戦後応接とクロの注文
その後、アリ中将の部隊は速やかに制圧行動を開始した。統制の取れた動きで、各所に配置されていた部隊が一斉に展開していく。
先ほどまで異様な静けさに包まれていた基地は、通信回線には短い報告と指示が途切れることなく流れ、床を叩く靴音が廊下に反響する。開閉する隔壁の駆動音と、拘束具が締まる乾いた金属音が、断続的に混じった。
各区画では兵士たちがまとめて制圧され、抵抗の有無に関わらず淡々と拘束されていった。叫び声や怒号はほとんどなく、すべてが「想定内」であるかのように処理されていく。
トゥキョウの陸、海、空は完全に封鎖され、外部との行き来はすべて遮断された。都市と基地の掌握は、もはや時間の問題だった。
そんな喧騒から切り離されるように、クロたちは巨大な戦艦の内部へと案内され、その一室に通されていた。
室内は戦艦とは思えないほど豪奢で、落ち着いた色調の調度品が整然と配置されている。軍艦特有の無骨さは抑えられ、応接用として意図的に整えられた空間だった。
厚みのあるソファーに身を預け、クロとエルデはのんびりと腰を下ろしている。戦闘直後とは思えないほど、二人の姿勢は緩んでいた。
クレアはテーブルの上に前足を畳んで乗り、だらりと力を抜いた姿勢でくつろいでいる。張り詰めていた時間が終わり、訪れた休息だった。
「クロねぇ、とりあえずこれっす。仕留めた分の賞金首っす」
エルデはふと思い出したように端末を操作し、事後処理としてまとめていたデータをクロへ送る。数字と名前、所属、賞金額が整然と並んだ一覧だ。
クロはそれを受信し、膝の上に端末を置いて画面に目を落とした。視線が静かに上下する。
数字を追い、名前を読み、金額を頭の中で組み替えていくにつれ、その表情は次第に緩み、やがて穏やかな笑みに変わった。
「いいですね。なかなか高額の者も混ざっています」
軽く頷きながら、指先で画面を送り続ける。
「私の分も合わせると、今回の依頼準備にかかった金額は回収できますね」
さらに指を滑らせ、計算を進める。指の動きは速いが、迷いはない。
「それに、依頼料とここの連中の賞金も合わせると……」
一瞬だけ言葉を切り、思考を整理する。
「……働かなくても、数百年近くは余裕で暮らせそうですね」
口調はどこか冗談めいていたが、表示されている数字は現実的だった。冗談として受け取るには、額が大きすぎる。
「クロ様、ハンターを辞めるんですか?」
クレアが少し意外そうに顔を上げ、問いかける。耳がわずかに立ち、視線は真っ直ぐクロへ向いている。
クロはすぐに首を横に振った。
「辞めませんよ」
即答だった。迷いは一切ない。
「まだまだ、やりたいことはありますし」
そう言ってから、クロはほんの少しだけ苦笑を浮かべる。
「それに、これを元手にレッドラインの設備を買い揃えたりすると、すぐにすっからかんです」
続けざまに端末を取り出し、まるで財布に見立てるように逆さまにして軽く振ってみせる。当然、何も出てこない。
「足りません。試算しないと正確には分かりませんが」
クレアはその様子を見て、小さく尻尾を揺らした。納得したように、ふう、と短く息を吐く。
エルデは二人のやり取りを眺めながら、どこか楽しそうに口元を緩めていた。金の話をしているはずなのに、空気は妙に穏やかだ。
「それに、まだ見たことのない景色も見たいです」
クロは穏やかに続ける。
「ハンターとしての特権は、簡単には捨てられませんよ」
「欲にまみれてるっすね」
エルデが肩をすくめて言う。からかうようでいて、否定はしていない。
「人であれば当然です」
クロは即座に返した。
「それに、仕事はきちんとしていますよ。持ちつ持たれつです」
その穏やかなやり取りの最中、室内の空気がわずかに変わった。
入り口のドアが静かにスライドする。低い駆動音が、やけに大きく耳に残った。
入ってきたのは、ホロディスプレイ越しに見ていたアリ中将だった。その隣には補佐と思しき人物が立っている。アリよりやや細身だが、隣に並ぶに不足のない体躯を持ち、その眼光は鋭い。
さらに、その後方にはジュンの姿もあった。彼の表情は、すでに嫌な予感を確信に変えている。
補佐の視線が、室内を素早く見渡す。クロたちが席を立たないことを確認した瞬間、その眼光が一段と鋭さを増した。
「中将が入室した。立ちたまえ」
圧をかけるような声だった。命令というより、威圧に近い。
その声に、クレアの耳がぴくりと反応する。エルデは反射的に立ち上がろうとするが、その動きをクロが軽く制した。
クロは特に気にした様子もなく、座ったまま、淡々と返す。
「必要ないですね」
一拍も置かない。
「軍属でもありませんし」
そして、静かに言葉を重ねる。
「それに、招待したのはそちらですから」
その一言で、室内の空気がさらに引き締まった。音もなく張り詰める緊張が、確かにそこに生まれる。
ジュンは思わず頭を抱え、深く息を吐いた。――クロが、やってしまった。そう理解した瞬間の疲労と諦観が、全身から滲み出ている。
一方、アリ中将の隣に立つ補佐の男――デビットは、即座に反応した。背筋を伸ばし、鋭い視線を一直線にクロへ向ける。威圧というより、職務としての警戒だ。
「デビット。そこまでにしよう」
低く、しかし明確な制止だった。感情を挟まない、指揮官の声。
アリの言葉に、デビットは一瞬だけ歯を噛みしめるような表情を見せたが、すぐに視線を逸らした。命令は絶対。そこに異論はない。
「……失礼しました」
短く、それ以上は何も言わない。
「部下がすまない」
アリはそう言ってから、改めてクロへ向き直る。
「ようこそ、クロ君。改めて名乗ろう。私はアリ・ゲター中将だ」
「クロです」
クロは立ち上がることもなく、穏やかに応じる。無礼というより、最初から対等であるという姿勢だった。
「隣はエルデ。テーブルにいるのがクレアです」
簡潔な紹介。余計な説明も、過剰な礼もない。
「うむ、よろしく頼む」
アリは小さく頷き、場の空気を切り替えるように続けた。
「……何か飲むかね?」
「ここでは、お茶を出してくれるんですね」
クロは少し意外そうに目を瞬かせる。
その瞬間、ジュンの胸に、嫌な予感が走った。そして、その嫌な予感は的中した。
クロはまるで喫茶店で注文するかのように、何の躊躇もなく、自然な流れで言葉を続ける。
「なら、私はコーヒー。クレアはミルクで、エルデはオレンジジュースがいいですかね」
一瞬だけ考えて、付け足す。
「あ、コーヒーはブラックでいいです」
あまりにも、のほほんとした返答だった。ここが軍の戦艦であることを、完全に忘れているかのように。
「……っ!」
ジュンは思わず声を上げ、そのままクロの元へと歩み寄る。
「ここは食堂じゃないんですよ!」
焦りと苛立ちが入り混じった叫びだった。周囲の視線が、一斉に集まる。
「いや、聞かれたから答えただけですよ」
クロはきょとんとした様子で返す。本気で悪気はない。
「それでも、遠慮ってものがあるでしょ!」
ジュンの声が、室内に響く。
そのやり取りを前に、アリは目を細め、そして――どこか面白そうに、口元を緩めていた。
緊張と緩さ。軍の規律と、常識外れの自由さ。
相反するものが同じ空間に同居する、不思議な空気が、静かに部屋を満たしていた。




