戦端、開かる
疑似ゲートが崩れ落ちるように歪む中で、クーユータの下部ハッチがゆっくりと開いていく。冷たい外気は差し込まないが、ハッチの開く音が艦内の静寂を切り裂いた。固定アームのロックが解除され、バハムートの本体を繋いでいた機構が一つずつ外れていく。艦体と本体を繋いでいた金属の関節が、歯車の吐息のように小さく鳴った。
バハムートはそのまま、疑似ゲートの渦へと体を滑らせる。螺旋する青紫の光が艦体を舐め、粒子が風のように流れ落ちる。外殻と光が接するたびに、空間に鋭い感触が走った。
「これは面白い!」
言葉は艦内に小さくはじけ、クロの口角がわずかに上がる。好奇心を覚えるような、少年のような声だった。
『面白がらないでください、社長! ……大丈夫みたいですね』
アレクの安堵が混じった声がブリッジから届く。音の向こうで端末の表示が光り、システムステータスが緑に戻るのが見えた。
「少しスピードを合わせるのには気をつけたが、案外簡単だった」
『いや、簡単であったら困るんですが……まあいいです。それより、そろそろ通常空間に出ます。気をつけてください』
アレクの声に、バハムートは短く頷くように応じた。光の裂け目を進む先に、現実世界の輪郭が次第に見えてくる。
「わかった。ヨルハを護りにつかせますので、通常空間に戻ったら一目散に下がって距離を開けるように」
クロの指示が降りると、ブリッジの空気は一層熱を帯びた。各担当がそれぞれの役割を確認し、動きに無駄はない。
「わかりました。ポンセ、頼む。タンドールは周辺のチェック。いいか、目を離すなよ。アンジュは記録を取っておけ。万が一非はこちらにないという証拠になる」
「了解です、兄貴。ヨルハさん、一旦全速で下がりますので、その後発艦させます」
『わかりました。安心しなさい、バハムート様の命です。必ず護ります』
ヨルハの返答に、タンが叫ぶ。
「レーダーに反応! 戦艦十二隻確認。IDは……マルティラ軍の物ですが……」
「正確に!」
アレクの声が鋭く響くと、タンは即座に追記した。
「ID自体はマルティラ軍ですが、略奪記録があります。恐らく海賊か別派閥が使用していると思われます。フォトン社製フラッシェルです。加えて、ヴェルカスが一斉に九十機以上、同時略奪されている模様。恐らくそれらも投入されるでしょう」
「最悪じゃねえか! なぜ最新の戦艦や機体がここに!」
アレクの怒声が漏れる。だがアンジュがふと冷静さを取り戻し、可能性を投げかけた。
「海賊だけとは限らない。マルギッテ軍が偽装して略奪扱いにした可能性も考えられないか、兄貴」
「クソ、真相がわからねぇ!」
慌てる声が交錯する。だが、その直後にブリッジ全体へ低く静かな声が降りた。バハムートの声だ。
『気にしすぎだ。要は二つだ』
その刹那、バハムートは通常空間へと戻り、目の前に広がる敵影を一瞥する。艦体の輪郭が暗く鋭くなり、視線は獲物を測る狩人のそれに変わった。
「敵なら物資を奪って塵に、無害なら邪魔した贖罪を求め……話の分からない奴なら乗り込んで半殺しだ」
『三つになってますよ、社長……』
「要は臨機応変だ。相手の応答は任せる」
『了解です』
命令は簡潔だ。選択肢を示しつつも、最終判断は現場の応答に委ねる――それが“バハムート流”の戦い方。外界の混沌を前にしても、クーユータのブリッジには冷静さがあった。艦の重低音がわずかにうねり、緊張に呼応するように空気が張りつめていく。
その刹那、タンの声が鋭く響く。
『熱量確認! ――攻撃、きます!』
ブリッジの空気が一変する。警報音が赤く閃き、モニター上にいくつもの火線が描かれた。アレクが即座に立ち上がりかけたその瞬間、バハムートの声が重なる。
「アレクはオープンチャンネルで俺のチーム名とクロの名前を出して、相手の確認を取れ。――ちなみに、相手を塵にするのは決定だ」
その声音には、怒りでも焦りでもない。ただ、圧倒的な“確信”があった。
「攻撃は気にするな。俺が対応する。それから――」
言葉の終わりを告げると同時に、バハムートの巨大な翼が音もなく広がる。闇を裂くように展開された翼の表面に微細な光の粒が走り、やがてそれが一点、また一点と燃え上がった。
