誘導と壊走
ただ、マルティラ軍も黙ってやられるわけではなかった。戦艦が沈み、戦闘機が爆ぜ、機動兵器が次々に地に堕ちる中でも、その攻勢は一向に衰える気配を見せなかった。むしろ、相手の突破力を見極めたかのように、彼らはセフィレイムの進行ルートを巧みに誘導し、じわじわと前線から切り離してゆく。黄金の光をまとった巨神が突出すれば、その背後は必然的に手薄になる。マルティラ軍はそれを見逃さなかった。
主戦力たるセフィレイムに対してはあえて深追いせず、逆にその後方に展開する黄金の聖神の戦艦群へと標的を定める。中でも、旗艦以外の支援戦艦に照準を絞り、精密な集中砲火を加えていた。徹底して旗艦を無視し、その背後を穿つような戦術。そこへ戦闘機と機動兵器の混成部隊が編隊を組んで接近し、四方からの猛攻をしかけていく。
反撃こそ行われてはいたが、各艦の機能と連携に生じたわずかな乱れは、数の暴力の前にじわじわと効いていた。後衛ラインは圧迫され、戦線の維持が限界に近づきつつある。
「バハムート様。黄金の聖神のセフィレイムとルミナス・イーグル……見事に、誘導されているように見えます」
ヨルハが、冷徹な観察者のような声色で感嘆を漏らす。金色に染まる戦場を見下ろすその眼には、緊張と好奇心が同居していた。
バハムートは頷きながらも、マスクの中の口元に苦笑の気配を浮かべる。
「確かに、戦術としては見事だ。だが――セフィレイムがバカなだけって面もあるな」
その言葉には嘲笑というよりも、どこか呆れに近い響きがあった。
「シールド艦がうまく前に出て、一定の距離を保ちながら、後方に前衛艦を下げさせている。明らかに計算された間合いとタイミングだ。その流れに釣られるように、セフィレイムもルミナス・イーグルも、それに続く機体も一斉に前進していく」
視線は戦場の各所を冷静に渡りながら、バハムートはまるで将棋盤の駒を読み取るように、動きの意図を解析していく。
「その隙を突いて、高速艦が後方から一気に接近している。挟撃だ。明確な意思を持って配置された動き……」
そこでわずかに言葉を区切り、セフィレイムの前進を追う視線に陰が差す。
「セフィレイムはそれを知ってか、知らずか――ただ、前だけを見ている。まるで背後の全てを切り捨てているようにな。……よほど部下を信頼しているのか、それとも、ついて来られないなら不要だと、そう思っているのか……」
語尾を濁したまま、バハムートはセフィレイムから視線を離す。
そして、その背後で懸命に立ち回る黄金の聖神の艦隊――追撃を受け、火花を散らしながら後退する艦列をじっと見つめた。遅れた対応により、高速艦との距離を詰められ、各艦がじわじわと損傷を受け始めている。通信が乱れたのか、連携に一瞬の空白が生まれ、そこに弾幕が叩き込まれる。
「セフィレイム単体なら、いくらでも戻って助けることはできる。囲むように随伴する機体も、なかなかの実力者たちだ。奴が任せて下がる判断をすれば、戦線を整えることも不可能じゃない……が、その気配は皆無だな」
「はい。目の前の敵を叩き潰すことに、意識の全てを向けているように見えます。その先にある“旗艦”らしき艦を、一直線に狙ってますね」
ヨルハが静かに言う。その声音には、ある種の畏れと、わずかな疑念が含まれていた。
だが、次の瞬間――バハムートの言葉が空気を揺らす。
「――あれが、本当に旗艦なのか?」
ぽつりと落とされたその一言は、宙域に漂う静寂すらも切り裂くようだった。
唐突な問いかけに、ヨルハは思わずバハムートの方へ振り返る。
「バハムート様?」
バハムートは返事もせず、一度目を細めて遠くを見据えた。濃紺の宇宙に微かに浮かぶ艦影――静止したように見えるその巨大な船体を、鋭く睨みつけるように視線を注ぐ。
「俺には、落とされても構わん、と言わんばかりに動かないそれが……どうしても、本物の旗艦とは思えん」
