新たな種族
初仕事を終えたホエールウルフだった存在は、静かに戻ってきた。漆黒の巨体が宙を滑るように降下し、バハムートの前に着地する。そのまま頭を垂れ、一言、短く告げた。
「……終わりました」
報告を聞いたバハムートは、満足そうに腕を組む。しばしの静寂ののち、ゆっくりと口を開いた。
「よし。――お前は、もう“元の種”じゃない」
黒き瞳がわずかに細められ、語られる声には威厳と微かな愉悦が滲んでいた。
「この俺、バハムートの血を得て進化した存在……これからは、新しい種として“バハムートウルフ”としよう」
「はっ……は? バハムート様……?」
あまりに唐突すぎる宣言に、バハムートウルフは思わず素の声を漏らす。
だが、バハムートは眉ひとつ動かさず、当然のように言い放つ。
「言ってなかったが、俺の名は――バハムートだ」
静かな宇宙に、その名が落ちた。
バハムートウルフは、思った。
(……よく、生きていたな、私)
群れの仲間は、すべて散った。だが自分は生き残った。そして、今はもう“かつての自分”ではない。
その思考を断ち切るように、バハムートが続ける。
「でだ。いいか――俺が偉ぶるのはここまでだ。あとは普通に話せ」
言葉の切り替えにやや戸惑いつつも、バハムートウルフは小さく頷く。
「……はい。あの、ひとつ……聞いても?」
「なんだ?」
「……その、お姿は……一体?」
明らかに困惑の色を帯びた問いだった。
バハムートは、わずかに視線を逸らす。そして、小声で呟いた。
「…………カッコよくないか?」
静かに、宇宙が冷えた。
しばらくして、バハムートは咳払いを一つ挟み、話を進めた。
「まあ、それはいい。お前にも、この姿に近い擬態をしてもらう」
「えっ……無理ですけど?」
即答だった。戸惑いすら通り越した拒否の声音。
だが、バハムートは意にも介さない。
「いや。俺の眷属となった今、出来るはずだ」
断言とともに、右手を胸元へ添える。
「分身体を出す。驚くなよ」
そう言って、胸の中心が淡く光を帯びる。空間に波紋のようなゆらぎが広がり――そこに一人の少女が現れた。
長い黒髪。黒く透き通るような瞳。落ち着いた佇まい。人間の少女――クロだった。
「……これが、俺の分身体だ」
その説明に、バハムートウルフは完全に固まる。
「主、それ……その前に説明を。色々と混乱してます。なぜその姿なのか。なぜ人間の子供なのか――」
あまりにも情報量が多すぎた。
だが、クロは即座に一言で切り捨てる。
「後だ。説明は、移動しながら話す」
有無を言わせぬ声音だった。
「まだ、もう一件依頼がある。今は――俺の指示に従ってくれ」
そう言って、手元の端末を操作する。表示されたのは、古びたアニメ設定資料だった。以前、クロがシゲルに参考にしろと見せられた、スーパーロボットの資料。
「まずは、これを意識しろ」
クロが映像を指し示しながら続ける。
「擬態は“イメージ”が起点だ。まず構造をイメージして、自分の体をそう“収める”。あと――お前、デカすぎる。もっと中に凝縮しろ。質量はそのまま、サイズだけ落とせ」
「は、はぁ……」
もはや理解ではなく、“従うしかない”という空気だった。
バハムートウルフはゆっくりと目を閉じ、集中を深める。
擬態。そして、凝縮。主の命令に応えるべく、意識を内へ内へと沈めていく。
(主が言うのだ。――なら、やってみせる)
そして――変化が始まった。
変わっていくその姿は、生きた装甲だった。黒と紅の重厚な装甲。金属のような質感は、実際には極限まで練り上げられた筋繊維の変質体。あくまでも「そう見せる」ために外観を偽った肉体だが、その完成度は、もはや機械そのものだった。
節構造を思わせる四肢。刃のように鍛え上げられた爪。そして背には鋭く尖った装甲板の様な肉体が折り重なり、まるで刃の鬣を思わせる。
眼光は金色に染まり、内側で淡く脈動する。それは器官ではなく、感情に反応する神経信号が光として漏れ出しているだけだった。
全体の印象は、バハムートに似たものだった。いや――主に倣い、自らも“そう在るべきだ”と選び取った擬態。
金属に見えるが、金属ではない。機械のようでありながら、生きている。その偽装の奥にあるのは、誇り高き肉体と、主への敬意。
この肉体は、“偽る”ためのものではない。“象として生きる”ための、選ばれた狼の姿だった。
(……まさか、本当にできるとは)
擬態を終えたバハムートウルフは、静かに自分の姿を見ながら驚いていた。
巨体も変化に伴って大きく縮小されている。かつて600mを超えていた身体は、いまや40mほどに凝縮されていた。
それでも威圧は失われていない。質量と存在感はそのままに、ただ洗練され、密度を増していた。
「……よし、カッコいい」
満足げに頷いたのは、クロだった。
「一応、私はメスですけど」
バハムートウルフは、ため息交じりに呟いた。