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バハムート宇宙を行く  作者: 珈琲ノミマス
地獄の惑星。バハムートが選ぶ未来

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それぞれの朝、そして出発へ

 クロは苦笑しながらも、すぐに姿勢を正し、穏やかな声でアンジュに視線を向けた。


「アンジュ、今日はそれを試してみます。必要と思われるデータの整理をお願いします。ゆっくりで構いませんので、休みつつ」


「わかりました」


 アンジュは即座に立ち上がり、軽く頭を下げた。整った動作でソファーの背に手を添え、まっすぐ立ち上がると、そのまま軽やかにリビングを出ていく。背後には、わずかに揺れた茶の香と、クロの穏やかな視線だけが残った。


 クロはその背を見送り、次にポンセへと目を移す。


「ポンセは今日はブリッジ待機です。周辺の監視などをお願いします。ある程度ならのんびり過ごしても問題ないですよ」


 ポンセは軽く姿勢を正し、きびきびとした口調で応じた。


「ありがとうございます」


 彼はすぐに立ち上がり、持っていた端末を腰のホルダーに戻す。足音を抑えながらリビングを後にし、静かに自動ドアが閉まる。残された空気には、任務に向かう前の緊張と安堵が入り混じっていた。


 クロは次にアレクとエルデへと目を向け、穏やかな笑みを浮かべる。


「アレクとエルデは、秘密基地の区画の設計をお願いします。仮案でいいので少しまとめてみてください。休憩しつつでいいです。あと訓練も忘れずに。せっかくですから、ハンターとしての行動の仕方を学んでみてください」


「わかったっす! アレクさん、お願いするっす」


 エルデが明るい声で応じ、勢いよく頭を下げる。アレクも小さく頷きながら、少し肩をすくめた。


「ああ、俺で良ければ」


 エルデがうれしそうに笑うと、クロは口元にいたずらっぽい笑みを浮かべた。


「いいですか、真面目なことを教えてくださいよ。腐っていた時のことは、反面教師としてなら教えていいですよ」


 その冗談めいた一言に、エルデは吹き出し、アレクは苦笑を返すしかなかった。場の空気が再び柔らかくなり、朝の光がテーブルの上をゆっくりと横切る。


 クロは続けてタンドールへと視線を移した。


「タンドールはランドセルにある転移シャッターでコロニーに戻って、午前中は戦艦と機体の調整の話し合い。その際、勝手に戦艦をドックに置いたことを伝えておいてください」


「は?」


 タンドールの間の抜けた声が響き、クロは首を傾げる。だがすぐに「あ、そういえば」と言わんばかりに手を打った。


「そういえば、今のコロニーの時間は……朝の六時頃ですか。ちょうどいいですね」


「ちょっと待ってください!」


 タンドールの慌てた声がリビングに響くが、クロは止まらない。湯呑を持ち上げ、残りの茶を一口含んだあと、さらりと続けた。


「午後からはギルドで奉仕活動して、四時ぐらいに帰ってくれば、こっちでの晩御飯には間に合うでしょう」


「ちょっ……!」


 タンドールが何か言いかけるが、クロはそれをさらりとかわすように微笑む。


「ちなみにこのレッドラインのことは秘密で」


「…………」


 渋い顔のまま固まるタンドール。その視線をクロは正面から受け止め、しばらく互いに無言のまま見つめ合った。


 やがて、アレクが深い息をつきながら口を開く。


「社長。俺も説明に行きます。その方が早いでしょう」


「兄貴!」


 タンドールの顔がぱっと明るくなった。まるで「さすが兄貴」と言いたげに、心底助かったという表情を浮かべる。


 アレクはクロに向かって視線を送り、静かに確認するように問う。


「いいですよね?」


 クロは肩をすくめ、ふっと口元をゆるめた。


「ふふっ、意地悪が過ぎましたかね。アレクもお願いします。エルデも行った方がいいでしょう」


「わかったっす。自分も久しぶりにおやっさんとアヤコねぇに会いたいっす!」


 エルデが元気よく返し、勢いそのままに立ち上がる。その声が弾むと同時に、リビングの空気がぱっと明るくなった。誰もがわずかに笑みを浮かべ、先ほどまでの緊張が嘘のように消えていく。


 クロはその光景を静かに見つめ、小さく頷いた。湯呑の残り香がまだ漂う中、彼女はゆっくりと立ち上がり、肩に視線を向ける。


「さて、行きましょうか」


 そう呟くと、クレアがちょこんと跳び乗る。クロの肩に軽やかに着地すると、小さな狼の毛並みがわずかに揺れ、柔らかな温もりが伝わる。クレアの瞳が輝き、まるで冒険の始まりを告げるようにまっすぐ前を見据えた。


 クロはその姿に微笑みを浮かべ、少しだけ目を細める。


「私たちは――保守派と黄金の聖神が戦っている宙域まで行きます。してなくても、一度覚えれば転移できますしね」


 その口調は穏やかでありながら、どこか確信に満ちていた。それは戦いの話であっても、どこか“日常の延長”のように淡々としていて、彼女らしい落ち着きがあった。


「クロ様! 案内は任せてください!」


 クレアが胸を張り、小さな前足を広げるようにして宣言する。その声と気迫は、体の大きさを忘れさせるほど立派な“相棒”そのもの。その自信満々な様子に、クロは小さく笑みを漏らした。


「頼もしいですね」


 そう言いながら、クロはポケットから愛用のゴーグルを取り出す。レンズに光が反射し、一瞬だけ柔らかなホロディスプレイが映る。それをクレアの前に差し出すと、クレアはすぐに理解したように口で咥えた。


「お願いしますね」


 クロの声は静かだったが、その響きには確かな信頼があった。クレアは嬉しそうに尻尾を勢いよく振り、胸を張るように体を反らせる。その小さな体がクロの肩の上で誇らしげに輝き、柔らかな艦内光がその黒い毛並みに反射する。


 二人の間に流れる空気は穏やかで、しかしどこか張り詰めていた。これから向かうのは、確実に危険な宙域――それでも、クロの顔に迷いはない。


 リビングの照明が少しずつ落ち、静かな電子音が鳴り響く。クロは軽く息を整え、肩のクレアに目をやった。


「準備はいいですか?」


「いつでもです、クロ様!」


 その元気な返事に、クロは小さく笑い、目を閉じた。その表情はどこまでも穏やかで、そして静かに燃えるように強かった。

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