早かった。


「クロ……それって、俺と比べてるのか?」


「はい」


 即答だった。


 シゲルは思わず天を仰ぎ、声を張る。


「バカ野郎。仕事してる俺と、ただ見てるだけのお前を一緒にすんな。見てるだけでもまあ辛いだろうが――仕事してた俺の方が偉い。だから俺は休む。だらける。以上」


 最後には宣言のように言い切り、どっかりとソファに身を沈める。


 その姿はあまりにも開き直っていて、クロは小さく首を傾けた。


「……理屈としては理解できますが、褒められる態度ではないと思います」


「うるさい。これは正当な休日の権利だ!」


 シゲルが胸を張って堂々と言い切るその姿に、アヤコは内心で舌を巻いた。


(……手ごわい)


 そう思いながら横目でクロを見る。クロは何かを考えているような顔をしていた。わずかに視線が泳ぎ、口元が静かに結ばれている。


 だがそのすぐ傍らで、クレアが不思議そうに首を傾げているのが目に入って――


 アヤコは思わず、笑いそうになるのをこらえた。

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