名を得た巨影
一息ついたタイミングで、バハムートが口を開いた。
「エルデ。罰ゲームとして、もう少し働いてもらうぞ。時間は――ヨルハが名前を考え終えるまでだ。その間に、もう少し大きくしておこう」
『……十分な気もするっすが?』
訝しむように振り返ったエルデの視線の先では、すでにゴーレムの全高がブラックガーディアンを軽く呑み込むほどに達し、もし今ここにフラッシェルがあったとしても、優に包み込めそうな質量を誇っていた。
けれど、それでも――バハムートには足りない。
「まだこの程度では、俺の理想とする“それ”には届かん」
そう呟くと、彼は巨大な指先を伸ばし、ヨルハの頭を優しく撫でた。
「ヨルハ、しっかりと名前をつけてやれ。愛着が湧くような、そんな名前をな」
ヨルハがこくんと頷くのを確認すると、バハムートは再びエルデの方へ視線を移す。
「さあ、エルデ。もうひと踏ん張り、頼んだぞ」
『うぅ……これ絶対あとでおやっさんに怒られるっすよ……』
肩を落としながらも、エルデはファステップを操作し、今度は隕石を切り刻むのではなく、その表面に向かって新たな物質を押し込む作業へと切り替えた。その動きに合わせて、バハムートもまた行動を開始する。
「俺も投げ込むか」
静かに言いながら、重々しい巨体を移動させ、近くの浮遊隕石へと歩み寄っていく。そして、手頃なサイズのものを抱えると、それを軽々とゴーレムへと放り込んだ。次いで別の隕石も押しつけるようにして接合させ、ひとつ、またひとつと巨大な塊を加えていく。
ヨルハはその様子を、まるで息を呑むように見つめていた。
投げ込まれるたびに、ゴーレムの姿は徐々に変化していく。最初はただの泥の塊のようにしか見えなかったその表面は、今や隕石のようにごつごつとした質感を帯びていた。けれど、いざそっと手を添えてみると、意外にもその肌は岩石のような無機質さとは異なり、どこか滑らかで、ほんのりとした温もりすら感じさせる触感を持っていた。
その不思議な手応えに、ヨルハは思わず前足に意識を集中させる。あれほど無骨で巨大な存在にも関わらず、触れてみれば、まるで生き物のような優しさが宿っている。
(……名前、か)
改めてそう考えた瞬間、ヨルハの中で言葉の重みが急に増していく。
(今まではバハムート様に意見をしてきましたが……自分で考えるとなると難しい……)
ゴーレムの構造、バハムートの意図、自分の知識と感性――それらが頭の中で複雑に絡み合い、答えがなかなか浮かんでこない。
(バハムート様はこのゴーレムを、きっと宇宙ステーションみたいに使うつもりなんだと思うんですが……どういう名前がいいのか。そう言えば私は、物の名前の意味を、あまりにも知らなさすぎる……)
そこにふと、じわりと焦りが滲む。
(あれ……? 私って意外と――いや、かなり無知なのでは……)
自分の教養の足りなさに気づいた瞬間、思わず視線を落とす。ほんの少しだけ、頬が熱を帯びる。けれど、諦めるわけにはいかなかった。これは、任された“初めての仕事”なのだから。
(名前……名前……何か、いい言葉……)
浮かんでは消えていく断片的な単語たち。意味のない繰り返しが次第に思考を濁らせていく。
(名まえ……なまえ……ナマエ……)
次第に“名前”という言葉そのものが曖昧な概念に変わっていき、ついにはその語源や存在理由すら見失いかける。
そのとき、バハムートの低く穏やかな声が響いた。
「考えすぎるなよ。シンプルでいいんだぞ」
『バハムート様……しかし、何か意味がないと……』
言葉を濁して項垂れるヨルハに、バハムートは静かに、しかしはっきりと告げる。
「いいか。ノアやエルデのファステップみたいに、意味をしっかり込めるのは――そこに“思い”があるからだ。なら、お前はどうだ? この目の前のゴーレムに――今はどんな思いがある?」
その問いに、ヨルハははっとして視線を上げる。ゴーレムの巨大な輪郭が、再び彼女の瞳に映る。そして、脳裏をよぎるのは――まだ幼かったころ、仲間と共に身を寄せていた、あの隕石。
(……すぐに場所を移動しましたが、あの隕石――あれは、今思えば“家”のようなものでした)
遮蔽物ひとつなく、熱も空気も存在しないただの岩塊。それでも、仲間たちと肩を寄せ合い、じっとやり過ごした時間には、不思議と心が安らいでいた。
(あれは、私たちにとって最初の“居場所”でした……)
その一言が、ヨルハの中で静かに広がっていく。そして、ふと――
言葉にならなかった“思い”が、ひとつの輪郭を帯び始めた。
『……レッドライン。この子は……レッドラインです』
口にした瞬間、自分でも驚くほどに、しっくりと胸の奥に馴染んだ。それは、ただの名前ではない。ヨルハがいま胸の内に抱いていた“願い”が、ようやく形になった証だった。
クロがいて、アヤコがいて、シゲルがいて、エルデがいて――みんなが揃って住んでいる、あの場所、レッドライン家。
あれは、彼女にとってただの家ではない。自分が“居てもいい”と思える、初めての場所だった。
ならば、このゴーレムも――誰かにとって、そんな場所になってほしい。誰かが帰ってこられるような、あたたかい拠点となるように。
そんな願いを込めて、ヨルハはその名を贈った。
「……うむ。シンプルでいい」
静かに頷いたバハムートの声は、どこか満足げだった。その巨体がゆっくりと首を動かし、ゴーレム――いや、今や“レッドライン”と名づけられたそれを見つめる。
「ゴーレム……いや、レッドライン。良かったな」
その言葉に応えるかのように、レッドラインの表面を包む光が、わずかに脈動したように見えた。まるで、自らに与えられた名に応えるかのように――。




