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バハムート宇宙を行く  作者: 珈琲ノミマス
地獄の惑星。バハムートが選ぶ未来
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螺旋の静寂

 ランドセルと合体したクーユータは、ドリーム星系を目指して疑似ゲートの中を静かに航行していた。外壁を包む空間は青と紫を基調とした螺旋状の光が絶え間なく流れ込み、無音の世界を幻想的な輝きで染めている。ゲート内壁を走る微細な量子粒子が、まるで流星の尾のように滑り落ち、艦体の装甲を淡く照らした。それは、まるで宇宙そのものが呼吸しているかのような光景だった。


 航海は驚くほど順調だった。一週間が過ぎ、船体ログには「異常なし」の文字が続く。小惑星帯も、空間乱流も、海賊や怪獣の反応すら一度もない。全てが、静かすぎるほどに滑らかだった。


 クーユータのリビングでは、人工重力の安定した床に微かな振動が伝わっている。定期的に鳴る推進装置の低い駆動音が、まるで心臓の鼓動のように一定のリズムを刻んでいた。クロはソファに深く腰をかけ、温かいマグカップを手にしたまま、リビングの大型ウィンドウ越しに流れるゲートの光をぼんやりと眺めていた。


「……海賊でも来ないですかね」


 その小さな呟きが、静まり返った空気の中に落ちる。壁面の照明が反射し、クロの頬を淡く照らした。


「物騒っすよ、クロねぇ」


 エルデが苦笑しながら、ホロディスプレイの操作パネルに手を走らせた。指先が滑るたび、透明な光のラインが幾重にも重なって広がり、リビングの中央に戦闘訓練モードの立体映像が展開される。


 手には訓練用のハンドガン。銃口を向けると、ホログラムの空間に仮想敵のシルエットが出現し、動きに合わせて赤い照準線が走った。トリガーを引くたび、音のない閃光がほとばしり、エネルギー弾が敵影を貫く。「命中率42%」――無機質なAIの声が淡々と響いた。


 その数字を見て、エルデは満足そうに息を吐き、額の汗をぬぐって小さくガッツポーズを取る。リビングの空気にわずかに熱がこもり、シミュレーション光の残滓が壁に反射して消えていった。


「ほら、見てくださいよ。タンさんに教わった射撃訓練、けっこう上達してるんすよ。クロねぇも一緒にどうっすか? 体がなまっちゃうっす」


 エルデがいたずらっぽく笑う。その顔には、自信とわずかな挑発が混ざっていた。


 しかし、クロはソファから動かず、穏やかにマグカップを傾けただけだった。窓の外では、疑似ゲートの光が螺旋状に流れ続けている。その光を背に、黒髪がゆらりと揺れ、瞳にホロディスプレイの反射が走る。


「いいです。私の場合、物陰にいようと――リボルバーで事足りますし。来ないなら、こちらから“行く”までのことですから」


 淡々とした声。だがその中に、わずかな熱が混じっていた。


 エルデは一瞬黙り、そして肩を落として苦笑する。


「……そういうとこ、ほんとクロねぇらしいっすね」


 だが次の瞬間、クロの指先が軽く動いた。空気がわずかに揺らぎ、光の線がひとすじ走る。空間が裂けるように開き、そこから――レトロデザインのリボルバーが静かに姿を現した。


 リビングの照明が金属面を撫で、鈍い光沢を返した。それはどこか懐かしい造形を残した旧式の回転式リボルバー。だが内部には最新の弾丸型エネルギーCAPシステムが組み込まれており、古典と機能美が見事に融合している。銃身下のマウントレールには短いビームダガーが装着され、接近戦にも対応できる仕様だった。


 クロはそれを手に取り、指先でシリンダーを軽く押し出す。カチリ、と金属の噛み合う音が響く。整然と並んだ六つの弾倉には旧時代の実弾を思わせる意匠のエネルギーCAPが収められていた。表面には細かな刻印が施され、淡い青光が脈を打つように点滅している。


