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バハムート宇宙を行く  作者: 珈琲ノミマス
お掃除開始。クロの清掃大作戦!

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少女と群衆の反射

 着地したバハムートの疑似コックピットから、クロは静かに身を乗り出す。眼下には、怯え、すくみ上がりながら巨大な機体を見上げるデモ隊の姿が広がっていた。


「クレア、しっかり捕まっていてください」


「はい、クロ様」


 クレアは小さな爪でクロの肩をしっかりと掴み、ジャケットに体を預けるようにしがみつく。


 その感触を確かめるように肩で受けたクロは、一切のためらいもなく――跳んだ。


 漆黒の巨体から放たれるように、一直線に落ちていく人影。その瞬間、デモ隊のあちこちで鋭く張り詰めた悲鳴が上がった。


 高さは数百メートル。人が飛び降りるには、あまりに現実離れした距離。見上げる群衆の目には、黒い点がひとつ、米粒ほどにしか映らない。


 だが、それが「人」だと認識された瞬間――空気が裂けた。


 絶望に染まった悲鳴。目を覆う者、膝をつく者、パニックを起こして逃げようとする者。押し合い、転倒し、伸ばした手は何も掴めず、ただ混乱だけが広がっていく。


 誰もが、最悪の光景を想像していた。――地面に叩きつけられ、潰れ、血が飛び散る。目の前で、人が壊れていく、その瞬間を見せられるのだと。


 けれど――それは、訪れなかった。


 クロは、まるで羽根でもあるかのように身をひるがえしながら降下し、音も風も立てることなく、ただ“そこ”に着地した。


 衝撃も破壊もなく、地面にはひび一つ入らない。空気すら揺らさぬほど静かに、まるでその場で軽く跳ねただけのように――クロは立っていた。


 肩にしがみついていたクレアが無事であることを確認すると、クロはほんのわずかに口元を緩める。


 けれど、それはほんの一瞬の緩みだった。すぐに表情は無に戻り、真正面にいるデモ隊を静かに見据える。


 異様すぎる光景だった。数百メートルの上空から落ちたはずの少女が、音もなく、衝撃もなく、何事もなかったように立っている。それだけで、場にいた全員の理解が追いつかなくなるには、十分だった。


 その場にいた群衆はもちろん、控えていた兵士たちですら――息を呑んでいた。


 誰も声を発せず、誰も動けなかった。恐怖に縫い止められたように、空気が――固まっていた。


 群衆の視線が、クロの一挙手一投足に釘付けになる。クロは、ほんの一歩だけ前に踏み出す。


 そのうえで、静かに口を開いた。


「皆さん。邪魔ですので帰ってください」


 落ち着いた口調。怒鳴るでも威嚇するでもない。まるで、遊びに来た子供の友達に「もう五時だから、そろそろ帰りなさい」と言う母親のようだった。機嫌が悪いわけでもなく、ましてや脅している様子もない。ただ、“もういいから帰れ”というだけの声音。


 だが、その言葉は群衆の心に深く突き刺さった。


 ――そこじゃない!


 思わず心の中で叫んだ者は、一人や二人ではなかった。なぜ無事なのか? なぜ潰れていない? なぜ、こんな高さから落ちて平然としていられる? そして何より――本当に“人間”なのか?


 それらの疑問をすべて無視するかのような、あまりに自然な一言。クロは、誰からの反応もないことに、ふと首を傾げた。目の前の群衆は凍りついたまま、誰ひとりとして声を発さない。ただ無言で、怯えたようにクロを凝視していた。


