地獄の回廊と、迷子の少女
スライムタッカーが次々と“ゴミ”を量産していく。指示通りに降伏していた警備員と社員たちは、すでに気絶し、整然と床に転がっていた。一方で、最後まで武器を捨てずにかかってきた連中の末路は過酷だった。四肢を無理にねじられ、強制拘束されてできあがるのは、“粗大ごみ”と呼ぶにもおぞましい山だった。
クロは、無表情のままスライムタッカーを振るい続ける。
「……これで28体目。さすがに“ごみ収集”にも飽きてきた」
ちら、とカートリッジ残量に目を落とす。残り――三本。
「地下に、あまり“ゴミ”がいなければいいんだが。……支給、もう少し頼んでおくべだったな」
つぶやくような声に、焦燥はない。ただ、機械的に次の処理段階へと意識を向けていく。
クロは警備待機所へと足を向けた――が、次の瞬間、足が止まる。
想定外だった。
目的地の場所が、はっきりとわからない。
社内に掲示されていた案内図を確認しても、なぜか目的地へはすぐにたどり着けなかった。
そして、クロは静かに歩き出す。
一枚、また一枚と扉を開け、内部を淡々と確認していく。
床に転がる“ごみ”の山を横目に、無言で廊下を行ったり来たり。さきほどまで圧倒的な威圧感で空間を支配していた“存在”が、今はただ――所在なさげに歩き続けていた。
気絶している者たちは何も見ず、何も言えない。だから、その滑稽な姿を笑う者は誰一人いない。
だが、もし彼らが目を覚ましていたなら――。この“最強の捕食者”の姿は、間違いなくこう見えていただろう。
――社内で迷子になっている、ただの少女。
そう形容するしかない数分を経て、ようやくクロは目的地へと辿り着いた。
そして、ぽつりと小さく呟く。
「……方向音痴……認めたくない……」
沈んだ表情のまま、そっと顔を横に振る。プルプルと否定するように首を振りながら、自分自身に言い聞かせる。
――違う。あれは、構造が悪いだけ。私のせいじゃない。
そうして気持ちを切り替えると、再び無表情に戻り、静かに視線を奥へと向けた。
警備待機所の最奥。そこにあったのは、壁に溶け込むように設置された不自然なスライド式のドアだった。
クロは一切のためらいを見せず、そのまま足を進める。
スライドドアが音もなく上へと開く。その奥、鉄と樹脂でできた階段を下っていくと、目の前に広がったのは――“地下”。
正確には、地上と宇宙外装の隙間に設けられた中間層。本来であれば、農業施設やコロニー維持用のインフラ設備が整然と並ぶはずの空間。
だが、そこには――その痕跡すらなかった。
クロは足を止め、端末を開く。表示された地図には、「インフラ管理区域」という無味乾燥なラベルが記されている。けれど、実際の光景はまるで違っていた。
薄暗く、湿気を帯びた空間。不規則に設置されたデスクとモニター。その奥に並ぶのは、金属製の格子戸――まるで牢獄のような重苦しい扉の数々。
クロは静かに息を吐く。
人工灯がゆっくりと明滅し、不気味な影が壁面に揺れていた。この場所が「ただのインフラ区画」であるはずがない。
眉をわずかに寄せ、クロは端末を閉じる。警戒を解いたりはしない。視線を細め、無言のまま足を進めた。
“嘘で塗り固められた地下”――その薄暗い空間へ、静かに侵入を開始する。
空気は冷たく乾いていて、人工灯の明かりだけが薄く足元を照らしていた。クロは通路の脇にある一室――“オフィスらしき部屋”の扉を押し開ける。
「……誰もいない。全員、上に集まってたってこと?」
小さい声で呟きながら、慎重に室内を見回す。
無人の部屋には、使いかけの端末と、少量ながら紙の資料が残されていた。椅子は出しっぱなしで、モニターにはログイン中の画面。
突然、誰かが席を立ったまま戻らなかったような、そんな不自然な空気だけが、そこに残っていた。
ほんの数分前まで“誰か”が確かにここに存在していたはずなのに、今はその痕跡だけが静かに漂っている。
だが、ここにいても意味はない。クロはそう判断し、無言のまま部屋を後にする。
廊下に戻ると、今度は一番手前にあった格子戸の前に立った。閉ざされた鉄格子の向こうからは、かすかに人の気配がする。
クロは軽く、扉をノックした。コツ、コツと控えめな音が、無機質な空間に広がっていく。
「――誰かいますか? 私は……ハンターです」
その声は穏やかだった。だが、芯の強さを失ってはいない。この空間に囚われている者がいれば――無用な恐怖を与えないための、最低限の配慮。
「いませんか? いないのなら、次に行きますけど?」
少しだけ声の調子を変えて問い直す。その瞬間――
「いっ、います! 助けてください!」
中から、かすれた叫びが返ってきた。それはひとつでは終わらない。反応を合図にしたかのように、他の格子戸からも次々と声が上がる。
「ここにも!」
「助けて……!」
「お願いです、出してください!」
男女の声が入り混じり、悲鳴のように重なっていく。必死に訴える声、震える声、涙交じりの声――そのすべてが、ここが“現実の地獄”であることを物語っていた。
「わかりました。今、開けます。扉から離れていてください」
クロは静かに告げると、腰のホルダーからビームソードを抜き放った。次の瞬間、蒼い光刃がうなりを上げ、格子戸の鉄を切り裂いていく。火花と共に切断された金属片が床に転がり、重たい音を立てた。
閉ざされた空間に、光が差し込む。その向こうに立っていたのは――黒衣の少女。
囚われていた人々の目に、初めは歓喜が宿った。救いの手が差し伸べられた瞬間。だが――次の刹那、その光は曇る。
少女だった。細い腕、華奢な体。彼らの“想定していた”ヒーロー像とは、あまりにもかけ離れていた。
驚き、戸惑い、落胆――それらが入り混じる視線が、クロを刺す。
だが、誰も気づかない。誰ひとり、理解していなかった。“その少女の姿のままで、ここまで来た”という現実の意味を。
鉄を切り裂き、幾多の警備を突破し、今ここに立っているということが、どれほど非常識なことかを。本来なら、その存在こそが“非常識の塊”であるという事実に――誰も、まだ気づいていなかった。