その少女、化け物につき
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「逃げようとした奴は戻れ。――死にたくないよな」
出入り口を塞いでいた男が、ゆっくりと歩を進める。その手には、ビームガンとビームソード。無言のまま構えられたそれらが、言葉以上に重く場を支配していた。
その威圧に抗えず、逃げかけた者たちは足を止める。そして――とどまっていた人々もまた、無言のまま従うように、元の牢へと引き返していった。
切り裂かれた鉄格子の奥。一度は越えたはずの境界線を、自らの足で越え直すその姿は、まるで“解放”という希望の否定だった。
「まったく、バカだよねぇ」
男が愉快そうに口を開く。人質を小突きながら、飄々とした口調で。
「動かなければ、まだ助かる可能性だってあったのに。――自分から潰すんだもん、チャンス」
「……貴方。どこにいました?」
クロが問う。淡々と、しかしわずかな探るような気配をにじませて。
「今、聞く? さっき来ただけだよ」
男は肩をすくめて笑った。
「おかしいな~って思って奥に入ったら、みんな捕まっててさ。ああ、これはもうダメだって思ってさ、逃げる気満々で秘密通路に向かったんだよね。そしたら――ほら、この騒ぎ」
視線を、入り口に立つもう一人の男へと流す。
「そこに居る“ケイちゃん”に連絡して、俺もそっちに紛れて脱出するつもりだったのにさ。バカがさあ、騒ぎ出しちゃってさ。計画、パァ~ってわけ」
笑っていた。心底から、楽しげに。
「ハンターちゃん。……武器、捨てようか」
男は笑った。人質の命をちらつかせながら、柔らかな声音で。
「殺されたくないでしょ、この人たち」
クロは表情を変えないまま、手に持っていた装備を一つひとつ放り投げた。ビームガン、ビームソード、スライムタッカー、そして端末。すべてを男の“背後”へ向けて。
「おいおい、普通こういうのは、僕の足元に投げるもんだろ?」
男が苦笑交じりに言う。
「壊されたくないので」
クロの声には、皮肉も怒りもなかった。ただ、淡々と。
「まったく、サイ。その呼び方はやめろ。それより――逃げないとまずい。治安局とギルドが、もう動いてる」
背後に控えていた“ケイ”と呼ばれた男が、慌てることもなく静かに言葉を継ぐ。しかしその声には、僅かな焦りが混じっていた。
「わかったよ。でも……君には、死んでもらう」
サイが笑う。そして、クロに向けて――ビームガンを撃った。
鋭い音が走り、銃口から放たれた閃光がクロの胸部に直撃する。周囲からは、悲鳴。
だが――クロは動かない。微動だにせず、ただそこに立っていた。服も肌も、かすり傷一つないまま。
「おいおい。バリア張ったままなら……人質の方が先に死んじゃうでしょ?」
サイが笑いながら、顎で後ろを指す。クロも目線だけを向ける。人質の首元――肩にあったはずのビームソードが、首元に接近していた。
「……いえ。その程度の出力では、私に傷を与えることはできません。バリアなど、最初から張っていませんので」
淡々とした声が返る。無感情。否、感情の発露すら不要という冷淡な断言。
「いやいや、ウソでしょ? じゃあどうやって死ぬのさ?」
サイは引きつった笑みを浮かべたまま、戯けた調子で尋ねた。
だが、ケイの反応は違う。その目がわずかに揺れる。今目の前にいるのは、“少女”の皮を被った何か――そう理解し始めていた。
「……サイ! 無視しろ。逃げるのが先決だ!」
「ケ~イちゃ~ん。わかってるって。……でも、ケジメは必要でしょ? ギルドに、メッセージを残さなきゃさ」
サイの声は変わらない。軽く、飄々として、どこまでも楽しげに響いていた。
「私を殺すって事ですか?」
クロが、静かに問う。
「殺すよ」
サイは即答だった。迷いも飾りもない。ただ、事務的な応答のように響く。
その瞬間――
クロの唇がわずかに歪んだ。それは怒りでも、悲しみでも、憎しみでもなかった。
