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バハムート宇宙を行く  作者: 珈琲ノミマス
地獄の惑星。バハムートが選ぶ未来

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嘲笑と圧

「……何がおかしい?」


 低く唸るような声に、クロは掴まれたまま視線も逸らさず淡々と答えた。


「いえ。……コントみたいでしたので。ところで、いつまで掴まれていればいいんですか?」


 退屈そうに言い放つ口調は、あまりに無防備で、あまりに静か。まるでこの場の支配権が、最初から自分にあるかのようだった。


 一瞬、場の空気が凍る。だが、ビアードは次の瞬間にはにやりと笑い、手を軽く振った。


「なに、俺たちの言うことを聞けば――逃がしてやるさ」


 軽く指を鳴らすと、傍らにいた女兵が端末を操作し、クロの目の前に薄青い光のホロディスプレイが浮かび上がる。クロは何も言わず、静かに視線を落とした。数秒間、無言のまま情報を読み進め――そして、明らかにマスクの奥でため息をつく。


「簡潔に言えば、あなたたちに有利な報告をして……そのあと、私に“死ね”と?」


「そういうこった」


 ビアードは口元を歪め、胸ポケットから電子葉巻を取り出し、先端をゆっくりとひねる。低く光が走り、吸い口から淡い蒸気が立ちのぼる。それを誇示するように深く吸い込み、蒸気をクロに吹きかけるように吐き出す。その蒸気の向こうで、目が笑っていない笑みを浮かべた。


「知ってるかい? ギルドじゃお前に懸賞金が出てるんだぜ」


 肩をすくめるように言いながら、片手を上げる。もう一人の女兵が反応し、別のホロディスプレイを展開する。


 表示されたのは、ハンターギルドではなく――エビルギルドの賞金リスト。


 そこには確かに、クロの名があった。賞金額:2,000万C。理由欄には、規格外のリユニック・ワンオフ機体保持者。さらに、その機体〈バハムート〉とサポートロボ〈ヨルハ〉を入手した場合――1億C。


 ホロディスプレイの光がマスクの金属面に反射し、一瞬だけその瞳の輪郭を浮かび上がらせた。だが、彼女の反応は薄い。まるでその金額が、ただの数字の羅列にすぎないかのように。


「……理解はしました。ですが――私を殺す、と?」


 穏やかに問い返すクロの声に、ビアードは愉快そうに笑い、再び指を鳴らす。通路の奥から、兵士がひとり進み出てきた。その手に握られているのは、首輪のような金属製の拘束具。


「これを付けてもらう。報告が終わったら――ギルドのど真ん中で、盛大な“血の花火”を上げてもらうのさ」


 艶然とした笑みの裏に、残酷な愉悦が透けて見えた。それを見上げたクロは、心底面倒くさそうに首を傾げる。


「はあ……?」


 短いため息混じりの声は、恐れも怒りもまるで含んでいなかった。ただ、純粋に呆れたような、あるいは深い失望にも似た響きがあった。


「つまりは、貴方達は“義勇軍”と名乗るインセクトのメンバー……ということでしょうか?」


 その静かな問いに、場の空気が一瞬だけ緊張を帯びる。ビアードの目が細まり、やがてゆっくりと口角を歪めた。


「……なるほど。UPOとハンターギルドの情報網は、思っていたより深いってわけか」


 含み笑いと共に呟くと、彼は隣に控える女に目線を送る。女は無言で頷き、何かをメモするような仕草を見せた。


「俺たちはまだ“インセクト”じゃねぇよ。さすがに、あそこまでは成り上がれてねぇ……」


 ビアードはそう前置きをしてから、拳を強く握り締め、声を張り上げる。


「だがな! お前の懸賞金、それにLOシリーズまで手に入れちまえば――俺たちはその“インセクト”すら、支配下に置ける! 成り上がりの階段ってやつよ!」


 拳を天高く突き上げると、兵士の皮を被った連中が歓声を上げた。喚き、叫び、哄笑し、まるで獣の群れのように。クロはその光景をじっと見つめながら、落ち着いた声で問いを挟んだ。


「ひとつ、よろしいですか?」


 その静かな問いかけに、ビアードは意外そうに眉を上げた。そして、ゆっくりと振り上げていた拳を下ろす。まるで舞台の演出に従うかのように、周囲の兵士たちがピタリと声を潜めた。


 電子葉巻を咥えたまま、ビアードが顎をしゃくって続きを促す。


 そして――クロは真顔のまま、ごく淡々と告げた。


「その“コント”は、何です?」


 静まり返った空間に、その言葉だけが響いた。


「指を鳴らせば端末を操作したり、首輪爆弾を持ってこさせたり。腕を上げれば騒ぎ、下げれば静まる。……貴方たちは、お笑い集団なのですか? ここは劇場でしたか?」


 声音に嘲笑の気配すらない。むしろ本気で“不可解な現象”を前にした人間の、純粋な疑問のようだった。その“真顔の追及”に、さしものビアードも言葉を失い、顔を引きつらせるしかなかった。


「無言ということは、さぞかし練習されたのですね。お疲れ様です。……では、もう良いですか?」


 そう言いながら、クロは掴まれている自身の状態に目を向け、首を軽く傾けた。


「何が“良い”って?」


 ようやくビアードが反応を返した時、クロはマスクの奥で盛大なため息をついた。


「もう――殺してもいい、という意味です。証言は得られましたし、そろそろこの“掴まれてる体勢”にも飽きてきたので」


 それは、呟くようでいてはっきりとした“宣言”だった。クロの視線がわずかに沈み、温度のない沈黙が場を覆う。その刹那、周囲の空気が軋み、目に見えぬ圧が生まれ始めた。空気が収縮し、熱も音も奪われていくかのような、強烈な“圧”が走る。


 その瞬間、全員が悟った。――これが“本物”の殺気だと。


 誰もが、その静かな言葉の裏に潜む“本物”の殺意を感じ取り、凍りつく。クロの瞳には、怒りも激情もない。ただ“必要とあらば確実に行動する”という、圧倒的な確信だけがあった。


 だが、ビアードは震える足をどうにか踏み止め、負けじと声を張り上げる。


「お前に何が出来る! その鋼鉄の手を抜け出せるとでも思ってんのか!? おい! もっと締め上げろ!」


 怒鳴りながら、掴んでいるアームのパイロットへと命令を飛ばす。その声には、自らの恐怖をかき消すための“虚勢”が滲んでいた。


 ――この先、何が起こるかも知らぬままに。

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