焼肉の準備と高まる期待
説明に合わせて、ホットプレートの縁がほのかに光を帯びる。金属表面にじんわりと熱が宿り始め、その微かな明滅が食欲を誘う。クロは思わず前のめりになって見つめ、クレアは尻尾を揺らしたまま目を輝かせていた。視線は完全に“肉を焼く未来”へ向かっている。
「プレートは、手で触れても熱くありません。安全設計になっています。ただ、肉を焼くときだけ高温になりますので、そこだけお気をつけください」
カクは丁寧に指先で焼き面の位置を示し、使い慣れた説明口調で続ける。
「煙も油も多少は出ますので……服に匂いや油が付く可能性もあります。ご了承ください」
その注意に、エルデが「へぇ〜」と感心したように声を漏らし、クレアはこっそり自分の胸元のスカーフを押さえて汚れを気にする。クロは二人の仕草を見て小さく笑みを浮かべた。緊張の残り香はすでに消え、完全に“食べる前の空気”へと変わっていた。
「それと、焼く際の注意ですが……プレートの中央で必ずよく焼いてください。一応、生で食べても大丈夫ですが、あまり美味しくありません」
カクは言いながら少し苦笑を浮かべる。その表情が、食材へのこだわりと店の素朴な誇りを物語っていた。
「焼き上がったらすぐ召し上がってください。多めに焼いた時は、中央の縁に移せば冷めずに食べられます。……少しだけ旨みは落ちますが」
丁寧な説明に、クレアはうんうんと頷き、尻尾の揺れが勢いを増す。もはや体全体で「早く焼いてほしい」と主張している。エルデも待ちきれない様子で目を輝かせ、口元が小さく上がっていた。
そんな二人を見届けたあと、カクはふと真剣な表情へ切り替えた。
「最後に、重要なことです」
その口調に、クロもエルデも自然と姿勢を正す。指を一本立て、カクははっきりと告げた。
「料理のお残しは厳禁です。生の食材ですので、必ず“食べられる量だけ”を注文してください」
その言葉には職人の覚悟が込められていた。手間と時間をかけて届けられた食材だからこそ、粗末にしたくない――そんな思いがダイレクトに伝わってくる。
「わかりました。注文はこの小型端末からで?」
クロが確認すると、カクは穏やかに頷いた。
「はい、大丈夫です。ただ、提供に少し時間がかかりますので、ご了承ください」
そこまで告げると、カクは深く一礼し、最後に温かな声を添えた。
「ごゆっくりお楽しみください」
その一言に、クロたちの期待がさらに膨らみ、焼肉の始まりを告げる静かなワクワクが部屋に広がっていくのだった。
スクリーンライトを抜けてカクが退出すると、途端に空気が軽くなり、三人は同時に小型端末を操作してメニューのホロディスプレイを立ち上げた。
目の前に浮かび上がるのは、煌びやかな肉の写真。厚みの違うスライス、色の濃淡、部位の多さ……小さなリビングであることを忘れさせるほどの迫力だった。
クロは映し出された見慣れた部位表を見て、胸の奥から静かな感激が込み上げてくる。
(……本当に焼肉だ。まさかこの世界で、ここまで“本物”を見る日が来るとは)
対するクレアとエルデの視線は、完全に迷子だった。二人の瞳が忙しなく動き、どこを見ればいいのか分からず泳いでいる。
「焼肉って、こんなに種類があるっすか……どれが普段食べてるやつっすかね?」
エルデが戸惑った声を漏らす。クレアは画面に顔をぐっと近づけ、しっぽを揺らしながら真剣そのもの。
「私にも分かりません。しかし……全て食べたいです!」
力強い宣言に、クロは小さく笑う。
その間にも、クロの思考は次々と組み合わせを描き出していた。
(たれの種類は三種類。醤油、味噌、塩のオーソドックス……ああ、これでいい。最初はタンだな。牛タンと豚タン……ネギは無いのか。なら初手は牛タンで決まり)
だが、次の瞬間ふと手を止める。
(……いや、好きなのを食べよう。最初のタンは確定として、二人には色んな味を知ってもらいたいし)
そう心に決めて、二人へ向き直る。
「最初の注文は私が決めます。後は二人の食べたいものを注文して、シェアしていきましょう。そうすれば多くの種類を食べられますし、気に入ったらそれだけを追加すればいいです」
「それでお願いします、クロ様」
クレアは嬉しそうに頷き、しっぽを少しだけ振る。エルデも目を輝かせながら、
「いいっすね! 最初は何を注文するっすか?」
「それは……来てからのお楽しみということで」
くすりと笑いながら、クロは牛タンを注文欄へ追加する。
「ご飯はいります?」
クロの問いに、クレアは即座に首を振った。
「私はいりません」
エルデはというと、やや名残惜しそうに画面を見つめながら、
「欲しいっす……くっ、白米の誘惑……でも肉の勝ちっす! 今日は肉一本で行くっす!」
そんな素直な答えに、クロはまたひとつ微笑んだ。




