救済と崩壊の狭間で
全ての鉄格子を切断し、閉じ込められていた人々を解放した。だが、歓声はなかった。大多数の囚われ人たちは、まるで期待していなかったかのように、戸惑った目を向けるだけだった。
理由は――ただ一つ。現れたのが“少女”だったからだ。
細く、華奢な体。赤いジャケットを纏い、剣を手にしていても、彼らの目には「頼りない子供」にしか映らなかった。
「皆さん、少しそのままでお願いします」
クロは淡々とそう告げ、すぐに端末を取り出す。
「ギルドと治安局に連絡を入れます。応援が来るまで、ここを離れないでください」
冷静な声が響く中、一部の者たちが、ざわめいた。動揺、そして疑念。この場を支配する“絶望の後”に訪れた“救い”が、想像とは違っていたというだけで、規律が揺らぎ始めていた。
――少女だ。
――頼りない。
――本当に大丈夫なのか?
そんな視線が交差し始める。
だが、クロは気にしない。ただ淡々と、ギルドとの通信を続ける。
「こちらクロ。証拠の証言映像は撮影済みです。地下のインフラ区画には、本来あるべき設備は確認できず、不正施設が設置されています。人身売買の救助者を発見しました。けが人は救出者にはいませんが、“ゴミ”の中に数名、確認済みです」
即座に、グレゴの声が返ってくる。
いつもの無愛想な声音に、わずかだが安堵の色が混じっていた。
『よくやった。治安局にも連絡は入れておく。証拠映像を先に送ってくれ。そうすれば、もういちいち許可なんかいらねぇからな』
思いがけない“労い”の言葉に、クロはほんの一瞬だけ目を見開く。けれど、それ以上の感情は見せず、すぐに平常心へと戻った。
「了解です」
『で、救出者は何人だ?』
「推定で40から50名ほど。重傷者は確認していませんが、“ゴミ”の山に紛れている可能性があります」
言い終えた途端、通信の向こうのグレゴが低く、鋭く声を落とす。
『……おい。まさか……殺してねぇだろうな?』
一拍の沈黙。クロは素直に言葉を返す。
「殺してません。でも……今回は、殺してもよかったのではと思っています」
『――バカ野郎ッ!』
感情のこもった怒鳴り声が、通信越しに響き渡る。
『情報ってのは生きてこそ意味があるんだよ! お前がぶっ壊す前に、“吐かせる”のが先だ!……まったく、よくやったとは思ってるが……お前はほんと、加減ってもんを……』
「……すみません」
クロの謝罪は短く、静かだった。だがその一言に、グレゴの荒んだ声も、わずかに落ち着きを取り戻していく。
『救助者はそこに居させておけ。外に出ると、万が一の時に対応が遅れる』
「すでに伝えてあります。証言映像を送信しますが、ギルドと治安局が現場に到着するのは、どのくらいかかりますか?」
『30分もあれば着ける。お前がギルドを出たと同時に、治安局には待機をかけてある。向かわせるタイミングは指示済みだ』
「了解です。こちらで待機してます」
通信を切ると、クロは手元の端末から証拠映像の送信を始める。記録されていた映像は、自動的に圧縮され、ギルド本部へと転送されていった。
そして、通信が完全に終わったのを確認すると、クロは後ろに控えていた救出者たちに向き直る。
「治安局が来ます。……ですので、ここでおとなしく待っていてください」
その一言が――引き金になった。
今までの束縛、その反動なのか。あるいは、救出に来た者が“少女”だったことへの侮りか。理由は明確ではない。けれど、その場に残っていた“緊張の糸”が、確かに切れたのだ。
「家に帰れるんだろ? なら帰せよ! 俺は出るぞ!」
誰ともなく上がった声。それは火種となり、空気を変えた。
「出してくれ!」
「すぐに帰りたいんだよ!」
「待つ理由なんてないだろ!」
次々と湧き上がる声が、薄暗い通路に反響する。その言葉に呼応するように、何人かが出口へと足を向け始めた。
統制は崩れかけていた。“救われた”はずの彼ら自身の手によって。
クロは言い放った。
「ダメです。ここで待てないなら、こちらも強制手段に移ります」
だが、その声は波紋を立てた程度にしか届かなかった。すでに何人かの者は制止を振り切り、出口へと向かっている。
クロの眉がわずかに動いた。
「……痛い目、見たいんですか?」
言葉とともに、空気がわずかに張り詰める。圧が漏れる。だが――通じなかった。
長く閉じ込められていた反動か。それとも、相手が“少女”だったせいか。緊張の糸が切れた彼らには、警告すら届かない。
(仕方ない。最小出力で――)
クロはビームガンを抜き、カートリッジ設定を即座に調整する。狙うは足元、威嚇に過ぎない一射。その引き金にかけた指が、ほんのわずかに動いた――その瞬間だった。
「動くな!!」
鋭い怒声が、空気を裂いた。
声の主は、大人しくしていたはずの男。出口付近には、もう一人の男が控えている。
腕を掴まれていたのは、中年の女性。彼女もまた、同じように檻に閉じ込められていたはずの一人だった。
だが今、その肩にビームソードの刃が触れている。逃げるどころか、完全に捕らえられていた。
クロの指が止まった。
狙っていた足元も、警告の一射も、すべてが意味を失う。
ビームガンの銃口は、空しく静止したまま。
状況は一変した。収束の兆しなど、もはやどこにもない。
より悪い方へと、流れが反転していく。