終わらせる者の条件
クロは少しだけ苦笑を浮かべながら、しかし言葉そのものははっきりと制した。
「さすがに、それは卑怯ですよ」
声音は柔らかい。だが、その奥に含まれる拒絶は明確だった。
アリを見上げたまま、言葉を重ねる。
「勝手に背負わせないでください。そういう手、困るんですよ」
言葉だけを切り取れば非難だ。だが、クロの声色にはどこか楽しげな響きが混じっている。怒っているわけでも、突き放しているわけでもない。
それは、相手の手札を見抜いた者の余裕に近かった。
その言葉を受けて、アリはゆっくりと顔を上げる。
ほんの一瞬だけ、肩が揺れた。――バレたか。そう言いたげな仕草。
次の瞬間、浮かんでいたのは、まるで悪戯が見つかった子供のような表情だった。
「それは、すまない」
殊勝な言葉とは裏腹に、どこか軽い。
「だいたい、これで騙されたり、背負ってくれたりするんだがな」
冗談めかして言い、そして笑う。乾いた笑いではない。人を巻き込むことに慣れきった者の、手癖のような笑みだった。
「しかし……見破られるとは思わなかった」
「それは当然です」
クロもまた、穏やかな笑みで返した。その表情に、迷いは一切ない。
「心を揺さぶる話でした」
一度、素直に認める。否定から入らないのが、彼女のやり方だった。
「とても上手い。覚悟も後悔も、本物でしょう」
評価としては高い。だが――そこで、言葉を切る。
「ですが、私は、この国の人間じゃない」
あっさりとした否定だった。躊躇も、含みもない。
「その手の話は、もっと適切な相手に使った方がいいでしょうね」
クロは笑みだけを残して続ける。
「兵士とか、理想をまだ信じている若者とか、国を愛する者とか」
淡々と、具体例を挙げる。
「そういう人たちには、よく効く」
視線を横に流し、後ろを見る。
「……後ろのジュンが、いい例です」
そう言って、苦笑する。
その視線を受けたジュンは、びくりと肩を震わせた。無意識に背筋を伸ばし、何か言い返そうとして――言葉が出ない。
アリはソファーに座ったまま、少し体を捻って背後を振り返る。
そこにいたジュンの顔色を見て、わずかに目を細めた。
血の気が引き、唇は強く噛みしめられている。否定も肯定もできず、ただ事実を突きつけられた者の表情だった。
「言っただろう」
アリが、低く言った。責めるでもなく、慰めるでもない。ただ事実を置く声。
「胸糞の悪い話だと」
その言葉に、ジュンは小さく息を吸い、吐いた。呼吸を整えようとしているのに、胸の奥がざわついて収まらない。
頭では理解しようとしている。だが、感情が追いつかない。
「中将」
静かに声を出したのは、デビットだった。
「仕方がないかと思います」
感情を挟まない、事務的とも言える声音。だが、それは冷酷さではなく、経験から来る諦観だった。
「私も……同じでしたから」
ほんの一瞬、言葉が詰まる。それだけで、過去に何があったのかは察せられた。
「ジュン大尉」
デビットは、まっすぐにジュンを見る。
「気をしっかり持ちたまえ」
命令ではない。それでも、軍人としての立場が滲む。
「これが、真実だ」
「……真実……」
ジュンは、かすれた声でその言葉をなぞるように繰り返した。まるで、口に出すことで――否応なく現実として固定してしまおうとしているかのように。
視線が定まらない。焦点を結ばないまま、宙をさまよう。
拳は無意識に握りしめられ、わずかに震えていた。怒りなのか、恐怖なのか、それとも喪失感なのか。自分でも判別できない。
そして、ようやく――喉の奥から、絞り出すように言葉が零れ落ちた。
「……今に始まったことでは、なかったんですね」
一度、息を詰まらせる。
「最初から……仕組まれていた」
それは問いではなく、確認だった。自分に言い聞かせるための言葉。
「そうだ」
アリは即答した。間を置かない。
「だからこそ、今、それを終わらせる」
低い声で続ける。
「外部の力を頼って……いや」
一瞬、言葉を選び直す。
「正直に言おう。丸投げだ」
自嘲気味な響きが混じるが、開き直りはない。
「……私たちでは、無理なんですか?」
ジュンは顔を上げ、すがるように問いかけた。そこには、まだ微かな希望が残っている。
――自分たちにも、何か出来るのではないか。
――戦ってきた意味が、完全に否定されるわけではないのではないか。
だが。
アリは、きっぱりと言い切った。
「無理だ」
声は静かだが、断言だった。
「出来るなら、とっくにやっている」
ジュンの目を、正面から見据える。
「私が持つ、すべての権限を使ってな」
その言葉に、余地はない。可能性も、希望も、意地も――すべて切り捨てた結論だった。
ジュンは、言葉を失う。肩から、力が抜けていく。
アリは続ける。
「内部にいる者は、どうしても絡め取られる」
指で、軽く机を叩く。
「利権、責任、過去の選択。どれか一つでも背負っていれば、完全に切ることは出来ない」
一拍置く。
「だから、外だ」
アリの視線が、自然とクロへ向かう。
「この星系に関係がない。何も守る必要がなく、失うものもない」
一つずつ、条件を並べるように。
「そして何より――力を、正しく使える存在だ」
その言葉に導かれるように、ジュンもまた、視線の先を追う。そこにいたのは、変わらぬ表情で佇むクロの姿だった。
そこで、ようやく理解する。
――それが、クロという存在なのだ。
なぜ「終わらせる」という言葉を、彼女が口に出来たのか。
なぜ、その言葉に迷いも躊躇もなかったのか。
それは、決して内部の人間には担えない役割。利害も、責任も、過去の選択も背負わない者にしか出来ない立ち位置だった。
胸の奥に、重たいものが沈んでいく。怒りとも恐怖とも言い切れない感情が、輪郭を失ったまま溜まっていった。
悔しさだけが、遅れて残る。
そしてそれとは別に、否応なく形を成していく理解と、逃れようのない諦観。




