情報整理と笑いの夜
クロたちは帰還後、すぐに情報整理に取りかかった。リビング中央のテーブルにホロディスプレイが立ち上がり、淡い光が室内をやわらかく照らす。クロはエルデのドローンと自身のドローンが記録した映像を並べて再生しながら、指先でポイントを選び、次々とデータを整理していく。
エルデはクレアの頭上に設定されていたクロの小型ドローンの映像を覗き込みつつ、クレアからの報告をまとめていた。時折、クレアが拾った“兵士たちの愚痴話”に小さく吹き出しては、軽いメモを取りながら要点を整理していく。クレアはそんな様子に少し照れくさそうに耳を伏せ、
『情報源が限られていたので、聞き取れた範囲だけですが……』
と控えめに言葉を添えた。
「十分です。そこから繋がる線はいくつもあります」
クロは静かに答えながら、ホロに映るデータを重ね合わせていく。戦況、兵士の会話、基地内部で交わされた噂の断片――散らばっていた情報が、少しずつ一枚の地図のように形を取り始めていた。やがてホロの光がゆるやかに赤みを帯びるころ、外の映像を映すホロディスプレイが時間に合わせて夕陽の光景を映し出していた。今はドック内に停泊しているため実際の陽光は届かないが、映し出された映像の橙が室内に柔らかく反射し、リビング全体を穏やかな色に染めていく。
その静けさを破るように、電子ロックの解除音が響いた。続いてリビングの扉がゆっくりと開く。
「社長、戻りました。休みはどうでした?」
アレクの落ち着いた声が広がる。その後ろからアンポンタンの三人も姿を見せた。日中の情報収集を終えた気配が彼らの纏う空気から伝わってくる。クロは顔を上げ、ホロの淡い光を受けながら穏やかに微笑んだ。
「たいして良い物がなかったので、こちらは切り替えました。アレクたち同様に情報収集を行いました」
「それにしては街や商店などで見ませんでしたが?」
アレクが問いかけながらソファーへと腰を下ろす。その間にアンとポンはキッチンに入り、夕食の準備に取りかかった。アンは冷蔵庫からメインプレートを取り出し、調理器に入れ、ポンは皿などを用意する。タンは手際よくコップを並べ、ドリンクメーカーから全員分のお茶を淹れ始めた。湯気が立ちのぼり、食卓に生活の温かさが戻ってくる。
クロはそんな穏やかな空気の中で、あくまで平然とした声で言葉を返す。
「軍施設内に入り込んで、いろいろ見聞きしていました」
「…………は?」
アレクの声が一瞬裏返る。冗談で済む話ではないと理解するのに、わずかな間が必要だった。言葉を失ったようにアレクがクロを見つめ、室内の空気が静止する。アンとポンの手が止まり、タンが注いでいたお茶が危うくこぼれそうになる。音ひとつ立たない静寂が、まるで部屋全体を包み込んだようだった。その沈黙の中、クロだけがいつも通りの落ち着いた眼差しでホロディスプレイに指先を滑らせていた。淡い光が彼女の指先を照らし、そこだけが静かに動いている。
アレクは凍り付いた表情を何とか解きほぐし、かすかに声を絞り出した。
「社長……どうやって?」
「こうやってです」
その言葉と同時に、クロの姿がふっと掻き消える。空気が歪むでもなく、光が反射するわけでもなく――ただ、そこにあった存在が音もなく消えた。アレクの目が見開かれ、再び凍り付く。
「……っ、まさか、今の……」
すぐ目の前で、何もない空間がわずかに揺らぐ。次の瞬間、クロが何事もなかったかのように姿を現した。その動きには余裕すらあり、まるで当然のように微笑みを浮かべている。
アレクは肩を落とし、呆れと安堵が混ざったような顔をした。
「……あの時、後ろから現れたのはそういうトリックだったんですね」
「そうですね。まあ、この力で気づかれることなく侵入してきましたよ」
クロは軽く頷き、ホロディスプレイの光に指を伸ばした。その穏やかな仕草とは裏腹に、言葉には確かな重みがあった。室内には再び静寂が戻り、アンポンタンがようやく息をつく音だけが微かに響いていた。
「とりあえず、今は情報整理中です。アレクたちはしなくてもいいんですか?」
そう問いかけながらも、クロはホロディスプレイに視線を戻し、手を動かし続ける。淡い光の反射がその横顔を照らし、リビングに緩やかな空気が流れた。
「大体終わってます。こういう時は分担すると速いです。俺とポンセとタンドールが収集をして、アンジュが一括整理してました」
アレクの落ち着いた報告に、クロは感心したように小さく頷く。
「なるほど。勉強になりますね」
クレアも隣で軽く尻尾を揺らしながら、素直に同意するように視線を向ける。エルデはホロディスプレイに映る情報を見ながら、「なら、このデータも……」と呟いた。
しかしその直後、クレアの鋭い声が響く。
「エルデ! 出来るようになりなさい! クロ様の直接のサポートは貴方が一番のメインでするんです!」
ピシッと空気が締まる。エルデは肩をすくめて小さく「はいっす……」と返し、慌てて作業に戻る。クロは苦笑を浮かべながら、その様子を横目で見つめ、静かにフォローを入れた。
「あとでやり方を教えてもらいましょう。何事も勉強です」
そう言いながら、クロは手元の情報をエルデへと転送する。その一連の動きは実に自然で、どこか意地悪な遊び心すら漂っていた。
「クロねぇ!? 今送ったっすか!?」
エルデの悲鳴まじりの声が響く。クロは淡い笑みを浮かべたまま、淡々と告げた。
「後は任せますよ」
「ひどいっすよ~~!」
リビングに笑いが弾ける。クロは肩をすくめ、小さく微笑んだ。
「冗談ですよ……私もやりますから」
その穏やかな声に、エルデも苦笑いを返す。先ほどまで漂っていた緊張感がすっと解け、夕暮れの光が再び温かく空間を包み込んだ。ホロディスプレイに映る光の粒がゆらめき、穏やかな夜の始まりを告げるように静かに瞬いていた。クレアの尻尾がふわりと揺れ、笑い声とともに夜が静かに流れていった。




