信用という線引き
「あ、言っておきますが。ちゃんとした理由があります」
そう前置きして、クロは視線を上げた。怒気を強めかけていたアリと、張り詰めた空気に身構えるデビットに、言葉を重ねることなく、態度で主導権を示す。
二人の間に走る緊張を受け流すように、クロはゆっくりとコーヒーを口に含んだ。その仕草は落ち着き払っているが、場を軽くするためのものではない。
「これは、信用問題です」
はっきりとした口調だった。
「私としては……貴方たちは信じられます」
一拍置き、あえて言葉を切る。その含意を、相手に考えさせる間だった。
「では、その下。いわば――軍そのものが信用できない、と?」
アリが少しだけ声のトーンを落として確認する。先ほどまでの苛立ちは抑えられていたが、緊張は消えていない。
クロは否定も肯定も誤魔化さず、素直にうなずいた。
「ええ」
そして、理由を隠さずに語る。
「さすがに、ここまで長い内戦です。内部に不審な動きがあっても、おかしくありません」
断定ではない。だが、可能性を軽んじることもしない。
「万が一を考えると、この星系に直接関係のない人物に頼んだ方が安全ですし……」
視線が、ホロディスプレイの残像をなぞる。静かな言葉だった。
アリはしばらく黙って聞き、それから小さく笑う。
「確かに……私自身も、否定は出来ないな」
感情ではなく、現実を受け入れた声音だった。
「任せる」
短い一言だが、重みは十分だった。
「よろしいんですか?」
デビットが念のため確認する。確認というより、立場上の最後のチェックに近い。
アリは一度、ゆっくりと息を吐いた。苛立ちでも諦めでもない。判断を下した者の、納得を含んだため息だった。
「いい。ただし……もちろん、情報はすぐに共有してもらう」
「ええ、それはお約束します」
クロは即座に頷く。だが、次の言葉には一線があった。
「ただし、生きては連れ帰ります。ですので、まずは私に任せて下さい」
その言い方は静かだが、揺るぎがない。
「……わかった」
アリは頷き、ふと首を傾げる。
「しかし、何故だね? 君が執着するとは、あまり思えないんだが」
純粋な疑問だった。軍人としてではなく、一人の人間としての問い。
クロは表情を変えず、何でもないことのように答える。
「見つかるわけがない、と言われました。どうやら、鬼ごっこがしたいのだと判断しました」
冗談めいた言葉遣いとは裏腹に、その目には一切の遊びがなかった。
「鬼は私。なら――捕まえるべきですよね」
冗談めいた言葉遣いとは裏腹に、そこに迷いはない。
「なるほど……」
アリは少しだけ笑い、深く頷いた。
「おっそろしいな、クロ君は」
感心と警戒が入り混じった笑みだった。だがそれ以上に、味方で良かった――そう率直に思っている自分がいることを、アリ自身も否定できなかった。
そうして大方の話し合いが終わる。張り詰めていた空気は完全に解けたわけではないが、もはや剣呑さはなく、次に進むための実務的な静けさへと姿を変えていた。
その流れを断ち切ることなく、デビットが端末を操作する。すでに形を整えていた協定書がホロディスプレイに映し出され、何の前置きもなく、クロの前へと差し出された。
「こちらにサインをお願いします」
「……いつの間に?」
「話し合いの最中ですが、何か?」
あまりにも当然といった調子に、クロは一瞬だけ言葉を失い、すぐに小さく息を漏らして苦笑する。そして画面に視線を落とした。
「いえ。仕事が早いのは嫌いじゃありません。……ところで、よろしければ私のチームに入りません?」
軽い雑談の延長のような口調だったが、投げられた言葉そのものは冗談ではない。それでもデビットは一切表情を変えず、間を置かずに返す。
「嬉しい提案ですが、お断りさせて頂きます」
感情の揺れはない。淡々と、しかし迷いなく、線を引く返答だった。
感情も余韻もない、事実だけの返答だった。
「そうですか」
クロはそれ以上深追いせず、そのままサインを入れる。そして、ほんの思いつきのように続けた。
「なら、ジュンをください」
「それは構いません」
「いえ! いやです!」
即座にジュンが声を張り上げる。
「勝手に決めないでください! なんで当たり前みたいに話が進んでるんですか!」
その叫びに、張り詰めていた室内の空気が一気に緩む。ようやく、場に人間らしい温度が戻った。
「クロ君」
アリが呆れ半分、笑い半分で言う。
「目の前で部下を引き抜かないでくれる?」
「では、中将はどうです?」
間髪入れずに返され、アリは思わず吹き出しそうになる。
「若ければ考えたがな。さすがに、この歳ではクロ君には着いていけない」
「残念ですね。では……ジュンを落としていくとしましょうか」
「だからやめてくださいって言ってるじゃないですか!」
ジュンの悲鳴に、小さな笑いが漏れる。重たい話のあとに訪れた、ほんの短い緩衝。だがそれは確かに、互いを敵ではないと認め合った証の時間だった。