低く静かな声だったが、その言葉には確信めいた響きがあった。その一言に促されるように、ヨルハも改めて戦場の全体を見渡す。
その艦は、確かに“旗艦”というにはあまりに無為だった。艦隊の中心にありながら指示を発する素振りもなく、動きも見せず、ただ僅かに火線を伸ばすだけ。あれが本当に軍を統率する者の拠点だとは――何かが腑に落ちない。
その時だった。ヨルハの眼が、ふと別の場所に引き寄せられる。
後方から一気に戦場へ突入してきたマルティラ軍の高速艦群。その中でも、ひときわ動きの鋭い一隻があった。暗緑色の船体に青いラインを走らせたその戦艦は、全体の先頭に立ち、損傷箇所からは煙のようなものすら漏れ出している。それでもなお速度を緩めず、味方を牽引するように突き進み、敵のど真ん中を抉る勢いで前進を続けていた。
「バハムート様。後方から来た戦艦の中の一隻……あの艦です。あそこに、マルティラ軍の長がいるのではないでしょうか?」
ヨルハがそう口にした瞬間、バハムートも視線をそちらに向けた。そして、短く、だが重く言葉を紡ぐ。
「……恐らくそうだと思うがな」
その直後だった。黄金のセフィレイムが突き進んだその先、先ほどまで“旗艦”と思われていたマルティラ軍の大型艦が爆炎に包まれ、轟音を立てて崩壊していく。
視覚的には圧倒的な一撃だった。敵中枢の沈黙――それは戦局を覆すに値するはずの一手。だが、バハムートの口元にはまったく笑みは浮かばなかった。
むしろ――わずかに、冷えた吐息が漏れる。
「……これは、黄金の聖神の負けだな」
その宣告が落ちた刹那、戦場のあちこちで閃光が爆ぜる。
それと同時に、ルミナス・イーグルを除く周辺の戦艦群が次々と被弾し、火花と破片を散らしながら崩れていく。中破から大破に至るまで、その損壊の規模はもはや隠しきれない。戦域を見渡すだけでも、戦闘機や機動兵器のうち七割以上が喪失していた。まさに壊滅寸前の惨状だった。
「……私が見るにですが、痛み分けにも見えますが?」
ヨルハが控えめに言葉を重ねる。だが、バハムートはすぐさま首を振った。
「目的の違いだ。マルティラ軍の狙いは、明らかにルミナス・イーグル以外の戦力を徹底的に削ぐこと。対して、黄金の聖神の目的は旗艦の撃沈――だが、その“旗艦”が偽物で、そもそも囮だった可能性すらある」
そう言うと、バハムートは少し視線を動かし、ヨルハへと向き直る。
「……さて。見ていたなら気づいたと思うが、ガーベラで売却した戦艦フラッシェル。この戦場に、あったか?」
「……そう言えば、見ませんでした」
ヨルハは驚いたように呟く。その目が、もう一度戦場の全域を探すように走ったが、確かにフラッシェルの姿はどこにもなかった。
バハムートは、わずかに頷きつつ、さらに言葉を継ぐ。
「もう一つ。あの時、ガーベラで見たマルティラ軍の最大の目的は……“改良型中継基地”だったはずだ」
静かに語られるその声は、断言ではなく、確信に近い仮説として戦況を見通していた。
「……つまり、今ここでぶつかっているのは、本隊じゃない。全力をぶつけに来ていないんだ。もしくは、まだ全隊が揃っていないか、別働隊が他で動いているか」
バハムートの声は、ますます低く、重く沈んでいく。その語調に込められた意味を、ヨルハもすぐに察した。
「……なら、少数で突っ込んだ黄金の聖神の損耗は……」
問いかけは半ば答えを知りつつのものだった。バハムートは視線を宙に漂わせたまま、静かに言葉を返す。
「大きすぎる。今回の戦いで、実質、四つの戦艦を失ったも同然だ。……万が一、まだ戦力を温存しているのなら話は別だが……中継基地の規模から見ても、多くて残り数隻しか保有していないように思える」
言い切られたその言葉には、勝敗という単なる結果を超えて、現実を直視する者の冷徹な静けさが宿っていた。




