内戦の研究施設
クロがソファーに腰を下ろすのと、ほぼ同時だった。扉の脇から静かな駆動音とともに、自動配膳ロボが現れる。無駄のない動きで、石のテーブルの上に湯飲みとグラスを置いていく。湯気の立つ茶。重厚なボトルから注がれた、高級そうなウィスキー。配膳を終えたロボは、そのまま室内の端で待機状態に入った。存在を消すように、だが確実に視界に入る位置で。
クロは、湯飲みを手に取る。中身を一瞥し、わずかに傾けて香りを確かめる――そして、そのまま口には運ばず、静かにテーブルへ戻した。
「飲まないのかね?」
クチグロが、興味を帯びた声音で問う。
「ええ。信用していないので」
即答だった。遠慮も、含みもない。クロは、そのまま視線を上げる。
「簡潔に聞きますが――内戦、終わらせる気はないですよね?」
「ないな」
クチグロは、笑いながらはっきりと告げた。即答。迷いも、躊躇も存在しない。彼はウィスキーのボトルを手に取り、ゆっくりとグラスへ注ぐ。琥珀色の液体が揺れ、照明を受けて鈍く光を反射する。グラス越しに、クロを覗き込む。
獲物か、駒か、それとも――ただの数字として見ているのか。
「……儲かるからですか」
クロは、淡々と続けた。
「内戦を企業の実験場にして。新型戦艦や機体、装備……誰が死のうが関係ない。そういうことですか」
「ああ、知らんね」
クチグロは肩をすくめる。さらに深くソファーへ身を沈め、片腕を背もたれにだらりと預けた。グラスを傾ける。琥珀色が揺れ、その色越しにクロの顔を染め上げる。
「そもそも、これはビジネスだ」
グラスを軽く揺らし、言葉を継ぐ。
「戦場という“環境”を用意してやっているだけだ。企業は実地データが欲しい。机上試験じゃ限界があるからな」
弾道。耐久。故障率。人員の生存時間。士気の変動。極限状況での判断速度。
「実験場を提供し、データ取りを許可する。あとは勝手にやらせる。死者? 損耗? 全部、想定内だ」
クチグロの口調は、当然の事実を述べているだけだった。
「何もしなくても、金は入り、技術は進化し、装備は強化される。契約が動き、データが集まり、次の開発が進む」
クチグロはそう言いながら、グラスを指先で軽く回した。琥珀色の液体を揺らし、その反射を楽しむように眺めている。そして、ほんの一瞬。自分の言葉に酔うように、口元を歪めた。
「戦争は……効率のいい研究施設なんだよ」
その言葉に、クロの視線が一瞬だけ冷える。ここでは、内戦は悲劇ではない。人の死は事故ですらない。ただの――運用結果だった。
クチグロは、満足げに背もたれへ体重を預ける。まるで自分が世界の仕組みを理解し、操っていると信じて疑わない態度。
その一連の動作を見て――クロは、思わず、くすりと笑ってしまった。
「……何か、おかしい事でも?」
クチグロも、面白そうに口角を上げながら問い返す。
「いえ。なかなかに滑稽で」
クロは、率直に答えた。
「ここまで三下の悪役ムーブが似合う人物がいるのかと。録画して、繰り返し見たいぐらいです」
次の瞬間。グラスが、一直線にクロへ向かって飛んできた。
だが――クロは何事もなかったかのように、片手でそれを受け止める。中身を乱すことなく、一滴もこぼさぬまま、音も立てずにテーブルへ戻した。
「……勿体ないですよ」
クロは、穏やかな声で言う。
「さぞかし、お高いウィスキーなんでしょう?」
室内に、短い沈黙が落ちた。だがそれは、先ほどまでの沈黙とは質が違う。空気が、張り替えられたようだった。クチグロは、その違和感をはっきりと自覚していた。
目の前の人物が“化け物”であることは、最初から理解していたつもりだった。頭のネジが外れた、いかれた存在。空から降ってきたという報告も、どうせ何かのトリックだと処理していた。
――避けると思っていたのだ。せめて身を引くか、多少なりとも怯むと。
だが、現実は違った。飛来したグラスを、見事に受け止める。そして――何事もなかったかのように、テーブルに置いた。
そして――いまだに、笑っている。演技ではない。余裕でもない。“そういう存在”なのだと、否応なく理解させられる。
一方で、クロの内心はまったく別の方向に揺れていた。
(……危なかった)
背中に、冷たいものが走る。
(酒に弱いのに。あれを浴びていたら、どうなっていたことか)
ほんの一滴でも口に入れば、下手をすれば泥酔。思考も判断も、すべてが崩れる可能性があった。
(もう許さん)
内心で、静かに線を引く。
クチグロが、険しい表情で何かを言おうとした、その瞬間だった。
クロが、盛大に溜息を吐く。
「……いい加減、演技に付き合うのも面倒なんですよ」
クロは、視線をクチグロから外す。
「クチグロ越しに見ている人」
その一言で、空気が凍る。
「目の前の張りぼてには興味がないんです。その視界越しに話している奴に用があるんですが……」
クロは立ち上がった。それと同時に、クチグロも反射的に立ち上がる。軍用オートマンが即座に反応する。全身の銃口が、寸分の迷いもなくクロへ向けられ、クチグロを守る位置へと前進した。
「……そうやって隠れていればいい」
クロの声は、変わらない。低くもなく、高ぶりもない。
「今から、宣言しておきます」
クチグロが、何かを合図するように手でサインを送る。
次の瞬間――クロの背後の壁が割れ、隠されていた通路が露出する。奥で控えていた、重火器を構えた兵士たち。上空には、攻撃態勢に移行したドローン。銃身が、一斉にクロを捉える。
だが、それでも。クロは、一歩も動じなかった。視線は真っ直ぐ。声も、揺れない。
「これから――」
静かに、しかし明確に告げる。
「ハンターとして、一番やるべき仕事をします」
その宣言は、脅しではない。警告でもない。
――予定の共有だった。




