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バハムート宇宙を行く  作者: 珈琲ノミマス
地獄の惑星。バハムートが選ぶ未来

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八つの輪

 ポンもみなの輪に合わせて床へ腰を下ろし、ふと思い出したように顔を上げた。


「シゲルさんとアヤコさんは来なかったんですか」


「はい。どうやら、私が持って帰る“イベント”に備えて、仕事を片付けるそうです。戦艦などを持って帰るのを、爆弾って言われましたよ」


 クロは苦笑しつつ、一つ刻み終えては別の輪を手にしまた文字を刻む。エルデがその様子に身を乗り出し、ポンへ向き直る。


「ポンセさん、考えてほしいっす。日常で使えて、重力下でも無重力下でも使える。しかも惑星だと重宝する……そんな物らしいっすけど。あれっすかね、宇宙服がいらなくなるようなやつっすか」


 クロは淡々と否を返し、指先で刻印の線を整える。


「そろそろ出来てきますよ」


 声音は穏やかなのに、どこか楽しげだった。エルデは腕輪をくるくる回しながら、なおも首を傾げる。


「ポンセさん。惑星で重宝、ってわかるっすか。自分、惑星に行ったことがないから、ピンと来ないっす」


「そうですね……」


 ポンは顎に手を当て、数拍だけ考える。目の奥に、かつての任務の情景がよぎる。砂塵に覆われた大地、荒れた天候、そして無音の戦艦。彼は少しだけ表情を引き締め、実務の口調に切り替えた。


「俺たちが惑星での依頼で苦労したのは、とにかく移動時間です。戦艦で飛べば早いんですが、ハンターの戦艦は宇宙港に停泊させるのが基本なんです。その方が安いし、大気圏突入と離脱のコストは馬鹿にならない。だから――移動速度が上がるようなもの、ですかね」


 経験に裏打ちされた答えに、クロは小さく首を横に振った。


「今回は、その移動のためにファステップとキャンピングカーを手に入れてます。戦艦と違って省スペースなので、そこは問題ありませんし。私には転移という裏技もあります」


 さらりと言って、クロは唇に微笑を浮かべる。


「でも、戦艦の移動をあまりしないというのは、少し意外でした」


 ポンは肩をすくめ、苦笑まじりに返す。


「戦艦への負荷とコストが大きいからです。それに、ギルドで輸送機を借りた方が安上がりでした。……速度は遅かったですけどね」


 言い終えると、ポンは再び視線を落とし、思考の海に沈んだ。クロの前には、七つの輪が整然と並び、すでに文字の刻印を終えている。光に照らされ淡く輝くそれらは、ひとつひとつが異なる呼吸をしているようで、まるで意思を持つ生命体のようだった。


 そして、クロの手には最後の一つ――八つ目の輪。彼女の指が滑るたび、金属の表面を淡い光がなぞり、細やかな火花のような光が舞い上がる。金属特有の匂いが空気に混ざり、温もりを帯びた光がリビング全体をゆるやかに照らしていた。


 鱗の上でふて寝を続けるクレアが、薄目を開けて尻尾を一度だけ振る。その動きには、わずかな不機嫌さと興味の両方が混じっている。寝姿勢を崩すことなく、耳だけは会話にぴんと反応していた。


「なるほど、そんな方法もあるんですね」


 クロが感心したように呟くと、ポンは穏やかに頷いた。


「長期で惑星に滞在するなら、それが一番安上がりです。もし目的地が決まっていて、そこにしか行かない場合は――大気圏突入後に依頼をこなしてから離脱した方が早くてスムーズなんですがね」


 ポンの声は静かだが、経験に裏打ちされた確信が滲んでいた。その理路整然とした横顔を見つめながら、エルデは腕輪を回す手を止め、焦れたように身を乗り出す。


「ポンセさん、その話はまた今度で! 何かないっすか? もう少しで時間切れっす!」


 クロの指先が止まり、刻印の光が静かに消える。八つ目の輪が完成に近づいた合図だ。彼女は小さく息を吐き、血液の入った壺を手に取る。金属と血が混じる瞬間、淡い赤光が一瞬だけリビングを照らした。


 エルデは焦り、ポンはうーんと唸りながら、過去の経験を手繰り寄せるように言葉を探した。


「う~ん……。あれかな、重力負荷の軽減とか、ですかね」


 慎重に出されたその答えに、クロは淡々と顔を上げる。


「残念ですね。不正解です」


 短い一言。だがその声にはどこか愉しげな響きがあった。ポンは苦笑し、首を傾げて小さく息を吐く。


「ですよね。ナノマシン注射でその辺りはもう解決してますし……。他に何があったかな……」


 思考に沈むポンの横で、エルデが勢いよく手を挙げた。


「なら、ライトっす! 暗い場所で使えるライト!」


「それならライトを持って行きますよ」


 クロの静かなツッコミに、エルデは「ぐぬぬ……」と唸って頭をかいた。その姿にポンが堪えきれずに吹き出し、クレアの尻尾がぴくりと動く。鱗の上で小さく揺れる尾が、まるで「その予想ではない」と無言で語っているようだった。


 そんな穏やかな空気の中――クロの手元では、最後の工程が静かに進んでいた。彼女は慎重に血液の入った壺を取り上げ、最後の輪の刻印へと指先で一滴ずつ垂らす。赤い液体が文字の溝に沿って流れ込み、淡く光を放ちながら金属の奥へと吸い込まれていく。


 クロはゆっくりと息を吐き、両手を下ろした。わずかに微笑みながら、静かに告げる。


「――タイムアップです」


 その宣言とともに、リビングの床の空間に整然と並ぶ八つの輪は、どれも同じ深紅で統一され、金属の奥に命のような光を宿している。


「間に合わなかったっす……」


 エルデは悔しそうに膝を叩き、項垂れる。その横で、クロは穏やかに笑みを浮かべながらも、達成感に満ちた表情をしていた。


 ポンは無言でその輪の列を見つめ、目を細める。不思議な透明感と重厚さを兼ね備えた質感に、彼は息を呑んだ。


「……全部、赤いんですね」


 クロはそんなポンの視線を受け、静かに頷いた。そして、少し肩の力を抜くように柔らかく笑う。


「別の色も作れますが……なんとなく、今回はこれがしっくりきたんです」


 言葉は淡々としているのに、どこか余韻を残すような響きだった。

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