 奇妙に思ったクロは、静かに視線を背後へと向ける。その先には、少し離れた高台に立つデビットの姿があった。


 デビットもまた、表情を硬直させていた。クロについてある程度の報告は受けていた。異能の存在であり、常識では測れない力を持つ存在であると。


 だが、今目の前で繰り広げられた現実――数百メートルの上空から少女が何事もなく着地するという“映像”を、頭では理解しても、体が受け入れ切れていない。


 そのデビットに、クロの視線が真っ直ぐ向けられた。


 ――見られている。


 その事実に気づいた瞬間、デビットは咄嗟に体を動かした。思考を押し戻すように、反射的に反応する。


「ここの人たち、強制的にどかせないんですか?」


 クロはそう問いながら、デビットに歩み寄り、指先で真上を示す。遥か頭上、雲を割って待機する漆黒の戦艦――ブラックガーディアンを。


「うちの戦艦、そろそろ着陸させたいんですが」


 無垢な声だった。冗談でも、怒りでもなく、ただの“現実的な要請”。だが、それゆえに重い。


 デビットは眉を動かさず、淡々と返す。


「……我々では、押しとどめる以外に選択肢は少ない」


 その言葉に、クロは小さくため息を吐いたような空気を纏い、再びゆっくりと体をデモ隊の方へと向き直る。


 その動きに――群衆が息を呑んだ。


 ただ振り返っただけ。それだけのはずなのに、見つめていた人々の顔に、再び強い恐怖の色が浮かぶ。喉を鳴らす音すら出せず、硬直したまま、クロの瞳の動きを追ってしまう。


 だが、その静寂を打ち破ったのは、また別の“声”だった。


「そこをどけ! 我々は正しい要求をしている!」


 怒鳴るような男の声が、群衆の中から突き上がるように響いた。


 続けざまに、別の叫びが空気を割る。


「ビビるな! どうせ服の中にパワーアーマーかなんか仕込んでんだろ!」


「でかいだけだ! 下りてきたら、ただのガキじゃねえか!」


 その声は、狙いすましたように投げかけられた。群衆の沈黙と動揺の“隙間”を突き、的確に揺さぶる言葉が響く。


 人々の目が揺れた。恐怖に凍りついた理性が、怒りと戸惑い、焦りによって溶かされていく。


「数百人」――それは一つの意志ではない。けれど、一人が声を上げれば、それが波紋のように広がり、やがて“うねり”となって統一された意志として、再び動き出す。


 まるで押し寄せる波のように、再び抗議の声が漏れ始めた。最初は囁くような声だったが、次第に強さを増し、叫びとなっていく。


 その波は、たやすく場を覆い尽くす。先ほどまで凍りついたように沈黙していた群れが、またしても声を上げはじめた。


 再開されたデモは、さすがに最初ほどの勢いはない。だが、一度は失われていた“熱”が、徐々に群衆の中に戻り始めていた。


 一時的に後退していた警備ロボたちが、再び前線に進み出る。ロープをぴんと張り直し、迫りくる人波を必死に押しとどめるように構える。


 その様子を見て、クロは小さく息を吐いた。感情ではない。失望でも苛立ちでもない。ただ、目の前の光景が面倒だと、そう告げるような静かな吐息だった。


 そして、再びデビットの方へと振り返る。


「どうします?」


 クロの問いはあまりに淡々としていた。目の前の数千人を、“群衆”でも“市民”でもなく、“障害物”としか捉えていないような声音。それはまるで、戦場に積み上がった瓦礫の山を前に「片付けますか?」と聞くような、実務的な冷たさを帯びていた。


 その無感情な問いかけに、デビットは思わず小さくため息を吐く。


(なるほど……ジュン少佐が精神的に疲れるのも頷ける)


 クロの思考には、明確な線引きがある。敵か、味方か。それ以外は存在しない。デビットはそれを理解していた。いや、理解してしまった。


(味方であれば守る。敵であれば容赦しない。だが――あれは、敵を敵とも思っていない。ただの“ゴミ”としか見ていない。そんな気がするな)


 冷酷なのではない。価値のないものに対して、感情を向ける意味すら見出していない――その極端な思考は、戦力としては圧倒的でありながら、人としての“限界”も感じさせた。


 だからこそ、今この場で判断を誤れば、最悪の結果すら想定される。


 デビットは、眉間に深い皺を寄せながら、短く考えた末、ふと視線を空に泳がせる。


 そして思いつく。ひとつの“抜け道”を――

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