境地へ至る瞬き
バハムートとヨルハは、報告された宇宙シャークの目撃地点へと転移した。漆黒の空間に、砕かれた機体の残骸がいくつも漂っている。形を保たぬものもあり、激戦の跡が生々しく浮かんでいた。
バハムートは周囲をゆっくりと見渡す。砕けた機体の内部に人影はなく、いずれもハッチが開放されている。戦ったハンターたちは、なんとか脱出したのだろう。そう推測できるだけの痕跡が残されていた。
「ヨルハ。宇宙シャークの痕跡を追えるか」
問いかけに、ヨルハは即座に反応した。その瞳に宿る光が、探索者としての意思と使命感を滲ませる。
「はい。先導します」
短く答えると、ヨルハは静かにバハムートの肩から飛び降りる。滑るように宙を駆け、先へと進みながら軌跡を辿りはじめた。その背を、バハムートが無言で追いかけていく。
ヨルハは、自身の“変化”に戸惑いを覚えていた。
擬態によって姿を縮めた自分は、以前よりも小柄で、幼く見える。見た目の印象からくる違和感に、最初は力を削がれたような錯覚すらあった。けれど、それは思い込みだった。
動いてみれば、すぐにわかる。反応速度も、筋力も、感覚も――すべてが研ぎ澄まされていた。進化前とは比べ、四肢の動きは滑らかで、力強さはむしろ増している。嗅覚も視界も、以前とは比べものにならないほど鋭く、精密な探知能力が感覚全体に宿っていた。
縮んだからといって、能力は落ちていない。密度を凝縮したこの姿は、見かけの小ささとは裏腹に、本来の力をそのまま内包している。
それでも、ヨルハはほんの少しだけ未練を抱く。
(……せめて、もう少しかわいい姿だったらよかったのに)
その思いに、苦笑が混じる。とはいえ、冗談めいた不満の奥にあるのは、過去の“獣”としての自分に対する懐かしさだったのかもしれない。
かつての本能は和らぎ、知性は飛躍的に向上していた。言葉を操り、思考を重ね、“選ぶ”という行為を獲得した自分。それは、ただ生きるだけの存在ではない。“誰か”として、存在する意志だった。
ヨルハは静かに歩きながら、自分の中に生まれた変化を確かめていた。姿は変わっても、自分は――確かに進化している。
ヨルハの先導を受け、バハムートはその背を追って漆黒の宇宙を突き進む。周囲の空間にはかすかな波動の乱れが漂っていた。ヨルハはその僅かな痕跡を読み取りながら、速度を落とすことなく先へと導く。
やがて、ヨルハがふいに動きを止めた。
「……いました。けれど、逃げています」
その声に、バハムートの視線が鋭さを増す。逃走の理由に心当たりはあった。
「……前回と同じ、俺の気配に気づいたか。そういうことか」
わずかに息を吐き、バハムートは静かに言葉を続けた。声には焦りも怒りもない。ただ確かな意思だけが込められていた。
「だが、逃がすわけにはいかん。ヨルハ、回り込め。逃げ道を塞げ。――もちろん、殺ってもいい」
「了解!」
応じたヨルハの声には、明確な決意が宿っていた。その小さな体が宙を切り、逃走する影へ向けて放たれる。その瞬間、戦場が――再び、動き出した。
ヨルハの動きは、宇宙シャークのそれを凌駕していた。凝縮された小さな体が流星のように宙を駆け、逃走する巨影の進路へと一瞬で割り込む。
突如、目前に現れた影――あまりにも小さいその存在に、宇宙シャークは一切の警戒を抱かない。咄嗟に、巨体をひねりながら顎を開き、丸ごと飲み込むように突進する。その口は、戦艦すら噛み砕ける強靭な咬合力を備えていた。
一噛みで終わるはずだった。そう――噛み殺したつもりだった。
だが、次の瞬間。閉じた顎の中には何の手応えもない。裂ける感触も、崩れる質量もなかった。
ほんの一瞬の静寂。宇宙シャークは、違和感に気づくよりも先に、本能で危機を悟った。
視界の端に、なにかが舞っている。――自分の、胴体だった。
頭部と胴体をつなぐべき首元は、まるで刃物で切り離されたように寸断されている。理解が追いついた時には、すでに神経の制御も、筋肉の応答も失われていた。
巨体は、音もなく漂い始める。裂けた断面から、青白い粒子が静かに零れていく。やがてその命の灯は、宇宙の闇に溶けて、静かに消えた。
ヨルハは、自分の身に起きていることに――いや、自分自身の“至った境地”に、言葉を失っていた。
目の前のすべてが、まるでスローモーションのように見える。空間の揺らぎすら読めるほど、視界は澄み、研ぎ澄まされている。動きが読める。攻撃が遅い。予兆が、すでに結果として見える。
そして何より――身体の隅々までが、ひとつの意志で統率されていた。どこにもズレがない。関節の可動、筋肉の収縮、感覚の伝達――すべてが完璧に噛み合っていた。
(……これは……!)
内から湧き上がる高揚が、思考すら置き去りにする。
(動きが読める。攻撃が遅い。そして、この体は――どこまでも、自在に動く)
かつての自分では到達できなかった域。それは、研鑽や進化だけではたどり着けない、意識と本能が重なった先にある“境地”。
(これが……私の至った場所……!)
歓喜にも似た戦慄が、ヨルハの胸を貫いた。恐れもためらいも、もはやそこにはなかった。ただ――“勝つ”という確信だけが、深く静かに、心を満たしていた。