 再びシリンダーを戻すと、撃鉄の下に埋め込まれた小型モニターが起動した。バーグラフがゆっくりと伸び、CAP残量が満タンであることを示す。その表示を確認したクロは、わずかに口角を上げた。


「問題なし。……まぁ、こんなものですね」


 短く呟くと、軽く手を払うだけでリボルバーは再び光に包まれ、空間の裂け目に吸い込まれるように消えた。まるで空気が一瞬だけ逆流したような感覚が残り、リビングの空気が静寂を取り戻す。その仕草はあまりにも自然で、まるで“そこに存在して当然”のようだった。


 続けてクロは、腰の後ろへと手を伸ばす。ベルトの側面、黒革のホルダーには新たなアタッチメントが組み込まれていた。ウェンが完成させたばかりの装備――スラロッド。


 クロがそれを引き抜くと、低く、澄んだ音が鳴った。漆黒の地に赤のラインが鋭く走る。ウェンの施した配色で“クロ・レッドライン”という存在を象徴するかのような色。


「それに――早くこのスラロッドの威力を試したいですね。実戦で、どこまで使えるか。……私の扱いに、どこまで耐えられるかが楽しみです」


 その声音は穏やかで、しかし底のほうに確かな熱を秘めていた。クロの瞳には、未知の戦場を前にした者特有の光が宿っていた。


 エルデは訓練を終えると、タオルを首にかけ、軽く息を整えた。額から流れた汗が鎖骨を伝い、胸元の谷間へと消えていく。その動きに合わせて黒いインナーの布地がわずかに張り付き、引き締まった体のラインをより際立たせていた。


「――はぁ……タンさんの訓練、マジでキツいっす……」


 そうぼやきながらソファへ腰を下ろし、タオルを手に取って胸元から脇、背中へとゆっくり拭っていく。汗が光を弾き、空気の密度をわずかに変える。細い肩が上下するたび、熱が漂い、リビングの空気が静かに揺らいだ。


 その様子を見たクロは、わずかに視線を逸らし、柔らかく息を吐く。


「……エルデ。こういう限定的な空間で、女性がそういう仕草は、もう少し控えた方がいいですよ。ここに女性しかいなくても、です」


 一拍の静寂。言われたエルデはハッとし、慌てて胸元を押さえた。


「へっ!? あ、す、すいませんっす! いや、別に見せるつもりは――」


 慌てふためきながらも、彼女の頬はほんのり赤い。恥ずかしさを紛らわせるように照れ隠しの笑みが浮かぶ。そして、その気恥ずかしさを振り払うようにエルデは口を開いた。


「それよりもクロねぇ。さっきの発言、完全に“怖い人”の言い方っすよ……。海賊より物騒っす」


 その言葉に、クロの目がわずかに細まる。わずかな間が生まれ――次の瞬間、膝の上のクレアがぴょんと立ち上がった。ふさふさの尻尾を勢いよく揺らし、小さな体から驚くほどの威厳を放つ。


「エルデ、クロ様にその言葉遣いはダメですよ!」


 その声は鋭くも澄んでいて、有無を言わせぬ迫力があった。エルデは目を瞬かせ、条件反射のように姿勢を正す。


「え、あっ……す、すいませんっす!」


 クレアはさらに胸を張り、堂々とした口調で続けた。


「今まで一緒に生活して、クロ様がズレた常識しかわからないのはわかっているでしょう? ですからここは、そうですね――『活躍が見てみたいです!』でいいんです!」


 自信満々に言い切るクレアの姿に、エルデは思わず苦笑し、「なるほどっす」と頷いた。


 そのやり取りを見ていたクロは、湯気のように柔らかな笑みを浮かべながら二人を見比べる。


「……なんだか、説得された気がしませんね」


 そう呟くクロの口元には、抑えきれない笑みが浮かんでいた。外では、疑似ゲートの光が螺旋を描きながら流れ続けている。青と紫の光が船体の外殻をゆっくりと撫で、リビングの窓越しにもその残光が差し込む。


 壁や床に反射した光が、二人と一匹の影を柔らかく包み込む。まるで時が止まったような、穏やかな航海の時間が流れていた。

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