救出と静寂
活動報告を更新しました。
少し早いご報告となりますが、ここまで続けてこられたのは、いつも読んでくださっている皆さまのおかげです。
本当にありがとうございます。
バハムートは、唯一かすかに呼吸をしていた宇宙服の人物をそっと手に取った。その動作は、まるで硝子細工を扱うような繊細さだった。
そして、自らの背に乗せられていた他の――すでに息絶えた者たちを、ひとり、またひとりと、丁寧にヨルハの背から降ろしてゆく。その姿には、戦場を歩く者としての敬意と静かな祈りが滲んでいた。ヨルハも無言でそれを受け入れ、やがて身軽になった身体でバハムートの肩にぴたりと飛び乗る。
「……帰るぞ」
短くそう告げたバハムートの声には、哀悼と決意が混ざっていた。直後、転移の光が彼らの身体を包み込み、静かに戦場の宙から姿を消す。
次の瞬間――
バハムートとヨルハの姿は、艦内の重力に縛られた空間へと転移していた。不意の転移に、レッドラインの中央制御室にいたポンセが目を見開く。
『っ……!? 社長!転移ですか? いきなり現れないでくださいよ、心臓に悪いです!』
そう呟きつつも、ポンセはすぐに反応し、ブラックガーディアンの下部ハッチを開放する。甲高い警告音と共にシールドが解除され、固定アームが二本、滑らかに展開されて伸びてくる。
バハムートとヨルハは、そのまま固定アームに身体を委ね、艦内へとゆっくりと格納されていく。周囲の空間が密閉されると同時に、わずかな空調音と共に気圧が戻り始める。
そして、バハムートは静かに目を閉じる。その巨大な存在が音もなく沈黙へと還ってゆき、意識の核が――再びクロへと戻っていった。
下部搬入口の照明が徐々に明るさを取り戻していく。疑似コックピットを抜けたクロの姿が、静かに現れる。その足取りは重くも迷いなく、背後には一瞬前まで宇宙の静寂を纏っていた時間の残滓がまだ残っていた。
そんな彼女の前に、先に艦内へと出ていたクレアが駆け寄ってくる。
「クレア、お手柄でしたね」
クロが微笑みながら声をかけると、クレアはふふんと誇らしげに鼻を鳴らし、そのまま慣れたようにクロの肩へと飛び乗った。
「ありがとうございます、クロ様。ですが――急がないと」
「……そうですね」
ほんの一拍、微笑が残ったまま。クロはすぐに表情を引き締め、バハムートの手に近づきつつ、腰のホルダーから端末を取り出す。画面を指先で軽くなぞると、即座に通信が繋がった。
『はいっす、クロねぇ。帰って来たっすね』
明るい声がスピーカーから弾ける。どうやら訓練中だったようで、背後からはアレクの声も微かに聞こえてくる。
「ええ。それよりも急ぎで、メディカルポット室の準備をしてください」
クロが淡々と告げたその直後、端末の向こうからエルデの叫び声が爆発するように響いた。
『クロねぇ! 怪我したっすか!? 大丈夫っすか!?』
思わず耳を覆いたくなるほどの勢いに、クロは目を細めながら、落ち着いた声で応じる。
「……声が大きいですね。私じゃありません。ちょっと人を連れてきました。その人のためです」
そう言いながら、クロはバハムートの腕から静かに人物を引き取った。抱えた身体は、軽くも重くもない。不思議な質量感を残したまま、ほんのかすかな呼吸の温もりだけが伝わっていた。
その間、クレアはクロの肩の上でしっかりとバランスを保ちつつ、前足を器用に伸ばして端末を耳に押し当てていた。爪先で必死に角度を調整しながら支えるその姿は、まるで芸のようで――その小さな体に似合わぬ器用さを見せつけていた。
「エルデ、アレクにも待機させておいてください。ただし、女性っぽい方なので……私たちが確認するまでは、少し待ってもらってください」
『了解っす。メディカルポット室の準備、すぐにやるっす!』
通信の先からは、走り出す足音とともに、わずかに緊張を帯びた空気が伝わってきた。やがてクロがメディカルポット室へと辿り着くと、入口の前にはすでにエルデとアレクが待機していた。
二人とも心配そうな表情を浮かべていたが――クロの肩に乗ったまま、いまだ前足をプルプルと震わせながら端末を耳に押し付けているクレアの姿を見て、思わず表情が緩む。
「クレアねぇ……器用っすね……」
エルデがぽつりと呟き、口元を手で覆いながら笑いを堪える。クレアは誇らしげに胸を張ったが、その前足は限界寸前のように細かく揺れていた。
アレクがすぐに動き、端末をクレアの足からそっと受け取ると、落ち着いた声で促した。
「社長、早くメディカルポットに入れないと。時間との勝負です」
「ありがとうございます。そうですね――急ぎましょう」
クロは頷きながら、抱えていた人物をより安定した位置に移し直し、メディカルポット室の自動扉へと足を向ける。室内へ入ると同時に、扉が静かに閉ざされ、外界の音が遮断される。
「エルデ、ポットの準備を」
「了解っす」
即座に反応したエルデが端末へと駆け寄り、手早く操作を始める。システム起動の音が重なり、ポットの内部が淡く発光を始める中、クロはそっと抱えていた人物を床に横たえた。
そして――
クロの手が動いた。
次の瞬間、宇宙服に走る裂け目の音が、空間に乾いた音を響かせた。薄く幾重にも重ねられた特殊生地――あらゆる状況下で気密性と耐久性を確保するために設計されたその素材が、クロの手によって容赦なく引き裂かれていく。
明らかに“人の手”では破けるはずのない宇宙服が、音を立てて破られていく光景に、端末操作をしていたエルデが驚き振り返った。
「……クロねぇ、もうちょっと丁寧にした方がいいっすよ?」
苦笑いを浮かべながらそう言うエルデに、クロは構わず手を動かし続けながら、平然と返す。
「どのみち宇宙服は処分しますから。無理に残しても意味ありませんよ……ただ、ちょっとやり過ぎましたね」
言葉とは裏腹に、その手つきは容赦なかった。最後にヘルメットを取り外すと、絡まった髪がふわりとこぼれ落ち、わずかに湿った呼気が見えた気がした。クロはそのまま淡々と確認を続けながら、一言。
「……下の服まで、破いてしまいました」
「……あー……これはもう、見なかったことにするっす……」
後ろで様子を見ていたエルデが、気まずそうに目を逸らしながら呟く。その反応に、クロは一瞬だけ目を細めたが――すぐに真剣な表情へと戻っていった。