虚空に生まれた漆黒のフレアが無数に立ち上がり、まるで星々が逆流しているかのように、光の筋を描きながら膨張していく。翼の広がりとともに、そのフレアは爆ぜるように数を増し、次第に翼そのものの輪郭を覆い隠していった。黒き光がうねり、まるで夜そのものが意思を持って息づいているかのように、艦隊を見据える。
次の瞬間、空間そのものが震えた。虚無の静寂を破るように、十二隻のフラッシェル級戦艦から一斉に放たれた光線が閃く。青白い閃光が尾を引きながら、まるで夜空を裂く流星群のようにクーユータへ殺到した。光と光の軌跡が交差し、空間の構造が歪む。
だが、その光の奔流に対し、バハムートはわずかに口元を歪めただけだった。
「無駄なことだ――レインフレア」
その一言が、まるで起動の呪文のように響く。
直後、両翼から放たれた漆黒の雨が虚空を覆い尽くした。降り注ぐそれは、光を吸い込みながら広がる黒い粒子の奔流。まるで闇そのものが液体化したかのように、ゆっくりと、しかし圧倒的な速さで敵の光線へと迫っていく。
蒼い粒子のビームが雨に触れた瞬間――音のない衝突が起きた。閃光は泡立つように分解され、フレアの雨に飲み込まれて消えていく。その光景は、まるで燃え盛る炎が冷たい水に触れて蒸気となって散るようだった。衝撃波が遅れて襲い、空間そのものが波打つ。爆ぜる閃光の中で、漆黒の雨が淡く光を弾きながら、次々と敵の火線を消し去っていった。
残光が霧のように薄れ、虚空は静けさだけを残す。そこには、まるで何事もなかったかのように、静かに翼を畳むバハムートの姿があった。
だが――攻撃は終わらない。次の瞬間、敵艦から無数の熱源反応が再び立ち上がる。続けざまに、数百発に及ぶミサイルが一斉に射出された。無数の弾頭が螺旋を描きながら宇宙空間を裂き、赤い光の尾を引きつつ殺到する。視界を覆い尽くすほどの弾道群――それはもはや雨ではなく、嵐そのものだった。
だが、バハムートは動かない。両の拳をゆっくりと前に突き出し、音もなく打ち鳴らす。その瞬間、腕の周囲で風が生まれた。最初は微かな渦――やがて暴風へと変わり、渦は稲妻を帯びて膨張する。
腰を落とし、拳を構える姿はまるで神話の巨人のよう。雷と風が混ざり合い、両腕に巻きついた嵐は雷の光を纏って脈打つ。空間に亀裂が走り、嵐が吹き荒れた。
「――ダブル! シュトルム! ナッコーーーーーゥ!!!」
轟音とともに、拳が交互に放たれる。殴りつけられた空間が波紋のように震え、無数の気流が交錯する。腕に纏っていた嵐が弾丸となり、目に見えぬ衝撃の奔流が放たれた。
嵐は龍のように形を変え、空間を奔り抜ける。突き進むミサイル群がその嵐の中心へと吸い込まれるように巻き込まれた。瞬間――光。閃光が嵐の内部で弾け、音のない爆発が連鎖していく。爆風の全てが渦に呑まれ、まるで嵐自体が炎を喰らっているかのように、光が内部で蠢く。
やがてその渦が収束し、残ったのは静寂。爆発の余韻すら吸い込まれたかのように、虚空にはわずかに残るミサイルだったものの残骸だけが残る。
無数の敵弾を凌ぎ切ったその姿は、まるで宇宙そのものが生んだ“守護者”のようであった。
その壮絶な光景を背に、アレクの声がブリッジから響き渡る。
『こちらは、ハンターギルド所属のチーム〈ブラックガーディアン〉のリーダークロの代理、アレクだ! 戦闘行為を確認した! そちらの艦が略奪されたマルティラ軍所属艦であることも把握している! ――よって、海賊として対処する!』
その言葉に、バハムートはマスクの下で笑った。薄い笑いではない。思い切り、愉快そうに、口角を引き上げる。
(……ふっ、これからはいちいちクロとして通信しなくてもいいな。面倒ごとは全部アレクに任せて、戦闘に集中できそうだ)
いまだ止むことのない火線をレインフレアで弾きながら、そんなことを考えていると、通信の向こうから新たな声が響いた。荒々しく、そして狂信めいた響き。
『やかましい! 我々の土地に土足で踏み込むフロティアン人は殺す! 我ら、マルティラ海賊団は正義の海賊! 皆、進めぇっ!』
通信越しに、雄叫びと爆発音が混ざり合う。敵艦隊の推進機構が一斉に光を放ち、戦闘態勢に入る。
――そして、戦端は完全に開かれた。