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バハムート宇宙を行く  作者: 珈琲ノミマス
地獄の惑星。バハムートが選ぶ未来

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監視の街を歩きながら

 ゆっくりと歩きながら、クロたちは胸の奥にじわりと圧迫感を覚えていた。通りの上空では複数のドローンが一定間隔で旋回し、人々を順にスキャンする光が淡く地面へ降りていく。その光は無機質で、まるで“誰も逃さない”という意思を持つような冷たさをはらんでいた。パトロール中の兵士たちは硬い足取りで往復し、顔には疲労と諦観が滲んでいる。


 それでも街角の露店では簡素な買い物袋を手にした市民が歩き、カフェの席には温かい湯気の飲み物が置かれていた。生きている――そんな当たり前の営みが、重い監視の空気のなかでかろうじて灯り続けている。


「しかし、静かっすね。コロニーだともっとざわざわしてたっすけど」


 エルデが両手を頭の後ろで組み、周囲を観察するように視線を巡らせる。クロは前を向いたまま彼女の言葉に小さく息を吐いて応じた。


「長い内戦でどこか諦めたような雰囲気がありますね。終わりの見えない緊張がずっと漂い、気づけばそれが生活の一部になってしまう。……生まれたときからこの状態を“普通”として受け入れた人も多いでしょうね」


「そう言えば、どのくらい続いてるんっすか?」


 素朴な疑問を乗せたエルデの声に、クロは端末を取り出し記憶をなぞるように画面を数度操作した。


「20年ですね……。これは“本格的な内戦”とされる期間です。それ以前の紛争を含めると、もう正確には分かりません」


 端末をしまったあと、クロは静かに息を吐く。その吐息には、長い年月の重みからくる切なさがうっすらと滲んでいた。


 エルデは「へぇ~」と頷き、気楽そうな口調のまま自分の過去に触れる。


「自分の生まれる前っすか~。でもまだスラムよりましっすね。あっちは壁が壊れたらすぐ塞がないとヤバいし、スラム同士で縄張り争いなんてしょっちゅうだったっす。いつビームや爆弾が飛んでくるか分かんなかったっすから」


 けらけらと笑いながら話すエルデに、クロは思わず苦笑した。その笑顔が“本当に乗り越えてきた者だけが見せる強さ”に思えて、胸の奥に少し温かいものが広がる。


「それを笑い飛ばせるエルデがすごいですよ」


 褒められたエルデは、照れ隠しのように鼻をかいた。


 歩き続けると、通りに並ぶ飲食店のホロメニューが視界に入る。どの店も統一規格のように整いすぎており、色とりどりの料理が浮かんではいるが、どこか“味気のなさ”が漂っていた。


「さて、何か名物があればいいんですが」


「今の調理器ってなんでも料理出来るっすから、名物あるんっすかね?」


「そこなんですよね、私の不満は」


 クロは足を止め、カレー専門店と表示されたホロディスプレイを見上げる。香辛料の香りがわずかに漂っているが、表示されている料理名はどこでも見かける一般的なものばかりだった。


 次の店ではパスタの専門店。しかし、ここにも見慣れたものがずらりと並ぶ。街に根ざした個性や“ここでしか食べられない何か”が感じられない。


「ギルドの居酒屋や、中華一筋の料理人が作るような絶妙な調整は素晴らしいんです。あれは本当に美味しい」


「美味しいっすよね~」


 エルデの相槌には、あの居酒屋で食べた温かい記憶がにじむ。だがクロは拳をぎゅっと握りしめ、胸の奥にある思いを続けた。


「ただ、名産というものがないんです。マーケットで見た獣人族の店のように、その土地で育った材料を使ったあのお茶や調理器でしたが出てきたデザート……その地域でしか味わえないもの。それが食べたいんですよ」


「わがままっすね」


 エルデの笑い混じりの指摘に、クロもつられて口元を柔らかくゆるめた。


「わがままで結構。幾千年、ずっと見守るだけだったんですから……このくらいのわがまま、可愛いものですよ。……やっと自分の足で歩いて好きに選べる自由が出来るんですから」


 その言葉には、長い孤独を経た者の静かな本音が薄く滲んでいた。エルデは表情を崩し、何も言えないように肩をすくめる。


「それを言われると何も言えないっすね」


 会話の調子は軽いが、どこか温かい空気が二人のあいだを満たす。そうして歩いていると、風に乗って香ばしい匂いがふわりと流れてきた。焼けた肉の脂が空気に溶け、通りの乾いた匂いに混ざり合う。


 最初に反応したのはクレアだった。クロの肩の上でぴくりと耳を動かし、次いで尻尾がかすかに揺れる。


「クロ様、あの十字路を左に曲がった先から、とてもいい香りがします」


 控えめに囁く声は落ち着いているが、尻尾の揺れだけは隠せない。期待が毛先まで溢れている。


「わかりました。ではそっちに行ってみましょうか」


 クロが方向を変え、匂いのする方へ歩き出す。その途中、エルデがふと思い出したように口を開く。


「そう言えば気になってたっすけど」


「なんです?」


 エルデはクロの横へ寄り、小声で尋ねた。


「クロねぇって、なんで迷子になるっすか?」


 その瞬間、クロはぴたりと足を止めた。歩調の乱れがわずかに石畳へ響き、肩のクレアも思わず揺れる。表情が「えっ」で固まり、黒い瞳がきょとんと瞬いた。


「……何故今それを聞きます?」


「いや、ふと思ったっす。クロねぇならクレアねぇより視覚も嗅覚も聴覚もいいっすよね。でも、なんでそれ使わないんすか?」


 エルデは完全にクロとクレアだけに聞こえる小声で問いかける。クレアの耳がぴんと立ち、彼女自身も興味深そうに横目で主を覗き込んだ。


 クロは数秒だけ沈黙し、眉がゆっくり寄っていく。その表情は“何かに気づいた瞬間”を隠しきれない。


「クロ様?」


「クロねぇ?」


 促され、クロは観念したように小さく呟いた。


「……うん、今の今まで忘れてました」


「は?」


「えっ?」


 通りを流れていた焼けた肉の香りも、監視ドローンの低い巡回音も、その一瞬だけ意識から滑り落ちたように感じられた。


 クロは言葉を飲むように一度まばたきをし、額に手を当ててわずかに肩を落とす。


「人間の生活に寄せすぎていて……本来の五感をかなり制限してましたね。いや〜……うっかりしてました」


 その声は、強大な存在らしからぬ気の緩みと少しの照れが混じっていた。

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