第一印象は着地
眼下には、トゥキョウの巨大基地。正面入口が、無数の灯りと警戒光に縁取られ、夜の闇の中に浮かび上がっていた。重力に引かれ、クロの身体は一気に加速していく。風が耳元を切り裂き、視界の端で光の筋が流れ去る。目指すのは、トゥキョウ基地、正面入口。だが、クロの思考は不思議なほど静かだった。ドリーム星系。今回の招待。義勇軍。黄金の聖神。それらはすべて、意識の端へと押しやられている。今、クロの意識を占めているのは、ただ一点。
(……着地は、どうするべきか)
クロは真剣だった。いや、この状況でその思考をしていること自体が、すでに常軌を逸している。空中で身体をひねり、姿勢を整える。両腕を右斜め上へ構え、左脚をぴんと横に伸ばし、右膝を軽く曲げる。一瞬、時間が止まったかのような、完成度の高い美しいシルエット。
「……違うな」
小さく呟き、即座に姿勢を崩す。次。次。次。落下しながら、いくつものポーズを試す。どれも悪くはない。だが、どれも決めに欠けている。そして、ふと、脳裏にいくつかの映像がよぎった。
(攻殻の少佐……それとも、不死身の俺ちゃんみたいに、あえて膝を壊しにいくスーパーヒーロー着地か)
理屈では最悪だ。衝撃は膝に直撃する。普通なら二度とやりたくない着地。だが、耳の奥で、妙に覚えのあるリズムが鳴り始める。
(ダダン、ダン、ダダン……)
クロは、ほんのわずかに口元を緩めた。
「……この中から、今の私に合ってるのは……」
一瞬、考え。
「……これ、かな」
夜空を落ちながら、クロの身体が選ばれた形へと移行していく。それが、これから始まる掃除の、第一印象になるとも知らずに。地上が、急速に近づいてくる。視界の先には、上を見上げたまま固まる人影。どう見ても、軍服を着た輩にしか見えない連中だ。
(……よし。こいつら相手なら、着地は、やはりこれで決まりだ)
そして、着地。轟音。衝撃と同時に、コンクリートが砕け、跳ね上がり、粉々になって弾け飛ぶ。地面は蜘蛛の巣状に割れ、巻き上がった粉塵が一瞬で視界を覆った。
「……っ!」
兵士たちは、息を呑み、声すら出せずに立ち尽くす。粉塵の向こう側。姿はまだ、見えない。
(ダダン、ダン、ダダン……)
クロは心の中で、そのリズムを選び取っていた。それは、これから始まる掃除の、第一音だ。やがて、粉塵がゆっくりと晴れていく。そこに現れたのは、両拳を地面につき、地を支え、背を丸めるようにして顔を伏せた影。壊れた地面の中心で、それは、静かに息を整えていた。誰も声をかけない。いや、正確にはかけられなかった。粉塵が完全に落ち着き、空気が戻ってきても、その場にいる兵士たちは誰一人として動けずにいた。銃を構えたまま固まり、呼吸すら忘れたように立ち尽くしている。
やがて。クロは、ゆっくりと体を起こした。両拳を地面から離し、背筋を伸ばし、軽く首を鳴らす。
「…………意外と、膝に来ましたね。さて」
独り言に近い呟きだった。だが、その声は妙に澄んでいて、粉塵の残る空間によく通った。クロは周囲を一瞥し、完全に硬直したままの兵士たちへ、気軽な調子で声をかける。
「どうも、クロです。そちらの招待を受けて来ました。内戦の調査の件で」
名乗りは丁寧だった。言葉遣いも、態度も、至って穏やかだ。だが、返事はない。誰一人として口を開けず、視線だけがクロを追っている。クロは一拍待ち、小さく肩をすくめた。
「……聞こえました? ハンターギルドから来ました。宇宙平和機構の依頼です。招待を受けたんですが、聞こえてます?」
それでも、兵士たちは動かない。恐怖と混乱が絡まり、声にできなかった。クロはもう一度だけ肩をすくめる。
「……仕方ありませんね」
そう言って、何事もなかったかのようにゲートを潜り歩き出す。そして、そのまま基地施設の入口へと歩き出した。直後、警告音が鳴り響く。低く、鋭い電子音。クロの周囲に、軍用ドローンが次々と展開し、半円を描くように包囲する。照準光が、無機質にクロを捉えた。だが、クロはそれらを一切気に留めない。視線すら向けず、足を止めることなく前へ進もうとする。
その時。
「まて! ちょっと待て!」
ようやく、声が上がった。必死に絞り出したような、半ば裏返った叫び声だった。クロは足を止める。そして、まるで散歩の途中で呼び止められたかのような動作で、ゆっくりと振り返った。
「なんですか?」
穏やかな声音。空から落下し、基地の正面を破壊した存在とは思えないほど、落ち着いた調子だった。首をわずかに傾げる仕草さえ、どこか柔らかい。
「お前……生きているのか? それに、空から落ちたよな?」
「それが、どうかしました?」
クロは不思議そうに瞬きをし、すぐに言葉を重ねる。
「挨拶はしましたよね。無視したのは、そちらでしょう?」
その一言に、兵士たちの喉が一斉に鳴った。誰もが、反射的に唾を飲み込む。
「……それにしても」
クロは周囲を見回し、空を巡回する軍用ドローンと鳴り止まない警告音に視線を向けた。
「招待しておいて、この警告音は何なんですか?」
「そ、それはお前が俺たちを無視して……いや、そうじゃなく! お前は一体……!」
言葉が続かない。疑問と恐怖と混乱が絡まり、声にならなかった。その瞬間。空気が、変わった。クロの足元から、目に見えない圧が広がる。重力が増したかのような錯覚。兵士の一人が、無意識に息を詰めた。胸が押し潰される感覚に、呼吸の仕方を忘れる。
「……そんなこと、どうでもいいでしょう」
声は低くも荒くもない。ただ、淡々としていた。
「貴方達が無視した。それだけの話です」
一歩、クロが踏み出す。それだけで、数人の兵士が反射的に後ずさる。
「いいから案内するか、この、うるさいドローンを、どうにかしてください」
その瞬間、誰もが理解していた。これ以上、余計なことを聞いてはいけない。これ以上、彼女の機嫌という概念に触れてはいけない。この少女は、警告を無視しているのではない。警告を、考慮に入れていない。
「……わかった」
先ほど声を上げた兵士が、震えを押し殺すように言った。
「案内する。だが、その前に……身体検査だ」
そう言って、ゲート横に設置された検査機を指し示す。クロは小さくため息を吐き、肩をすくめた。
「はいはい」
抵抗する様子もなく、検査ゲートを通過する。直後、端末が短く電子音を鳴らし、緑のランプが点灯した。数値は、すべて規定値内。警告も、異常表示もない。それが、かえって不気味だった。
「……武器は、持っていないな」
「ええ」
クロはあっさりと頷き、首を傾げる。
「何なら、もう一度確認します? ――命をかけられるなら、ですけど」
その言葉に、誰も返事をしなかった。ただ、兵士たちは無言のまま、クロを通すという選択を受け入れていた。