漏れ出たのは――笑い。少女の姿にはまるで似合わない、低く、くぐもった声。
「ふ……ふふ……ふは……は、ははっ……はははははっ……!」
どこかくぐもり、濁って響く嗤い。柔らかな声帯のはずが、そこには重く、男のような“深さ”と“底冷えする響き”が混じっていた。
そして――
「……おかしいですね。どうして、そんな言葉が面白く聞こえるんでしょう」
笑いながらも、目は笑っていなかった。そこにあるのはただ、観察者のまなざし。あらゆる感情を“下に見る”ような、人間性を超えた何か。
「お前たちごときが、俺を殺せるなら……苦労はしない」
クロの声は、低く、淡々としていた。怒りも恨みもない。ただ、その静けさが――異様だった。
「逆に……殺してくれと願った時期も、あった」
それは懺悔でも、呪詛でもなかった。ただ過去をなぞるように、淡く冷たい響きで続けられる。
「……だが、それでも俺に――自由と、“家族”ができた」
そこで、ほんのわずかに声の調子が変わる。誰にもわからない程度の、微かな揺らぎ。
「だから……もう、殺されたくはない」
それは、彼にとって――初めての、執着だった。目を伏せることなく、真正面から告げる。それは、怒りでも嘲りでもない。ただ、淡々と――そして深く、魂の底から放たれた。
「どうだ。……殺せるか? なら――殺せ」
一拍置かれる。そして、静かに続く。
「……その代わり」
黄金の双眸が、冷たく光る。
「お前たちも、殺す」
その瞬間、空気が変わった。
言葉は静かだった。叫びも怒鳴り声もなかった。けれど、確かに“何か”が吹き抜けた。
少女だったものの――その“慟哭”は、声にもならず、ただ空間そのものを圧していた。叫ぶ代わりに、存在そのものが震えた。言葉の奥底に宿ったものが、空気の密度を変える。それは“悲しみ”でも“怒り”でもなかった。ただ、重く深く、理を踏み外した“兆し”。
世界がきしみ、空間がわずかに歪んだ。サイもケイも、捕らえられていた人々さえも、もうそこにいる少女が“何者”なのか理解できなかった。
そして――クロの姿が、消えた。
次に彼女が現れたのは、ケイの目の前だった。人質に向けられていたビームソードは、左腕で掴まれていた。素手で、無言で。焼けるはずの刃は沈黙し、動くことすら許されなかった。
人質の女性は、そのまま崩れ落ちる。気を失い、ようやく命を繋ぎとめた。
黄金の双眸が、ケイを貫く。その瞳には、怒りも慈悲もない。
ただ、“執行”の光。
瞬きをした、その刹那。
「バイバイ」
淡く無慈悲な一言とともに、クロの右手がケイの腹部を貫いた。鋼をも断つ力でも、道具の力でもない。
それは、“破壊の力”。
そして――ケイは塵と化した。
「……は?」
サイの口から、間抜けな声が漏れた。
それが――彼の最後の言葉だった。
呟いたときには、すでに遅い。少女はすでに目の前におり右腕が、胸を貫いていた。痛みが届くよりも早く、意識が断ち切られる。
「……殺せなかったな」
誰にともなく、誰にも届かないような声が落ちた。そのまま、サイの身体は静かに崩れ、塵となって消えた。
残ったのは、沈黙。
ただ、静寂が場を支配していた。血も、怒号もない。あるのは――ただ、音。
クロの足音だけが、空間に響いていた。無言で歩き出すその姿を、牢の中で誰もが見つめている。
その目に映るのは、もはや“少女”ではなかった。助けに来た存在ではなく、畏れそのもの。
そして、クロは振り返ることなく言った。
「いいですか。――最後の警告です」
声は静かだった。けれど、反論を許さない響きだった。
「ここに、救助が来るまで。――絶対に、動かないでください」
誰も答えなかった。声を出す者はいなかった。反応すら、許されない空気だった。
クロの姿を前にして、人々の目は、少女を見る目ではなかった。そこにいたのは、“化け物”。常識の外側にいる、別格の“何か”。
そうとしか、思えなかった。