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バハムート宇宙を行く  作者: 珈琲ノミマス
地獄の惑星。バハムートが選ぶ未来

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静謐なる撤収

お休みの間もたくさん読んでくださり、本当にありがとうございます!

本日より再開いたしますので、またよろしくお願いいたします。

(……一度、話が聞けそうな人物だな)


 クロは静かに浮かびながら、司令の姿に一瞥を送りつつ、壁際に張り付いていたドローンへと手を伸ばした。触れた瞬間、ドローンはまるで気配を読んだかのように動作を停止し、警告音ひとつ発することもなく沈黙する。クロはそのまま滑らかな動きで回収し、手のひらに収めるようにして、別空間へとスッと格納した。まるで何もなかったかのように、その場からドローンの気配は完全に消える。


 再びホロディスプレイの列をゆっくりと見渡す。だが、先ほど得たもの以上の情報は、もはやどこにもなかった。


(これ以上は……無さそうですね)


 そう判断を下すと、クロは静かに身体の向きを変え、撤収へと移る。視線の先には、指令室の出入り口――その上部にある扉センサーフレーム。クロはそこへと滑るように移動し、ひとつ息を整えるように浮遊状態を安定させてから、じっと開扉のタイミングを待った。


 数秒。いや、十数秒の沈黙――そして、扉が静かに横へと滑る音とともに、クロの身体は空気をすべる一陣の気流のように走った。出てきた兵士の頭上すれすれをすり抜け、誰にも気づかれることなく、音もなくその場を離脱する。そのまま真っ直ぐ、指令室のすぐ近くにあるトイレブースへと滑り込み、無人であることを確認すると、個室の一つに身体を滑り込ませた。


 内部からロックをかけ、壁面に背を預けて姿勢を安定させる。


 そして、繋ぎっぱなしだった通信ラインに再び意識を向け、小さな声で問いかけた。


「エルデ。今の会話や映像は見ていましたか」


 ゴーグルの視界の隅に、ホログラムがふわりと浮かび上がる。そこには、エルデの顔が映し出されていた。目を輝かせ、どこか嬉しそうな笑みを浮かべている。


『見てたっす。司令さん、良い軍人さんに見えたっすね』


「……良いか悪いかは別として。こちらから、軍側に“接触申請”を送ってください」


 クロが淡々と告げると、ホログラムの中のエルデは一瞬、きょとんとした顔で目を丸くする。


「内容は――UPOからの依頼を受けたハンターとして、“少し話を伺いたい”とだけ伝えてください。明日、午前中を指定。断られても問題ありません。基地側の通信用ポートに送信を」


『了解っす! 文面はこっちで整えて、通信用ポートに送っておくっす!』


 その張り切った返答に、クロは小さく頷いて見せた。狭いトイレの個室の中、照明の柔らかな光が頬の輪郭をわずかに照らす。彼女の表情には、緊張の残滓と安堵が入り混じっていた。


 続けて、クレアに静かに呼びかける。


「クレア。そっちは何かいい話は聞けましたか」


 そう問いかけると、すぐに通信の向こうから微かなノイズが走り、控えめな声が届いた。


『いえ。有益な情報は無かったです。賭け事や愚痴が多かったですね。ただ面白いのが、その愚痴の内容がこの内戦に対する不満が多かったです』


 報告の口調には申し訳なさが滲んでいる。けれどもクロは、その答えにわずかに笑みを浮かべた。音のない笑みは、緊張した空気に小さな綻びを作る。


「いえ、その愚痴はいい情報です。人の不満には流れが現れますから。戻りましょうか、クレアはここに来れますか。それとも私が向かいましょうか」


『いえ、クロ様は迷子になるのでそこで待っていてください。こちらから匂いをたどって向かいます』


 クレアの声音は真面目そのものだった。冗談の気配もなく、淡々とした判断にクロは思わず言葉を詰まらせる。わずかに目線を落とし、肩を落としたまま苦笑するしかなかった。


 その様子を見ていたのか、通信越しにエルデの声が重なる。


『そうっすね……ふふっ。自分のドローンもそっちに向かわせるっす。クロねぇだと迷子になるっすから』


 明るい笑い声が小さく響く。


 クロは口を開きかけて――やめた。わずかに息を吐き、ヘッドセットの中で静かに沈黙する。


(言い返せないな。しかし……なぜ私はこんなにも迷子になる? 転生前は方向音痴ではなかったはずだが……)


 思考の端に小さな苦笑が浮かび、おでこを軽くなでる。


「……とりあえず、合流しましょう」


『わかりました』


『了解っす』


 二人からの返事がほぼ同時に届く。音声が重なり、通信のノイズがわずかに弾けた。クロは苦笑を浮かべながら、眉をわずかに寄せる。


(……どちらも返事が早い。良いことだが、少し迷子をネタにし過ぎな気がするな。まあ、いいか)


 短い沈黙のあと、通信が切り替わり、周囲の気配が変わった。わずかに空気の流れが動き、微かな風の渦がクロの頬を撫でる。その瞬間、肩の上に柔らかな重みがそっと乗った。


 クロは視線を上げ、肩越しに声をかける。


「クレア。戻りましたか」


 肩の上から、穏やかで澄んだ声が返ってきた。


「はい。お待たせしました」


 その声音には、ほっとするような温もりがあった。緊張していた空気が少し緩み、個室の狭い空間に静かな安堵が満ちる。


 クロは姿勢を保ったまま、わずかに顎を引いた。


「まだ透明化は解かないでください。このまま帰ります」


「了解しました」


 クレアの短い返答には、任務を終えた者の落ち着きが漂っていた。クロは軽く息を吐き、肩に感じる小さな重みを確かめるように目を細める。その直後、空気の奥でわずかな振動が走った。小型ドローンの光点が壁の影から現れ、ゆっくりと彼女の前へと滑り出す。


『お待たせっす。クレアねぇは居るっすか』


 耳に届くエルデの声は、いつもの明るさを含んでいる。クロはわずかに笑いを含ませ、肩越しに視線をやる。


「居ますよ。やはりドローンからでも見えないんですね」


『居たんすね。そうっす、二人の姿まったく見えないっすよ。自分もやってみたいっす!』


 通信越しに弾む声。羨ましげなその調子に、クロは苦笑をこぼした。


(……恐らくそのうち出来るようになると思う。私の血と分身体の一部を与えているから、完全に馴染めば――いや、今はいいか)


 静かに息を吐く。わずかな間、思考が静寂の中に沈む。


 心の中で呟くと、クロはゆっくりと壁から離れ、ドローンに手を伸ばした。その小さな機体を手のひらに収めるように持ち上げ、静かに告げる。


「帰ります」


 言葉と同時に、空気がわずかに歪む。次の瞬間、視界がふっと切り替わる。


 ランドセルのリビング。柔らかな空気が包み込み、機械の駆動音と室内の温度制御音が静かに耳をくすぐる。クロは転移の揺らぎが消えるのを待ち、エルデがまだ気付いていないことを確認してから、ゆっくりと透明化を解除した。


「うわっ! びっくりしたっす!!」


 目の前でエルデが肩を跳ねさせ、慌てて一歩下がる。その反応に、クロは小さく笑い、軽く首を傾げた。


「迷子が帰りましたよ。さて――情報整理を始めましょう」


 その声は静かで、けれどどこか温かみを帯びていた。肩の上のクレアもまた、安堵したように尻尾をひと振りし、静かにクロの頬へと鼻先を寄せた。

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