表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
バハムート宇宙を行く  作者: 珈琲ノミマス
お掃除開始。クロの清掃大作戦!

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

645/660

アヤコ、大地に立つ

 転移の光が収まると同時に、クロたちはトゥキョウ基地の一角――ヨルハとファステップ、そして各種物資を収めたコンテナの傍に姿を現した。


 周囲には視線を遮る遮蔽スクリーンが四方に張り巡らされ、さらに複数の警備ドローンが上空を周回し、地上では電子ロック付きのゲートが立ち入りを厳重に規制している。到着の瞬間を見届けた者は、一人としていない。完全に外界から隔絶されたこの区画で、彼らの転移は静寂のうちに――まるで初めからそこに存在していたかのように、違和感なく完了していた。


「……気持ち悪っ」


 最初に声を漏らしたのは、ウェンだった。転移の余韻が残る体内に、微細な慣性のぶれと重力の揺らぎが遅れて押し寄せ、胃の奥が妙に浮き上がるような不快感を生む。思わず足をふらつかせ、隣に立つクロの肩に片手を置いてバランスを取ると、そのまましゃがみ込みそうになるのを必死にこらえた。


 呼吸を整えるように深く息を吸い――しかし、その瞬間、別の意味で顔が歪む。


「うぇ……初回からコレって、キッツ……」


 口元を手で覆いながら、肩をすくめるようにして周囲を見回す。彼女の鼻腔をついたのは、人工空間では決して感じることのない“生の匂い”だった。


「……面白い体験だな。これが転移か」


 スミスは、ウェンとは対照的に、あくまでも冷静だった。微かな眩暈を覚えながらも、それを表には出さず、目を細めてその感覚を内心で検分する。身体の芯に残る重力反転の痕跡を確かめるように指を握りしめ、言葉を落とした。


「一瞬で距離を飛ぶ……話では聞いていたが、これは……なかなか面白いな」


 その声音には驚きというより、経験を一つ手に入れた者の静かな評価があった。そして無意識のまま、周囲を警戒するように視線を巡らせ――背後、静かに佇むヨルハの存在に気づく。


 鋼鉄の装甲に覆われた巨体。四肢を伏せたその姿は、戦場に放たれた兵器のようにも見える――だが、その金属のような殻の奥からは、微かに生温かさが滲み出ていた。重厚な気配には、無機物にはない呼吸のような揺らぎが宿っている。


 スミスは、その異形を見上げたまま、ぽつりと呟いた。


「なるほど……これがヨルハか。クレアの――本体」


 外見こそ機械のようだが、その内にあるのは紛れもなく“生きた存在”。その一言には、理解を得た者の確信と、同時に本能的な畏れが混じっていた。


「……っ、くっさ。なにこの匂い……」


 アヤコが顔をしかめ、思わず鼻をつまんだ。潮の香りに混じって、鉄のようなにおいと、青臭い草木の気配が押し寄せてくる。潮風が髪を揺らし、鼻腔に異質な刺激を残していった。


「うげ……やっぱり無理。鼻が馬鹿になりそう……」


 そう呟きながらも、アヤコは視線を動かした。遮蔽スクリーンのせいで外の景色は見えない。けれど――空気が違う。コロニーの精製された空気とは明らかに異なる、じめっとした質感が肌を撫でていた。


 そして、ふと顔を上げる。


 見上げたその先に広がっていたのは、限りなく高く、どこまでも続く青。滲むような白い雲が浮かび、天井など存在しない、“本物の空”がそこにはあった。


「……天井の無い……青空……」


 自然とこぼれた言葉に、アヤコ自身も戸惑いを覚える。鼻をつまんでいた手を離し、額に手をかざして陽射しを遮った。まぶしさに瞳を細めながらも、視線は空から離れない。


 白くちぎれた雲が、緩やかに流れていく。じりじりと照りつける陽光が肌を焦がし、音もなく、空だけがそこに在る。


 コロニーで生まれ育ったアヤコにとって、それは現実とは思えない光景だった。再現できないスケール、触れることのできない気配。頭上に広がるその青は、確かに“作り物ではない”と本能が告げていた。


「これが……惑星……」


 その呟きは、感嘆と恐れの入り混じった、かすかな震えを帯びていた。スクリーンの先に何があるのかはまだ見えない。けれど、この空だけは、間違いなく“本物”。その広がりを前に、ここが惑星であるという事実だけが、遅れて胸に落ちてきた。


 そして、そのアヤコの隣に、もう一人、何も言わず静かに立ち尽くしている者がいた。


 シゲル――


 彼は誰よりも静かに、足元に視線を落としていた。


 足元には、色褪せたコンクリートの舗装。ひび割れた隙間からは、草がわずかに顔を覗かせている。靴裏に当たる砂利が、乾いた音を立てるたび、空気に微かな埃の匂いが混じった。


 シゲルは、ゆっくりと一歩、前へ踏み出す。


 その感触を確かめるように、じっと地面を見つめた。かつて人の暮らしがあったことを思わせる、無言の証。風の音、地の硬さ、目に見えぬ“時間の堆積”が、全て足裏から伝わってくるようだった。


「……まさか、生きてるうちに、また大地を踏めるとはな」


 ぽつりと落とされた声は、驚きよりも深い。それは、何かを取り戻した者の声音だった。


 懐かしさ。それだけで、十分だった。


「ほんと、わからねぇもんだ……」


 そして、皆がその静寂のなかに浸っていると――


 空気を割るように、無慈悲な声が飛んだ。


「ジュン。さっきの通達をお願いします。エルデ、ポンセに移動指示と今後の行動計画を報告。私はコンテナを開け、キャンピングカーの固定を解除しておきます。皆さんも、早く動いてください」


 場の空気を読みもせず、次々と命令を飛ばすその声に、誰も振り返ることはなかった。だが、それぞれがほんの一瞬だけ、口元にわずかな苦笑を浮かべる。


 それは皮肉でも嘲笑でもない。まだ、目的地に辿り着いていないことを、静かに思い出させる合図だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