覚醒と戸惑い
クロはブラックガーディアンのメディカルポット室へと転移すると、足を止めることなく端末を操作し、覚醒許可を送信した。室内は抑えられた照明の中、ポット本体だけが淡く自己主張するように存在感を放っている。
許可信号を受信したメディカルポットが、短く乾いた電子音を発した。それを合図に、透明なカプセル内部へと、覚醒を促すための淡い光が満ちていく。
単なる照明ではない。
光は一定のリズムで明滅し、内部の生体センサーと同期するように、微細な強弱を繰り返していた。
同時に、身体を動かぬよう固定していた拘束リングが、静かな駆動音を立てて解除されていった。金属というよりは、ナノマシンの集合体に近いそれらは、役目を終えたことを示すように分解され、粒子が流れるように形を変えながら、ポット側面のスリットへと吸い込まれていく。
ホロディスプレイには脳波の反応が明確に検知され、覚醒進行を示すメーターが立ち上がっていた。数値とグラフは互いに連動し、一定のリズムを刻みながら、ゆっくりと、しかし確実に上昇していく。それは単なる回復ではなく、抑えられていた生命活動が、段階を追って本来の水準へと引き上げられていく過程そのものだった。
クロがポットを覗き込むと、その肩にいたクレアが小さく身を翻し、音もなく飛び降りる。そのまま閉じられたカプセルの上へと軽やかに着地し、透明な隔壁越しに、内部で眠る女性の顔をじっと覗き込んだ。
やがて、覚醒段階の移行を告げるように、短く高い電子音が室内に響く。その音に引き寄せられるかのように、眠っていた女性の瞼が、ほんのわずかに反応した。
ほんの一瞬の間。
それから、ゆっくりと、確かめるように――その瞳が開いていく。
「クロ様! 目を覚ましましたよ」
少し興奮を滲ませた声で、クレアがクロに告げる。尻尾がぱたぱたと揺れ、喜びを隠しきれない様子だったが、クロは慌てることなく、静かな声で注意を向けた。
「そうですね。ですがクレア、そこに居ると驚かせてしまいますよ」
そう言いながら、クロはそっとクレアを抱き上げ、そのまま肩へと戻す。注意されたクレアは、少しだけしゅんとした様子で、耳と尻尾を垂らしてしまった。
その様子に、クロは小さく、くすりと笑い、そして再び視線を戻すと、ゆっくりと開いていくメディカルポットの中で、女性が静かに身を起こした。動作は慎重で、まだ身体の感覚を確かめるような、わずかな間があった。
「……」
完全に目が覚めきっていないのか、声は発せられない。ただ、落ち着かない様子で視線を巡らせ、周囲の状況を無言のまま確認していく。
クロは一歩も動かず、その様子をじっと見つめていた。焦らせることなく、干渉もせず、ただ観察する。
改めて、女性の姿を確認する。
長い桜色の髪は肩口から背へと流れ、少し垂れた目元は柔らかな印象を与えていた。その瞳がクロを捉えた瞬間、女性の表情がはっきりと変わる。
驚いたように息をのみ、女性は反射的に身体を起こし、そのまま立ち上がった。メディカルポットの縁の上に立ったまま、しばらく動かない。
視線だけが動き、目の前にいるクロを見下ろしている。その瞳には、明確な警戒と、そして困惑が混ざっていた。ここがどこなのか。なぜ自分がここにいるのか。答えを探すように、じっとクロを見つめている。
その拍子に、身体に巻かれていたタオルが支えを失い、静かにずれ落ちた。
張りのある肌。程よく肉付きの良い身体つきに、大きな胸とお尻、そしてしっかりとした太もも。クロの視線は、その均整の取れた身体の輪郭を、静かに捉えていた。無理に作られたものではない、自然な均整だった。生命力を感じさせる、健やかな体躯。
「いい肉付きですね。エルデに見習わせたい」
クロは感情を込めることなく、純粋な観察結果としてそう口にする。
「クロ様……」
すぐさま、クレアが小さな声で注意を入れた。クロにしか聞こえない声量で囁きつつ、前足を伸ばし、その頬をむにゅっと押す。
クロはわずかに表情を緩めるが、視線は女性から逸らさない。そして、相手を刺激しないよう配慮するかのように、一歩、また一歩と後ろへ下がる。十分な距離を取り、壁際まで下がったところで、ゆっくりと口を開いた。
「私はハンターのクロです。依頼でこの国に来ていたのですが、その道中で真新しい戦場跡を発見しました。生存者がいないか確認している中で、貴方を見つけ助けました」
真実と嘘を織り交ぜながら、クロは落ち着いた声でそう告げる。余計な情報は与えず、しかし不自然にならない範囲で事実を示す。その言葉と同時に端末を操作すると、空中にホロディスプレイが静かに展開された。
そこに映し出されたのは、ハンターギルドの正式証明――クロの身元を示すギルド証だった。識別コード、登録名、所属。すべてが改ざんの余地なく表示されている、正規の証明。
女性はそれをじっと見つめていた。疑うように。そして、確かめるように。
やがて、ゆっくりと視線を落とす。足元に落ちていたタオルを拾い上げると、無言のまま身体へ巻き直し、胸元を隠すようにそっと押さえた。その仕草には、ようやく自分の状況を認識し始めた者特有の慎重さが滲んでいる。
それから再び、クロを見る。
「……ここは、何処ですか?」
ようやく発せられた第一声。その声は小さく、かすかに震えていた。




