死神の帰還
小さな身体が、灼熱の爆風に呑まれ、煙と閃光に包まれて消えていく。
「……やった!」
誰かの叫びが、脱出艇内の緊張を破る。それはまるで呪縛から解き放たれたかのような歓喜の声だった。
一斉に息をつく乗員たち。ブリッジの中に安堵が広がる。ビアードの傍にいた女たちは互いに抱き合い、化粧が崩れるのも気にせずに涙を流した。生き残った――その事実だけが、彼女たちを震わせ、声を震わせていた。
誰かは嗚咽を漏らし、誰かは天を仰いで泣き叫び、誰かは握った拳を高く突き上げていた。
脱出艇はゆっくりと、一隻の味方戦艦へと接近していく。安全圏への回帰。それは、悪夢からの脱出の象徴でもあった。
その時――通信モニターが点灯する。
「ビアードは死んだ。これからは息子であるお前が、ビアードブレイドのリーダーだ」
映し出された画面の中には、ビアードとそっくりな面影の男。あごひげを三つ編みにし、髪も同じように太く編まれた、血の繋がりを感じさせる姿。
『……そうか、親父はバカだな。でも構わねえ。俺がいる。親父が死んでも、ビアードブレイドは沈まねぇよ。俺がいる限り、組織は沈むわけがねぇだろう?』
画面の中の男は、わずかに口元を歪め、冷たく笑う。
『奴の懸賞金を元に出直してやるよ。これが“新生ビアードブレイド”の誕生ってやつだ――!』
その瞬間だった。
突如、ブリッジ内のスピーカーが雑音を拾い始めたかと思うと――全周波チャンネルに、異物のような“声”が割り込んできた。
『……新生、は無理でしょう。だって――ここで、死ぬのですから』
冷たい、けれど落ち着いた小女の声。
だが、それを聞いた誰もが――一瞬で血の気が引いた。それは、“確かに”死んだはずの存在の声だった。
画面が切り替わる。
映っていたのは、爆発した戦艦の“中心”に、無傷のまま静かに佇む――クロの姿だった。
まるで、炎と煙をまとった“死神”のように。
火花が舞い、崩壊した装甲の破片が漂う虚空の中――その中心に立つ少女は、ただ静かに、こちらを見つめていた。
その瞳に、怒りも激情もない。あるのは、冷ややかで無機質な“選別”の眼差し――処理すべき対象を、正確に捉える視線だった。
そして――その一瞥だけで、誰もが悟る。
新たな悪夢が、いま幕を開けたのだと。
爆炎と衝撃の中心、クロの身体は――焦げ一つ見せず、そこにあった。
彼女を包むのは、微細に調律されたフレアの膜。高熱、超音速の衝撃波、金属片の嵐。戦艦をも砕くそれらが、空間を埋め尽くしていた。
だが――そのすべてが、クロの周囲に達することなく、弾かれ、砕かれ、塵となって消えていく。まるで、宇宙そのものが彼女に触れることを拒まれているかのように。
クロはそっと目を閉じる。
破壊の嵐の中、意識の核が肉体から解き放たれ、時空を越えるように――別の場所へと流れていく。
そして、その瞬間。
合体艦ブラックガーディアンの下部格納デッキ――暗がりの中、固定アームに保持された漆黒の巨影が、音もなく反応する。
バハムートの瞳が、静かに――ゆっくりと開かれた。クロの“本体”たるその巨躯が、意識の転送を受けて――静かに、目覚める。
艦内ブリッジ。端末で周辺監視や艦内状況を確認していたアレクは、その変化に気づき、思わず目を見張った。
「……起きた、か……」
しかし次の瞬間には、驚きの色を抑え、いつもの落ち着いた表情を取り戻す。手慣れた動作で端末へと視線を戻し、口元に苦笑めいた表情を浮かべた。
「早速ですか、社長……」
脱力を含んだその呟きには、どこか諦めのような響きがあった。
思い出すのは、今朝――出発前にクロがふと口にしていた言葉。
『勝手に帰ってくると思いますが、驚かないようにしておいてください。私の本体も、消えたり現れたりしますので――気にせずに』
それがまさか、たった数時間後に現実になるとは思いもしなかった。
「……驚かないってのも、大変なんですよ」
ぽつりとこぼすように、苦笑まじりで独りごちる。アレクは静かに息を吐き、再びホロディスプレイへと目を戻した。
そこに映るのは、ゆっくりと透明化を始めるバハムートの巨体。固定アームはそのままに、装甲の巨影だけが徐々に視界から消えていく。
音もなく――人知れず。バハムートはその質量ごと、空間から転移していった。
転移を終えたバハムートは、即座に真上の状況を確認する。
そこには、まだ激しく爆炎を撒き散らす戦艦の残骸。その内部に残された分身体へ、クロは再び意識の核を送り込む。
肉体が繋がり、視界が開ける。
燃えさかる炎と煙の海――その中で、通信が聞こえてきた。
『ビアードは死んだ。これからは息子であるお前が、ビアードブレイドのリーダーだ』
自らの“死”を当然のように前提とした言葉。それに対し、クロは静かに、そして深くため息をついた。
「……まったく。この程度で死ねるのなら、私はとっくに太陽で死んでますよ」
絶望し死のうとして、自ら太陽へ飛び込み――それでも死ねなかった、かつての記憶が脳裏を過った。そしてそれを思い返すと、クロの口元に小さく笑みが浮かぶ。
「ただ、今は――死ぬつもりなど、まったくありませんがね」
そのまま、通信の中で新たな声が高らかに響く。
『奴の懸賞金を元に出直してやるよ。これが“新生ビアードブレイド”の誕生ってやつだ――!』
クロはその言葉を受け、静かに応じた。
「……新生、は無理でしょう。だって――ここで、死ぬのですから」
その言葉は、オープンチャンネルを通じて、戦艦内の全ての耳に届いた。
『……え?』
困惑と恐怖の滲んだ声が、間抜けな静寂を破る。
そして次の瞬間――クロは、宇宙の闇の中を歩くように現れた。まるで死神が確実に歩を進めるかのように、抑揚のない動作で姿を現す。
「……あなた達の真似を、少ししてみましょうか」
そう言って、クロは片手を持ち上げ、指を鳴らすような仕草を見せる。
その直後、彼女の真下――宇宙の虚空に、巨大な“影”が現れた。
静かに、だが確実に質量の存在を知らしめるかのように。透明化して待機していた、クロの“本体”――バハムートが、暗黒の宇宙にその姿を露わにしたのだった。




