静かなる決意と監視の目
クーユータとその上に合体しているランドセルが、ゆるやかに航行を開始する。艦の外殻を照らす青い光が、静寂の宇宙を滑るように進む。その背後では、鹵獲した四隻の戦艦フラッシェルが曳航モードで連なっていた。追従モードでクーユータと共に、疑似ゲートの入口が開かれ、その中に入っていく。ゲート内部は紫や青の混ざった螺旋の光に包まれ、まるで深海へ潜るような圧のある揺らぎが艦体を包み込んだ。
航行が安定し、ブリッジの振動が静まるころ、クルーたちはそれぞれの区画へと戻っていった。クロとクレアは自室で休息を取り、エルデもファステップの整備を終えて自室に戻り寝始める。艦内の照明が夜間モードに切り替わり、廊下には柔らかな橙の光が落ちた。
――その静けさの中。
ブリッジには、アレク、アン、ポン、タンの四人が残っていた。外のモニターには、疑似ゲートの光流が絶えず流れ、ゆらゆらと波のように艦内の壁を照らしている。彼らはそれを背に、無言で椅子を囲んでいた。
「なぜ集めたかわかるな」
アレクの低い声が、静まり返った空間を切り裂く。三人は黙って頷いた。そして、最初に口を開いたのはアンだった。彼はモニターの光を受けながら、どこか遠いものを見るような目で語り出す。
「……恐ろしかったです。あの一方的な暴力が、二度も俺たちを飲み込もうとしていた。あれを“力”なんて言葉で片付けていいのかすらわからない」
「俺は一発もらったけどな」
アレクが苦笑しながら頬を撫でる。治った頬に触れるたび、あの瞬間の衝撃が否応なく蘇る。
「そうでしたね」
アンが小さく笑う。ほんのわずかに、緊張が解ける。だがその笑みもすぐに消え、彼は続けた。
「言ってましたね、社長。“選ばなかった未来”って。……本当に、運がよかったと思います。その力がもし、俺たちに向けられていたら――想像しただけで、寒気がします」
その言葉にタンが頷く。彼の表情には、いつもの飄々とした軽さがなかった。
「そうだな。……しかし、あれには参った」
「どれだ?」
アレクが問い返すと、タンは苦笑いを浮かべながら肩をすくめる。
「簡単に“消す”と言い放つ社長ですよ。……俺、あの瞬間思ったんです。社長にとって敵ってのは、“存在してはいけないもの”なんだなって。それも、いとも簡単に消し去れるレベルで」
タンの声には、畏怖と理解の入り混じった静けさがあった。その場に一瞬、沈黙が落ちる。
ポンが口を開いたのは、その後だった。彼は腕を組み、目を細めたまま言葉を選ぶようにして呟く。
「人なら躊躇することを、あの人は平然とやってのける。俺たち、普段の“社長”を見てると忘れそうになりますけど……やっぱり、バハムートなんですよね。今回、嫌でも実感しました」
静かな言葉がブリッジに落ちる。四人の間を、艦内機器の低い電子音がゆっくりと流れていった。
「だからだ――止める時は止める。今回みたいにな」
アレクの声音は静かだが、そこには確かな意志があった。ヘッドライトの淡い照明が彼の横顔を照らし、戦闘を終えた者特有の疲労と決意を浮かび上がらせる。
「恐らく……いや、絶対にこれからもこういうことは起きる。俺たちはその都度、止めて、正しい方向に導く。それが俺たちの役目だ。嫌われても、殺されても構わない。だから――ダメだと思ったら止める、説得する。でないと、グレゴさんの胃に穴が開くぞ」
冗談めかして言うその言葉に、場の空気がわずかに緩む。タンが吹き出し、ポンが苦笑し、アンも小さく笑った。
「そうですね。社長の行動でグレゴさんを心配させるわけにはいきません」
ポンの軽口に続けて、アンが頷く。
「そうだな……社長は少し――いや、かなりズレてるからな。だからこそ、俺たち〈ブラックカンパニー〉が支えていくんだ」
「ああ。かなり厳しい業務だが、やるしかないな」
タンの言葉に全員が頷き、短い笑い声がブリッジに広がった。その笑いは決意と仲間の信頼が混じった、温かいものだった。
こうして、改めて“クロを支える”という共通の意志を胸に、彼らの話し合いは静かに締めくくられた。
――だが、その背後で“何か”が動いた。
空気が、目に見えぬ波紋のように揺れた。アレクは気づき、反射的に振り向いた。しかし、そこには誰の姿もなかった。彼はわずかに眉をひそめたが、気のせいだと自分に言い聞かせる。
「……まあいい。次は宇宙ステーションでの段取りだ。物資の整理と販売ルート、交渉先は――」
そう言いながら、再び議論を再開する。静まり返ったブリッジに、声とキーボードの操作音だけが響いた。
一方その頃。
クロの部屋では、薄闇の中に空気の揺らぎが生まれていた。やがて、空間の膜がふっと波打つようにほどけ、透明化を解いたクロが姿を現す。その肩にクレアが乗り、じっと彼女の横顔を見つめていた。
「全く……人を常識がないように好き放題言いますね」
クロが軽く頬を膨らませながら呟くと、クレアが静かに返す。
「クロ様、それは仕方のないことだと思います」
その声は、どこか優しく、誇らしげでもあった。クロは少し驚いたように目を瞬かせ、そしてくすりと笑う。
「……そうか。少しは恐怖していたかと思えば、それよりも“私の常識がない発言”で盛り上がって結束するとはね」
肩から降りたクレアが、ふかふかのベッドにちょこんと座る。ふわりと尻尾を揺らしながら、どこか楽しげに言葉を続けた。
「しかも、グレゴさんの心配のほうが勝ってましたね」
クロは笑みを深め、軽く髪を払った。ブリッジでの彼らのやり取りを思い出しながら、小さく呟く。
「……本当に、いい部下たちです」
その言葉には、温かさとほんの少しの誇りが滲んでいた。戦いの余韻がようやく遠のき、静かな夜が艦内に降りてくる。クロは窓の外に広がる星の海を眺め、そっと目を細めた。
「宇宙ステーションまで、あと少し――ですね」
その声は、穏やかで、それでいて確かな力を秘めていた。ゲートの光が、途切れぬ航路のように長い尾を引いていた。




