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バハムート宇宙を行く  作者: 珈琲ノミマス
二度目の目覚め
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誇りと名の夜に生きる

 クロは、再びバハムート本体へと戻っていく。静かに融合しながら、その視線は名もなき眷属へと向けられていた。


「……よし。お前に名前をつける」


 低く、けれどどこか優しげな声音が、虚空に落ちる。少しだけ思案の間を挟み、やがて一つの名が紡がれた。


「――ヨルハ、はどうだ?」


 その名は、暗き夜と再生を思わせる響きを持っていた。獣としての命を終え、いまここに新たな存在として生きる者にふさわしい名だった。


「……ありがとうございます。これからは――ヨルハと名乗ります」


 静かに頭を垂れ、ヨルハはその名を受け入れる。命令ではなかった。与えられたのでもない。これは、“選び取った”名だった。


 ――夜の果てに生まれ変わる。ヨルハはその名に、確かな意味を感じていた。


「ああ。じゃあ――とりあえず、次の獲物に向かう」


 バハムートの声が、やや軽くなる。けれどそのまま背を向けかけて、ふと歩みを止めた。


「俺が言うのもなんだが……名残はいいか?」


 問いかけられたヨルハは、一拍だけ沈黙し、静かに答える。


「はい。先ほどまでの私は……仲間と共に死にました」


 言いながら、胸の奥にある小さな痛みを噛みしめる。


「いえ――少し、寂しくはあります」


 その言葉には、悔いも怒りもない。ただ、かつて群れを成していた命たちへの、静かな祈りが滲んでいた。


 しばしの沈黙――そして、バハムートの声が静かに降りる。


「……謝りはしないが、そうだな――一言だけ。見事だった」


 それは、誰にも媚びない存在からの、最大限の敬意だった。


 ヨルハの金色の眼が、わずかに揺れる。そのまま、ゆっくりと頭を垂れた。


「……光栄です、主」


 言葉は短く、だがその胸には確かなものが宿っていた。誇りを胸に、そして新たな名を背負い――ヨルハはまた、主と共に歩き出す。


「……では、向かうぞ」


 クロ――バハムートはそう言い、宇宙の虚空にゆっくりと身を起こす。


「ヨルハ、俺の肩に掴まれ」


「はい」


 即答と共に、ヨルハの身体がふわりと宙に浮かぶ。擬態によって洗練された四肢を器用に操り、軽やかにバハムートの肩へと降り立った。黒と紅の装甲の上、冷たい金属のようでいて確かに脈打つその場所に、静かに身を預ける。


 そして――バハムートは動き出す。星々の間を抜けるように、次なる依頼地へと滑るように進み始めた。


 その肩に立つヨルハは、しばし黙していた。風も重力もないこの空で、ただ背後へと振り返る。


 そこには、何もなかった。かつて仲間たちと過ごした空間も、死地となった戦場も、今はただの虚無。


 それでもヨルハは、心の中でそっと祈るように呟いた。


(……仲間たちよ。すまない。――さらばだ)


 言葉は宇宙に溶けていく。けれどその思いだけは、確かに魂に刻まれていた。


 バハムートの巨躯が、宙を裂くように滑空していく。目指すのは、宇宙シャークが最後に確認された宙域。その肩に立つヨルハは、音も風もない虚空の中で、黙って主の背を見つめていた。


「……移動の間に、少し話しておこう」


 バハムートが静かに口を開いた。その声は相変わらず低く、だがどこか思慮を含んでいた。


「俺はいま、人間社会の中で“人間”として暮らしている。さっき見せた姿――あれが、俺の“分身体”だ。“クロ・レッドライン”という名前でな」


「……分身体、ですか?」


 ヨルハの眉がわずかに寄る。戸惑いと好奇心が入り混じった表情だった。


「人間に“なった”わけじゃない。あくまで本体は、このバハムートだ。意識の核を分身体に移しているだけだな」


「……なるほど。ですが、私にも……それが可能なのですか?」


 問いかけるヨルハの声には、半信半疑ながらもわずかな希望が滲んでいた。


「ああ。今のお前なら、できるはずだ」


 その声音には一片の迷いもなかった。信頼と確信――それが、言葉に込められていた。


「お前は、俺の血を受けて構造が変わった。いまや、“食事”も“眠り”も、本質的には不要な存在になっているはずだ」


「……確かに。空腹も、疲労も……以前とは、まるで違います」


 ヨルハは小さく呟きながら、自分の内側に宿る“変化”を再確認する。たしかに、肉体はすでに獣のそれではなかった。感覚の輪郭が、どこか薄れている。


「けどな――それでも俺は、“食べたい”。“感じたい”。そして……誰かと“関わっていたい”んだ」


 静かに紡がれた言葉は、どこか熱を帯びていた。


「人として、喜びを知り、痛みを知り、語らい、笑い合って――生きていたい。美味を自分の意思で選び、味わうことも。誰かと向き合い、交わす言葉も。そうやって“選んで生きる”こと――それが、俺にとっての“自由”なんだ」


