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バハムート宇宙を行く  作者: 珈琲ノミマス
地獄の惑星。バハムートが選ぶ未来

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崩壊の瞬間

 アームが悲鳴を上げるような金属音を響かせた。誰もが――ほんの一瞬だけ、締め付けが強まったのだと思った。だが、それは全くの誤認だった。


 現実は、正反対だった。


「…………」


 ビアードは、目の前に広がる光景に、言葉を失っていた。はべらせていた女たちは悲鳴と共に戦艦の奥へと逃げ出し、首輪爆弾を持ってきた男は、それを手から滑らせて取り落とした。誰もが理解した。掴んでいたはずの“獲物”が――“災厄”だったという事実を。


 アームの巨指が、開いていく。いや、開かれていく。中にいる少女の手によって。クロは右手で親指の根元を握り――


「……全く、無駄なことを」


 そう呟いた次の瞬間、親指をこじ開けた。無慈悲な力が、金属の可動部を軋ませながら捻じ曲げ、もぎ取るようにして引き剥がす。親指は鈍い音を立てて外れ、無重力空間に機械油を滴らせながら浮かんだ。


 続いて左手が動く。今度は人差し指を――根元から押しのけるように、ゆっくりと、そして着実に力をかけていく。関節が悲鳴を上げ、リベットが飛び、装甲が歪む。やがて限界を迎えた接合部が裂け、人差し指は根本から折れ、浮かび上がるようにして宙を舞った。


 もはやアームは機能を失っていた。クロは両腕を自由にし、胸元に食い込んでいた中指を見上げる。まるで――ただの邪魔な鉄くずでも見るように。


 次の瞬間、小さな腕が迷いなく振り上げられる。そして、両手で――叩きつけた。


 重金属が砕ける、破滅の音。バチバチッと火花が散り、破片が弾け飛ぶ。中指から小指にかけての指部すべてが、根元から粉砕され、ちぎれた金属が宙に舞う。


 巨大なアームは、もはや掴むことも、動くこともできない。完全に無力化されたそれは、まるで屍のように力を失い、宙を漂う。機体の操縦者もまた、何が起こっているのか理解できずに、ただその場で硬直していた。


 そのすべての中心に、クロは静かに浮かんでいた。――たった一人で、圧倒的な破壊の源として。


 彼女はそっとジャケットのポケットに手を差し入れる。指先が別空間を開き、掌に馴染んだ重みを探る。虚空から取り出されたのは、黒光りするリボルバー。


 時代遅れと言われても仕方のない、古風な外観。だがそれは、様式美でも記念品でもない。ただ“撃つ”という一点のために存在する、洗練された道具。クロはその銃を、無駄な所作一つなく持ち上げた。


 銃口が、寸分の狂いもなく――ビアードの額へと向けられる。マスクの奥で、静かに口角が上がった。それは、喜びでも怒りでもなかった。ただ、事務的に処理を遂行する者の、冷徹な笑み。


「さよなら」


 その一言が、ビアード・ブレイドがこの世界で最後に目にした――“笑顔の死神の顔”だった。


 直後、閃光。ビームの一閃が、空気を裂く。ビアードの額を正確に撃ち抜いた光条は、わずかに遅れて後頭部から抜け、焦げた煙を伴って金属の壁面に焦げ跡を残した。その身体がゆっくりと後ろに傾き、静寂の中で倒れ込む。理解するよりも早く、彼は死んでいた。


 次の瞬間――爆弾を持ってきた男の胸部を、再び光が貫く。彼の手から首輪爆弾が離れ、虚空に漂う。


「……何が、起きて……」


 ようやく誰かが呟いた時には、もう遅かった。


 クロは掴まれていたアームの先――そのパイロットへ視線を向ける。マスクの奥で、一言の呟きもなく。引き金を引く。


 リボルバーの銃口から、圧縮光が走った。最大出力に設定された一発が、コックピットハッチを一瞬で穿ち抜き、その向こうのパイロットの頭部を正確に撃ち抜く。肉も鉄も、そこに区別はなかった。


 ――そして、始まる。


 それから先は、まさに地獄そのものだった。


 対応しようと動いた兵士の一人が何かを叫ぶ。だがその声が終わるよりも早く、クロの姿が掻き消える。リボルバーをポケットに入れるようにして別空間に戻す。代わりに、腰の背部に追加された装備へと手を伸ばした。


 固定具を外し、滑らかに引き抜く。それは、スラロッド。リングカバーを閉じた状態のまま、クロは親指で右へと軽くひねる。


 ――カチリ。


 その瞬間、スラコンが閃光のように伸び、硬化。空気が震え、棒状へと変化したロッドの先端がわずかに丸みを帯びる。


 そして、空間が動いた。クロが――踊った。


 音がなかった。無重力の整備デッキの中で、クロの動きはまるで滑るように流れる。だが、その軌跡のあとには、確実に“死”が残る。ロッドが唸りを上げるたび、骨が砕けた。腕が折れ、肉がねじ切れ、叫びが泡のように弾けて消える。


 一人、また一人。無重力に投げ出された身体が、壁へと叩きつけられ、赤い飛沫を宙に散らす。その反動でゆっくりと回転しながら、音もなく息絶えていく。スラロッドが滑らかな軌道でスイングを描くたび、クロは――寸分の狂いもなく、正確に打つ。


 頭部を打ち抜かれ、血と脳漿が宙に花のように散る者。背骨を叩き折られ、その衝撃で周囲の兵士を巻き込みながら、質量の暴力に弾き飛ばされていく者。彼らは理解する間もなく、ただ“壊れていった”。


 悲鳴、衝撃音、骨の折れる音、金属が軋む音――音も光も血も、ただ混じり合い、整備デッキは地獄と化した。そしてその中心で、クロはただ――無表情に立っていた。


 動きの余韻すら残さず、最初から何もなかったかのように。

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