表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
バハムート宇宙を行く  作者: 珈琲ノミマス
二度目の目覚め
51/465

静かな休暇と騒がしい余波

 朝。クロは、休暇を言い渡されたその日、いつもより少し遅めに目を覚ました。ホテルのシャワールームで湯を浴び、身支度を整えると、そのままロビーへと降りていく。


 エントランスを出ようとしたところで、ロビーのカウンターから声が掛かった。


「クロ様。おはようございます」


 声の主は、初日に手続きを手伝ってくれたホテルマンだった。変わらぬ丁寧な物腰で、深く一礼する。


「おはようございます。端末の操作、教えてくださってありがとうございました」


 クロもまた、礼儀正しく頭を下げる。


「いえ、とんでもございません。お役に立てたのなら何よりです」


 ホテルマンは控えめに微笑みながら、すぐに表情を改めた。


「もしよろしければ、少しだけお時間を頂けますでしょうか。ご迷惑にはいたしません」


「はい」


 クロは迷わず、静かに頷いた。


「ありがとうございます。お話は、ご滞在についてでございます」


 ホテルマンは声の調子を落とし、丁寧に言葉を継ぐ。


「まもなくご宿泊が一週間を迎えますが……ご延長のご予定はございますでしょうか?」


 クロは軽くお辞儀をし、淡々と答えた。


「すみません。この一週間で大丈夫です」


「かしこまりました。それでは、残りの期間もどうぞよろしくお願いいたします」


 ホテルマンは深く一礼し、言葉に微笑みを添える。


「お時間をいただき、ありがとうございました。……素敵な一日をお過ごしくださいませ」


 クロは小さく頷きながら、玄関に向かって足を進める。


「行ってきます」


 ホテルを出たクロは、いつものようにギルドへ向かうことなく、別の通りを歩き出した。今日は休み。予定していたのは、グレゴに紹介された武器屋――『ロック・ボム』への訪問だった。


 だが、そこまでの道順や、店の特徴に関する知識はほとんどない。クロは端末に届いていた地図を見たが、現地の雰囲気や傾向までは読み取れなかった。


(……だったら、詳しい人に聞いた方が早い)


 クロが足を向けたのは、アヤコがいるあのジャンクショップだった。


「……さて、武器か」


 ぽつりと呟く。


「別に、今すぐ必要ってわけじゃないんだけど……スライムタッカーみたいに面白いのがあれば、見てみたいし」


 クロは、淡々とした口調でそう呟く。けれどその声の端には、わずかに期待が混じっていた。


 気がつけば、足取りは軽くなっていた。街の雑踏の中を、目的地へ向けて歩を進めていく。


 前から、後ろから、人々の歩く音が重なって響いてくる。仕事へ向かう者。子どもと手をつなぐ親。寄り添い合って笑うカップル。そこには、コロニーの日常が流れていた。


 その中で――ひとりだけ、明らかに“異なる意思”を持って歩く男がいた。


 空気に紛れることもなく、明確な“狙い”を帯びた歩調。視線は定まっており、すれ違う瞬間を狙っているのは明らかだった。


 そして、すれ違いざま。男は、わざとらしいほど大きな動きで、クロの肩にぶつかってきた。


 ――ぐらり、と体が揺れたのは、男の方だった。


 クロは、一切動かなかった。まるで壁のように、微塵も反応を見せない。


 ぶつかって来た男は、昨日ギルドでクロの発言を苦々しく聞いていたハンターのひとりだった。子どもに説教されたような屈辱。少しでも鬱憤を晴らそうと、わざとぶつかって転ばせてやろうと考えた――そのつもりだった。


 だが、結果は真逆だった。


 ぶつかったのは自分の方なのに、まるで壁にでも当たったかのような衝撃。


「……ッ」


 男の方がよろめき、体勢を崩した。


(はっ? なんで……!? ありえねぇだろ……!)


 予想外の反動に混乱する間もなく、周囲の視線が彼に集まる。ぶつけたはずの少女は――まったく動じていなかった。


 クロは歩みを止めず、ただ一度だけ背後に視線を向ける。その黒い瞳が、無言のまま男の姿を捉えた。


 言葉もなく、感情も浮かべず。けれど、その一瞥だけで、男の背筋に冷たいものが走った。


 心臓の奥がきゅっと縮むような感覚。まるで“何か”に見下ろされたような錯覚。


 だが、クロにとってこの展開は、特別な感情ではなかった。


「……漫画みたいな展開だな」


 ぽつりと、小さく呟く。それは事実を述べただけの感想。皮肉でもなく、嘲りでもなく。ただの観察者の声だった。


 男は顔を赤くし、唇を震わせる。


「……覚えてろよ!」


 怒鳴るように吐き捨てたその声は、呟きにしては大きすぎた。けれど――クロの耳には届いていなかった。


 少女はすでに、前だけを見て歩いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