 少しの沈黙ののち、ヨルハがぽつりと呟く。


「……自由、ですか」


 ヨルハの目が、少しだけ見開かれる。その響きは、どこか遠く、けれど確かに惹きつける力を持っていた。


 バハムートは振り返らない。ただ、前を見据えたまま、静かに言葉を続けた。


「俺はな、元は異世界の人間だった。生きて、死んで――そして転生した。この星の、もっと外。遥か彼方の惑星からやって来た“監視者”だった」


 バハムートの声は、静かに、だが確かな重みを帯びていた。


「けれど……何も起きなかった。ただ星を見守り、見送るだけの日々が、何千年も続いた」


「……それは、耐えがたいですね」


 ヨルハの声は低く、けれど嘘偽りなく胸から零れていた。


「ああ。だからこそ、監視者としての終わりが来たとき決めたんだ。次は――俺自身の意志で、生きる。この世界を歩き、美しいものを見て、美味いものを食う。“見つめるだけ”の生ではなく、“選んで生きる”自由な日々を、俺は望んだ」


 その言葉に誇張も虚飾もなかった。ただ、終わりのない監視を超えた先に辿り着いた、一つの確かな願いだけが宿っていた。


「……お前も、選んだだろ。生きるって」


 バハムートの声音には、どこか静かな共鳴があった。


「俺も、同じだ。選んだんだ――この世界を“生きる者”としてな。ただし、人間社会で生きるには、“金”が要る」


「金……ですか?」


 聞き慣れぬ響きに、ヨルハは困惑を滲ませながら問い返す。バハムートは淡々と頷いた。


「ああ。人間社会で暮らすには必須のものだ。金がなければ、食事も、衣服も、住む場所すら得られない。何も始まらない」


 言いながら、クロとして過ごす日々を思い浮かべるように、バハムートは小さく肩をすくめた。


「だから俺はハンターになった。……そして、お前たち“獣”を狩る側に立った」


 短く告げられた言葉に、ヨルハは言葉を失う。空気のないはずの宇宙に、張り詰めた沈黙が落ちる。


「お前には酷だったかもしれない。だが、人間にとって――お前たちは“脅威”だった」


 バハムートは逃げず、誤魔化さずに告げる。その言葉は重くも真っ直ぐだった。


 ヨルハは口を開きかけ、しかしすぐに閉じる。


「……お前も、生きるために他の生物を喰らい、時には人を襲ってきたはずだ」


 その言葉に、ヨルハは目を伏せる。


「立場が違っただけだ。俺たちがしてきたことは、どちらも変わらない。違うのは――“選んだ側”がどちらだったか。それだけだ」


 ゆっくりと、バハムートは前方を見据える。その背で、もう一度問いが響く。


「ヨルハ。お前は、人間が憎いか?」


「――いいえ。もう、憎いとは思いません」


 ヨルハはためらうことなく、首を横に振る。その瞳に宿る光は、ただまっすぐで、透き通っていた。


「あなたの話を聞いて、ようやく理解できました。私は生きるために戦っていた。守り、奪い、ただそれだけを繰り返していた。人間も同じだったと知って――もう、責める気にはなれません」


 しばしの沈黙。やがて、バハムートはゆっくりと目を閉じた。


「……すまなかったな。お前の覚悟と誇りを、俺は踏みにじった。あのとき――死に臨んでなお輝いていたお前を見て、境地に至ったお前を見て、どうしても、ただ消す気にはなれなかった。惜しかった。あまりにも、美しすぎた」


 それは称賛でも感傷でもなかった。一人の強者として、心からの敬意が込められていた。


「……俺の我がままだ。一緒に、人間世界で生きてくれ」


 その言葉は命令ではなく、祈りに近かった。


 ヨルハは静かに頭を垂れ、澄んだ声で答える。


「――仰せのままに。……バハムート様」


 その声音には、従属ではない。誇りと、選び取った忠義が込められていた。

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― 新着の感想 ―
良い問答回やった アイデンティティは整頓しておかないと、身動き取れなくなるものね
やったね!シゲルちゃん、家族が増えるよ
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